e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

日牟禮八幡宮前のCLUB HARIE

2010年08月27日 | グルメ
私が“ヴォーリズ建築”を探し、


写真を撮りながら近江八幡の町を彷徨っている間、


同じように私の後ろを歩いていた二人(家人と息子)は、


まったくちがうことを考えていたのだ・・・


「ほんまに不思議な話、ほとんどの人が同じ紙袋をさげて歩いてる?


日牟禮八幡宮の参道も瓦ミュージアムでも、掘割に沿った小径でも・・・」


一緒に行った息子に家人が質問、「あれは何?」。


ちょうどそんな時、掘割の横に座って“バームクーヘン”を


食べている女性集団発見!


もちろんあの紙袋の中から取り出したモノ。


息子が「デパートにも入っている有名なバームクーヘンやんか!


お母さん知らんの?」と答えた。


家人は観光案内で貰った地図でその場所を確認。

それは最初に車を停め、参拝を終えた日牟禮八幡宮の参道。


“ヴォーリズ建築”旧八幡郵便局の見学を終えると、

二人は大急ぎで日牟禮八幡宮の参道へダッシュ。


店内はバームクーヘンの甘い香りとお客でいっぱい!


焼きたてのバームクーヘンを購入するのに30分待ち。


日牟禮カフェでお茶を飲むのに1時間待ちだとか・・・。


私は二人がお店から出てくるまでの間、


参道の反対側にある“たねや”を覗き、


再び日牟禮八幡宮にお参りすることにした。


ヴォーリズ建築

2010年08月27日 | 建築物
あの日、私は“ヴォーリズ”の残した建築物を見たかったのだ。

八幡掘や江戸時代の家並みの残る近江八幡の町に

点在するという“ヴォーリズ建築”。

このアンバランスさがこの町の魅力でもあるのだろう。

まずは八幡宮前の“白雲館”を見学し、

“池田町洋館街”(ダブルハウス、吉田邸、旧ウォーターハウス邸)を

目指した。

それから“近江八幡教会”。

日本の中に外国を見たような気がした・・・

すぐ東隣の“旧YMCA会館”。

その近くにあった“小学校”もそうだったのかもしれない。

最後に昨日のブログに登場した“旧八幡郵便局”。

局長室のドアノブがアメジストで出来ていて、凄く美しかった!

“関西学院大学”や“大丸百貨店心斎橋店”なども“ヴォーリズ”の建築なのだ。

そう云えば10年ほど前、同じ滋賀県の豊郷町の小学校が老朽化と

耐震性を理由として解体されようとした時、大きな反対運動が起こったことがあった。

あの小学校も帰宅してから調べてみると、“ヴォーリズ建築”だったのだ

ヴォーリズを探せ!

2010年08月27日 | 建築物
今回、近江八幡で知りたかったのは、“ヴォーリズ”のこと。
みなさん小さい頃から“メンソレータム”のお世話になりませんでしたか?
私、“近江兄弟社”って、珍しい会社の名前やなぁ~って、ず~っと思 っていたのです。
ヴォーリズに関しては、「ヴォーリズは明治38年に八幡商業高等学校の英語教師として来日し、昭和39年に83歳の生涯を終えるまで彼は近江八幡市に留まり、キリスト教の伝道とその主義に基づく社会教育、出版、医療、学校教育などの社会貢献活動を続けました。そしてこれらの事業を経済的に支えるべく多くの人々と力を合わせ、建築設計会社やメンソレータム(現メンターム)で知られる製薬会社などの企業活動を展開していきました。
生涯、個人資産を持たなかったヴォーリズの精神は、今の近江八幡市に脈々と流れており、全国の様々な方や団体もヴォーリズの精神、事業等を受け継いで活動しています。」 とあった。
彼の残した建築物を巡ってみたかったのです。
「写真;旧八幡郵便局」

近江八幡

2010年08月27日 | 自宅から東へ

近江八幡を訪ねたのは、過去2回ほど。
最初は日帰りバス旅行だった。
たしか、大きな神社にバスを停めて、瓦ミュージアムの見学と少しの間の散策だった。今でも、その時作った瓦粘土の作品?を家に飾っている。
二度目は西国参りで。
お寺のことよりも、昼食を食べた琵琶湖の見えるフランス料理の店のこと、それと、息子と琵琶湖へつながる水路でバス釣りをしたことの方がよく覚えている。


