e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

台湾新幹線

2010年08月27日 | アジア
今回の世界の車窓からは“台湾新幹線”。



台中から台北までの区間を乗車したのですが、

団体で乗っていた私たちの車両以外はガラガラでした。



今年の初めにやっと開通したようで、

日本の鉄道技術で完成した時速300kmは出せるという真新しい車両と

レールの組み合わせは快適で、あっという間に到着してしまいました。



残念ながら去年のスイスとフランス間のTGVの旅ほどの感激はなかったです。



短時間だったことと日本の新幹線との差があまりなかったからでしょうか?





賞味期限

2010年08月27日 | アジア
台湾でも海外旅行がブーム。

人気のある目的地は、北海道だとか。

私もそうだが、台湾の人たちも北へ憧れるのだろうか?

特に雪は珍しいことだろう・・・

(私の参加した台湾パック旅行は、この時期の北海道旅行より遥かに安かった。)

北海道と云えばここ最近、“賞味期限”の件が話題になっている。

食事中だったので、自然に卓上にある“台湾ビール”のラベルに目がいった。

「このビール、96って書いてるで! もしかしたら10年前のんやろうか?」

「まさかワインと違うから、そんな年代モン出て来ーへんやろう?」

「いやいや・・・わからへんで~」

ここは台湾。

お国が違う訳やから、年代表記の仕方も違うって後から分かった。

※1912年 辛亥革命で清朝が倒れ、中華民国が樹立してからの年号が表記されていたのだ。

夏の終わりの恒例行事

2010年08月27日 | 我が家
我が家の夏の終わりの恒例行事。

夏の終わりは家族総出で“植木屋さん”の手伝い。

いつも8月の最後の土・日曜日は“植木屋さん”が庭の手入れに来てくれる。

私もコスト削減と趣味の園芸の手習いを兼ねて庭の片付け。

小さな“攫い”と“み”を持って葉っぱや小枝?を集めるのだ。

ただし、熱中症の対策は万全!

例えば昨日の水分補給。

・10時の休憩に500mlのロング缶

・昼食時に500mlのロング缶と少しだけ昼寝

・15時の休憩に500mlのロング缶

・夕食時に大瓶2本

・風呂上りに500mlのロング缶

・その他、お茶やポカリスエット等・・・

もうすぐ9月やと云うのに、なんちゅう暑い日続くねん!

ビール冷える前に飲んでしまうやないか!

庭が綺麗になると、我が家にも9月がやって来るのです・・・

「写真;台湾ビール」

2度あることは3度ある

2010年08月27日 | アジア
2度あることは必ず3度あるのでしょうか?

最初は3年前の冬、流氷を観に北海道・知床へ行った帰りに、発達した低気圧の通過に遭遇し、飛行機が飛ばなくなって網走の町に2日間缶詰になったことがあったのです。
そして2度目は昨年の夏の超格安パック旅行、ヨーロッパからの帰りに中国・北京で飛行機の乗り継ぎの際、もともと乗り継ぎの待ち時間の長さにうんざりしていたのに、激しい雷雨のため飛行機がさらに3時間ほど飛びませんでした。おかげで関空着20時の予定が23時着となってしまい、家に帰る方法が無いという状態になってしまったのです。そして3度目は今回の旅の出発?台風8号は天気図で見るかぎり確実に台湾を予報円の中に捕らえていました。最初、台湾南部の方向だったのですが時間の経過とともに北を向き、空港のある北部に接近するのです。

旅行社に電話で問い合わせても午前の便は飛んだとのこと・・・必ず空港に集合して欲しいとのこと。集合時刻は19時、出発は21時、6時間待って出発出来なかったらこのツアーを中止し、全額返金するとのこと。私は空港で午前3時まで待って旅行が中止になる状況を想像してしまいました。

当日、飛行機は大急ぎで離陸し、24時頃にホテルに入ったのですが翌3時頃には凄い暴風雨の中にいました。

さらに帰国前夜、屋台で食事をしているとTVは那覇空港・飛行機炎上事故のニュースを伝えていたのです・・・

本当に2度あることは3度あるのでしょうか?