この町の歴史は、
「1582年本能寺の変により、織田信長が自害すると、安土城も灰燼に帰しました。
そして、豊臣秀吉が天下をとると、近江の地には弟の秀次を配しました。
秀次は安土からもほど近い、八幡山に城を築きます。
廃城となった安土城の城下町を八幡山城下に移し、新たな城下町を形成しました。
そして楽市楽座の自由商業都市を奨励し栄えた街です。
また、城の周りに築かれた水堀は、商業輸送にも使えるように考えてつくられました。
これらのことが、近江商人が活躍する地盤になったと考えられます。」とあった。


できればゆっくり舟で“八幡掘めぐり”をしたかった・・・




新名神高速道路の下の道

2010年08月27日 | 道路・鉄道・船
長男の暮らす滋賀へ行くのに、私は“信楽越え”をする。

他にいくつかのルートがあるのだが、奈良や宇治、京都を通ると

かなりの信号の数になってしまうからだ。


自宅を出て、名阪国道を東へ。

いつかブログに載せた“伊賀上野”のお城を見ながらさらに東進。

毎年初詣に行く敢國神社のあるインターのその次のインターで下りて、信楽方面へ。

伊賀焼の看板をいくつか通過すると、その次は信楽・狸の焼き物の里である。せっかくだから今回も、いつもの店で“干支の置物”を購入した。


そこからが“信楽越え”。


数年前まではもの凄い山道だったのだが、第二名神高速道路の建設にともない、この山道もかなり良くなってきた。

片側は山を切った崖、反対側が急流流れる谷底で、

車が対向するのに困るような箇所もいくつか残っているのだ。


昔々、この付近の山の木を切り出して平城京が出来たのだとか・・・

そのため長い間、木のない山になっていたのだという。

それが淀川の氾濫を招いたのだとか・・・


さらに先日、藤原京で運河の跡が発掘された。

藤原京の木もこの山の木だという仮説が新聞に載っていた。


この狭い山道を越えると、息子の暮らす街に着く。

我が子の顔を見るための、およそ100分間のドライブだ・・・















ひつまむしとギャル曽根

2010年08月27日 | グルメ
昨日は離れて暮らす長男に、毛布と家で採れた米・野菜・果物を届けに行った。
それから久々に親子で近江八幡までドライブ。
長男に「何が食べたい?遠慮せんでええでぇ~」と云うと、出てきたのが、写真の“ひつまむし3人前”。
もちろん、他のメニューも注文し、私もひつまむしを食べることで・・・
ひつまぶし(櫃塗し)は、主に名古屋地方で食べられている鰻料理。蒲焼にしたウナギの身を細かく刻んで御飯に乗せたもの。小ぶりなお櫃に入れて供されるため、こう呼ばれる。
ひつまぶしの楽しみ方は、以下の手順による「1回で3度おいしい」食べ方にある。
1人前は小さな「お櫃」に茶碗3-4杯分入っている。ご飯の上に刻んだ鰻が載ったまま出されるのでこれを用意されている杓子でかき混ぜる

1、最初はこれをそのまま茶碗に一杯取り、そのまま食べる
2、次はおかわりの様に2杯目を取り、薬味(わさび・のり・みつば等)をのせて食べる。薬味は、葱・山椒・海苔が基本で、ウナギによく合う3種である。これらの味の変化を楽しみながら味わう。
3、3杯目は2杯目の様にしたものに、お茶(煎茶)もしくはだし汁をかけ、さっぱりとお茶漬けのように食べる

長男も私もそこそこ食べる方なのだが、この“”はボリュームあった・・・
やっぱりは凄い!!

神戸で食事

2010年08月27日 | グルメ
あるとき、神戸で夕食をとっていた。

港の見えるハーバーランド近くの和食創作料理の店。

テーブル席で、家人が私の隣に座り、正面には息子が座った。


料理を食べながら店内を見ていると、

斜め前のテーブルの男女二人の様子が気になった。

40代半ば位?の男性と20代後半位?の女性。

会話の内容も、時々微かに聞こえてくるのだ。


家人もその二人が気になっていたようで、

「親子じゃないわよねぇ?」と聞いてきた。

私は、「そうやなぁ~」と答えた。


さらに家人は、「夫婦とも違うよねぇ?」と聞いてくる。

私は、「違うと思うけどなぁ~」と答えた。


家人はさらに「不倫かな?」と続けて聞いてくる。

私は「さぁ~・・・」とだけ答えた。

(私が変な説明をすると話しが複雑になると思ったから、それ以上は黙っていた。)


やがてその二人は気まずい雰囲気となり、

口論したり、沈黙が続いたり・・・

男性の酒のボトルも空になってしまったようだ。


「家で見たいTVの映画始まるから・・・」と言って、男性は店を出ていった。

















阪神高速で大阪LOVER

2010年08月27日 | 道路・鉄道・船
あの日、平野のお寺でご朱印を頂いたあと、再び阪神高速に乗り神戸へ。

(阪神高速は平野では大阪方面には上れないので、お隣りのインターから)

しばらく阪神高速を走ると、大阪らしい風景が見えてくる。

今年は春からドリカムの“大阪LOVER”がヒット!


「東京タワーだって
あなたと見る通天閣にはかなわへんよ
なんで そんなに笑って!
一生に一度の告白やんか!
恋しくて憎らしい大阪・・・」


この風景見ながらこの曲を聴くと、“大阪やなぁ~”って思うてしまう。

やがて道路は環状線合流直前の急カーブに。

ブレーキはもちろん5回。

“ア・イ・シ・テ・ル”のサイン?

懐かしいなぁ~“未来予想図”。

環状線に合流したと思うたら、急いで一番左端の車線へと移動。

すぐに環状線から神戸線・湾岸線への分岐が近づくから

急がんとあかん。

その途中で道路状況の表示板を確認する。

3号神戸線が渋滞してたら、5号湾岸線で神戸へ。

少し遠回りやけど、やっぱり湾岸線は景色がええなぁ~。

海遊館やユニバーサルスタジオが見えるし、海を見ながら走れるやんか!

そう、ここは昔、私が学生生活を送った街や・・・









木製仮面に眉毛あり

2010年08月27日 | 県内
今朝から纒向遺跡から出土した“木製仮面”を見に行った。

展示されているのは“桜井市立埋蔵文化財センター”。

ちょうど大神神社の大鳥居のすぐ北西にある建物。


もっと凄い人なのかと思っていたのだが、それほどでもない。


大阪から来たという70位の男性二人は、箸墓への行き方と

お勧めの昼食場所を館員に聞いていた。

60半ばのご夫婦は、このあと安倍文殊院に寄って帰られるのだとか。

私より少し年配に見える女性は、一人旅の学者さんか記者さん?

旅行鞄を床に置き、難しそうな顔をして何も語らずに展示品を見ておられた。


そこへ発掘現場で働いていると思える方々5名ほどが入って来て、木製仮面の前で

「ええもん見つけてよかったわ・・・ これで思い残すことないなぁ・・・」

「あんなんあるのん 初めから分かったってんで。見えてたもん」

「ようけいろんなん かたまってあったもんなぁ・・・」

etc・・・


私が仮面を見て驚いたのは、

この木製仮面に線刻により、太い眉毛が表現されていたこと。

それと鼻孔もちゃんとあったこと。

古代人の美的感覚は本当に素晴らしかった!

※写真撮影が可能だったことにも驚きました。


稲刈りあとの兵馬俑

2010年08月27日 | 趣味の園芸
昨夜は焼肉店で宴会。 素晴らしく美味しいお肉だった。

聞くところによると、県内でも1,2の味を争う焼肉店だとか・・・

お肉を頂きながら、ごん狐の旅の際、

新美南吉記念館の前にあったお店「黒牛の里」の味を思い出していた。

それはブログで知り合った方に教えていただいたお店。

あのお店も美味しかったなぁ~。

本日の趣味の園芸、午前は“うすひき”、午後からは“稲刈り”。

私の口の中には、昨夜のお肉の甘い味と食感の余韻が残り、

頭の中には、ビールと焼酎の余韻が残るという状態での作業だった・・・シアワセ・・・

稲刈りを終えた我が家の田んぼには、稲藁の“兵馬俑”が立っていた。


古本屋の山頭火

2010年08月27日 | 読書
先日、久々に入った古本屋の105円コーナーで



『山頭火 日記』山頭火文庫を見つけた。



全巻揃っているわけではなかったが、“山頭火”に興味があり、



お安いということもあり、とりあえず購入することにした。



家に帰って読み始めるとビックリ!