マッサージ師が先にお風呂?②

2010年08月27日 | アジア
昨日の話の続きを詳しくとの要望があったので・・・


ホテルに到着し、着替えもせずに始まった家人の全身マッサージ。

マッサージ師がつけた部屋のTVは日本のバラエティー番組だった(音声は日本語、字幕が中国語)。

家人の2倍ほどの体格のある女性マッサージ師は、マッサージをしながらそれ見て笑っていた。私もその横で90分間TVを見ていようかと思ったのだが暇でしょうがない。マッサージ師とも話そうとするが、 日本語は殆どワカラナイと答える。

私はTVを観ながら、たまに家人に「どうでぇ? 気持ちええかぁ?」と声を掛けるだけだった。その間にもマッサージ師の携帯電話は何度も鳴る。



そして私に何度も先に風呂に入るようにしきりに勧めるのだ。


私は風呂に入ることを決心し、スーツケースを開け、着替えを探した。


“一体私が風呂に入ったらどんなことが起こるんやろうか?”と想像すると、手荷物の鞄を持って逃げるか、鞄の中から財布やパスポートなどを持ち出すかしか浮かんでこない。(実は、我が家はこの7月に空き巣に入られてしまったのだ・・・)


私はスーツケースから着替え類を外に出し、空いたスペースに鞄2個を入れ、鍵をかけた。


そして風呂にそのスーツケースの鍵と何かあったら追いかけられるような服も準備して入った。


聞き耳を立てながら風呂に入ったのだが、シャワーとはこんな時に不便なものだと痛感した。


風呂からあまり急いで早く出ると人間が小さく見られるかと思ったのも、小市民の考えることなのだろうか・・・


風呂から出ると何事もなく?マッサージ師はTVを見ながら笑い、家人にマッサージを続けていた。

家人は2時間もマッサージを続けて指が痛くならないのかと質問していた。

彼女のマッサージは家人の腰痛にも効果があったようである。

「写真;台湾・高雄の六合路夜市」

マッサージ師が先にお風呂?

2010年08月27日 | アジア
今回の旅の2泊目は、高雄という南部にある台湾第二の都市だった。

市内観光のバスの車中で、現地ガイドが“マッサージ”の予約を取りだした。

家人は肩こりがひどく、ここ最近は腰が重いとよく言っている。

その日は台風通過の影響で外出も出来そうになかったので、ホテルにマッサージ師を呼ぶことにした。

午後8時、夕食を済ませてホテルに入ると部屋の前には、すでに体格のいい女性のマッサージ師が1人待っていた。

家人が全身マッサージ(90分)、私は足裏マッサージ(30分)を予約したので、ガイドからは2人のマッサージ師が来ると聞いていたのだが、1人しかいない?

手荷物とスーツケースを下げて部屋に入ろうとしているのに、「アワテナクテ イイカラ・・・」と言いながら、そのマッサージ師も一緒に部屋に入ってこようとするのだ。

そして、今日は忙しくて1人しか来れない。先に家人の全身マッサージからする。だからその間に先に風呂に入るように私に言うのだ。

そのマッサージ師はしきりに携帯電話で誰かと連絡を取っている。ドアの外には連れがいるのか?

私は、着替えもせずに始まった家人のマッサージを横で見ながら、“私が風呂に入ったら一体どんなことが起こるんやろう・・・”と想像した。

部屋の中にはまだ開けていないスーツケースが1個と、私たちの手荷物の鞄が2個。

当然、貴重品は手荷物の鞄の中に入っていることは明らか・・・

マッサージで家人は眠ってしまうかもしれない。

私が風呂に入っている間に、そのマッサージ師がその鞄を2個持って逃げてしまったら・・・

せやけど・・・ 鞄2個持って風呂に入る訳にもいかへんしなぁ~


無事帰宅

2010年08月27日 | アジア
昨夜遅く帰宅しました。

台風8号(SEPAT)と先を争うかのように出国し、

台風が頭上を通過していくのを見送るかのような旅でした。

一昨日の夜は屋台で食事をしながら、

那覇空港での航空機炎上事故の報道をTVで見ていました。

また、今日からブログ再開します!