本には、元の持ち主宛の絵の展覧会への案内状がはさまっているではないか。



つまり、住所や氏名が書かれた葉書が入っていたのである。



我が家からそれほど遠くなく、長谷寺あたりに住む女性・・・



葉書の消印は5年ほど前だ。



葉書以外に近鉄電車の特急券。展覧会を観に行った時に乗られたのだろうか。



さらには、長谷寺を拝観されたのかその半券も・・・これは栞の代わり?



どうしてこの本は、売りに出されることになったのだろうか?



なんか・・・その女性を想像してしまって・・・



“山頭火”を読む気分では、なくなってしまった。




栗畑の静けさ

2010年08月27日 | 趣味の園芸
この3連休、必ず夕方になると私は一人で栗を拾いに行った。


夕日が栗畑に差し込んでくるのを見るのがすきだからだ。


そしてあの静けさ・・・


一人黙々と金鋏を使って栗を拾う。


昔は栗を毬ごと大きな肥料袋に入れ、自宅近くの農業用倉庫まで


持ち帰っていたのだが、ここ最近は栗の実のみ拾っている。


その栗の実の色が夕日を浴びて輝くのが美しい。


そんな静かな栗畑に、突然“ボトッ”と音が聞こえる。


それは栗が落ちた音。


少し軽めの音は栗の毬が落ちた音。


私は音が聞こえた方へ戻り、栗を探す。


そんなことをしても限がないのを知っているのに。


ただもう暫くそこにいたいから・・・





























夕焼け特等席

2010年08月27日 | 我が家
みなさんは夕暮れ時に、

ぼんやり出来る場所をお持ちでしょうか?



誰もが夕焼けの美しい場所を、

いくつか思い浮かべることでしょう。



その場所が自分だけの場所なら、

さらにいいですよねぇ・・・



私もありますよ、そんな場所2~3箇所・・・



特に“今日は夕焼け美しそうやなぁ~”とか、

“ひとりでぼ~っとしたいなぁ~” って思ったら、



すぐに行ける場所がいいですね。



写真は、私の夕焼け特等席。




新美南吉記念館

2010年08月27日 | 自宅から東へ
“ごん狐”への旅の話はこれが最後。

最後に残った話は、一番最初に訪れた“新美南吉記念館”。

その建物は、斬新な建築でした。

駐車場に車を停めて、すぐに“ごん”と記念撮影。

しかし、建物の入り口が分からず・・・

雨にぬかるんだ芝生の上を、長時間のドライブと

到着の興奮でウロウロするばかり・・・

“手袋を買いに”の親子の狐像を見ては近づき、

“でんでんむしの悲しみ”のモニュメントを発見しては走りより、

“童話の森”は、じつは「ごん狐」の“中山”だったと知っては、

その木立の中に“ごん”を探し・・・

本当に地下に埋もれたこの建築物が不思議だったのです。

ただ、館内に入ってからは「ごん狐」と新美南吉の世界

堪能することが出来ました。

でも、堪能しすぎて支離滅裂・・・

新美南吉が狐に関する童話を3つも書いていたなんて・・・

六地蔵

2010年08月27日 | 自宅から東へ
この彼岸にお墓参りをされた方は多いと思います。



しかし、他の方のお墓に参られた方は ?



“ごん狐”への旅で私は

“新美南吉”の墓に参ることにしました。



その墓地には、“ごん”が兵十のお母の葬儀の列を

隠れて見送ったという“六地蔵”があったからです。



でも、その墓地で凄い感動があったのです!



そのことについて詳しく説明できないのが、

本当に残念でしかたありません・・・

「写真;六地蔵

    どこまでが“ごん狐”の話に登場した六地蔵なのでしょうか?」