「写真;台湾・高雄にある蓮池潭風景區」


和三盆

2010年08月27日 | グルメ
是非見てみたかった“阿波の土柱”からの帰り。



第10番札所の看板があり、次に第9番札所と・・・



これまで訪ねたお寺の近くを遡るように通過して行く。



信号待ちをしていた時、助手席でガイドブックを見ていた家人が



「私、ココ行きたい!左に曲がって!」と云う。



「ココって何処よ?」

「岡田セイトウショと技の館」



「岡田セイトウショって何作ってる所?」



「砂糖やねん。阿波和三盆糖って聞いたことない?」



「サトウキビって暑い所、沖縄とか奄美とかで出来るんと違うの?」



技の館に到着したのだけれど、月曜日は休館日。



和三盆ソフトクリームはお預け・・・残念・・・



次は岡田製糖所へ。



製糖の道具を展示した資料館を見学したいと申し出たのだけれど。

展示品の多くは“技の館”に移したのだという・・・



近くの畑ではサトウキビが夏の日光を浴びて育っていた。

このサトウキビ畑の土壌は“阿波の土柱”を創った地層が風化侵食を受けたもの。

この地層は中央構造線に沿って東へ延び、大阪南部ではアンモナイトの化石を含む。


ゴールデン・バット

2010年08月27日 | 自宅から西へ
四国遍路の途中立ち寄ったうどん店で会計をしようとした時、

レジの横、カウンターの上に笊に盛られた緑と黄色の箱の山を見つけた。

よく見ると“ゴールデン・バット”と“しんせい”(タバコ)だった。

懐かしい!“ゴールデン・バット”は近所の爺さんが好きやったタバコ。

その爺さんは土建屋のご隠居さんで親父の連れやった。

よく我が家のことを手伝ってくれてた。

子どもが出来たとき、鯉のぼりの竿を固定する支柱を入れる穴を一緒に作った。

他には門扉の基礎工事や水路なども手伝ってくれた。

作業の合間の一服が、この“ゴールデン・バット”やったなぁ~。

当時、私もタバコを吸っていたので、両切りのタバコが気になってしかたなかった。

「こんな(昔の)タバコ、何処に売ってんの?」って聞いたら、

「四国へ行った時、まとめて買うてくるねん。」って言ってたなぁ~。

偶然、そのタバコを遍路途中のうどん屋で見かけるとは・・・

今は盆、爺さんの墓に大好きやったタバコを供えて来ようかと思ってる。


四国遍路を続けた訳

2010年08月27日 | グルメ
先日書いたのは“お接待”、今日は“接待?”について。


そもそも私がこのようなお寺巡りを始めたのは、

先輩からのアドバイスがあったから。


「子どもも大きなって旅行に付いてこんようになったら、

 夫婦二人の旅はしにくいもんや。


 それに、○○とこは両親と同居で、しかも農家やろう・・・


 そんな時、年寄りに“お寺参り”って云うたら家を出やすいもんや。


 西国33や四国88やったら、何遍も行く理由になるやないか?」


それに家人はお酒を飲まない(飲めない)。


だから居酒屋などをあまり知らないのだという。


いつもいつも、酔っ払った私を迎えに来てくれている。


ただただ感謝・感謝・・・


だから二人で旅などに出た時は、私が“接待?”。二人で居酒屋へ。


ただ家人、飲めないお酒を飲んだ後が大変なのだ・・・


さぁ~四国88結願の次は何をしようか?


阿波の土柱

2010年08月27日 | 自宅から西へ
結願のあと、少し時間もあったので何処かに寄って帰ろうという話になった。

実は、第88番札所から第1番札所へどの道を通って戻るかを、

決めずに旅に出てしまったのだ。



私は、まだ見たことのない“阿波の土柱”を見たかった。



第88番札所門前の土産物店でその道を尋ね出発。



その道中で運転している家人に“阿波の土柱”の素晴らしい点 について

知っているかぎりの説明をする。

「よく似た地形は、世界中に阿波の土柱を含め3箇所。

 ロッキー山脈とアルプスにあるだけやそうや。」



「ロッキー山脈とアルプス?あとの2箇所は超有名で規模大きそうやん!

 どうやって出来たん?」



「長い年月、水の侵食やと思うんやけど・・・実物見たら分かると思う。」

実物見たら・・・唸ってしまった・・・





四国遍路でお接待

2010年08月27日 | グルメ
四国遍路と聞けば“お接待”をイメージする人も多いでしょう。



今回の旅の2日目、屋島の駐車場に車を停め、山門へと歩いていると



「お遍路さん!イイモノあげよう。」と声を掛けられた。



その老人はクーラーボックスの蓋を開け、中から何かを出そうとしてくださった。



あの日はとても暑くって・・・



早朝から目一杯のお寺巡りだったので、未熟な俄かお遍路さんの頭の中には・・・ イイモノが順にグルグル浮かんできた。



ナニヤロウ・・・イイモノって・・・期待に期待が膨らんで・・・



その老人がクーラーボックスから取り出したのは冷えた2個のトマトだった。

冷たくって生き返った感じがした。

「写真;お接待で貰ったトマト、後ろの池は源平の合戦の伝説残る“血の池”」




松下製麺所

2010年08月27日 | 麺類
2泊目は高松だった。



宿でガイドブックを読んでいると、ホテルから歩いて少しのところに製麺所があるとのこと。



そのでは作りたての麺を戴けるらしい。



朝は7時30分からの営業とある。



3日の朝、宿の朝食を控えめにして朝の散歩に出かけることにした。



ガイドブックの地図をたよりにそれらしい場所に到着。



製麺所を探していると、岡山ナンバーの若者3人が乗った車も探している様子。



さすがUDONブームは凄いものがある!



大きなシャッターがあり“松下”という表札のある家の前で「ここやろか・・・」と



言って待っていたら、その家の人がゴミを出しに出て来たので尋ねることにした。



「松下製麺所ってどこですか?」と聞くとおばあちゃんは丁寧に教えてくれた。



製麺所は小さな交差点をはさんですぐ斜め前だったのだ。



セルフだったので1玉150円の麺を自分で湯掻き、葱と天かすを入れ、だしを注ぐ。



ガイドブックで読んだオススメの温泉たまご70円もトッピングした。



計220円の今日2度目の朝食だった。



お店の常連さんに聞くと中尾彬さんも来店したとのこと。




四国遍路で“夏のソワカ”

2010年08月27日 | 自宅から西へ
昨日、家人が何か細長い紙の箱を抱えて嬉しそうに帰ってきた。

私はそれが何かのポスターだと思ったので

「誰のポスター? どうしたん?」と聞いた。

家人の友人が、韓国へヨン様の“冬のソナタ”を巡る旅に行き、

その土産とのこと。

「まだそのツアー残ってたんや・・・ あれは何年前のTVやった?」

ロッテ免税店に行くとヨン様のポスターがたくさんあると思って行った家人の友人は、

イメージキャラクターが変わっていてそれが無かったので、

店員に無理を言って店の奥からポスターを出してきてもらったとのこと。

そういえば先日の四国遍路・善通寺の暑い夏の境内、土産物店で“ソワカ”を見つけた。

最初見たとき、「ご真言 モジッテ ホンマニエエネンヤロカ?」と疑問に思ったけれど、

あらためて読むと、これはこれで罰も当たらへんやろうと思った。




丹生水銀抗跡

2010年08月27日 | 自宅から東へ
“神宮寺”の納経所で水銀抗跡への行き方を教えて戴いた。


お寺から少し離れた杉木立の中で出会ったのは、“水銀精錬装置”。


解説板によると「3本の鉄管に粉末にした辰砂と石灰を1 0対1の割合で混ぜて入れ、左の炉に詰めたおがくずに点火し加熱する。そこで辰砂に含まれる水銀は300℃具らいでガス化しはじめ、垂直の3本の鉄管にむかい。その途中で冷却されて液体の水銀となりこれを捕集する。残ったガスは左斜め下に伸びている鉄管を通り、円筒部で冷却させ捕集する。昭和30年代に月産340kgの水銀を生産していた。」


水銀抗跡の解説板には


「『続日本紀』水銀や辰砂が伊勢の国から朝廷に献上さ れたという記録があり、8世紀には丹生の水銀が広く知れていたことがわかる。奈良時代に建立された東大寺の大仏のメッキに約2tの水銀が使われ、その大部分が伊勢の国丹生産であったと伝えられる。平安時代に書かれた『延喜式』・・・鎌倉時代には水銀座・・・公害問題等から昭和48年閉山」とあった。


写真の2つの抗跡は右側が昭和に掘られたもの、左側が古代からのものだそうで、共に入り口は鉄柵で閉ざされていた。古い抗跡は殆どが下方へ30度前後の勾配をもっていて、せいぜい50m程の深さで浅く“たぬき掘り”と云われ、このような抗跡は百数十確認されているそうだ。


夏の暑い日に、この抗跡から出てくる空気がとても冷たく、暫くの間、どうかしてこの中に入れないのか?赤い石(辰砂)は残っていないのか?など探しながら、汗がひくのを待っていた。