e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

花散らしの嵐

2010年08月28日 | 我が家
先日、“”の嵐が奈良を通過した。

母も散ってしまうのかと心配したのだが、

何の反応も示してくれなかった母が、

4日ほど前から、僅かながら瞼を震わせ始めた。

そして、ついに目を開けたのだ。

何を見ているのか、見ていないのか分からない眼は、

私が声をかけるとすぐに閉じてしまうのだが、

日に日にその反応は大きくなり、首を動かすまでにもなった。

左手・足も少しは動くのだ。

母は散らなかった。

桜の季節、花よ散らないでくれと願うばかり・・・



春の夢

2010年08月28日 | 我が家
家人が母の夢を見たのだと今朝から言う。

「お母さん、びんずるさんになりやってん・・・

私、どこかのお寺にお参りしてるんやけど、

そのお寺のびんずるさんの顔がお母さんそっくりやねん。

頭を撫でたら笑いやってな・・・」

確かに病床の母は、手術の際に頭髪を剃られ尼僧のようだ。

私も、もう母は、仏さんになったのではないかと思う時がある。

手術の際に、母の身長や体重、血液型を聞かれても、しっかり答えることが出来なかった。

今の母は、150cmなかった身長がさらに小さくなったようで、体重も・・・

私は、この母の身体から生まれてきたことは事実なのだ。

今日、TVで四国・徳島の薬王寺が放映されていた。

四国遍路が懐かしい・・・

「写真;四国遍路・雲辺寺」

茨城と茨木

2010年08月28日 | 我が家
母が倒れて2週間が経過したが、母の意識は未だ戻らず。

今日も母に呼びかけるも、返事をしてくれるのは隣のベッドの爺さんのみ。

その爺さんの反応に、長男は悔しかったのか涙を流す・・・

母のベッドの爺さんと反対側のお隣さんは、51歳の男性。

母より1日前に入院し、この方も意識が戻らない。

ただただ目を開けて眠ったままである。

私たちは、この方の面会の方がどなたも見えられないのを不思議に思っていた。

先日やっと奥様らしき方を見かけた。

少し会話する中で、“イバラギ”の方だと分かった。

てっきり“大阪府茨木市”の方が、訳あって奈良のこの病院まで運ばれたのだと、勝手に思い込んでしまった。

さらに話をしていくと、“茨城県”の方???

「なんで奈良で入院なん?」

どうやら、仕事で奈良に来ておられて入院ということになったらしい。

“イバラキ”と“イバラギ”は違うのだ!

日に日に母の反応が無くなっていく、

母にアイロンをあててもらっていたYシャツも、今日着たのが最後の1枚だった。

約束

2010年08月28日 | 我が家
先日、こんな“約束”を見かけて一人いろいろ考えていた。

我が家も私が小学生の頃までは、両親に頼んで犬を飼っていた。

そのとき、母ともいろんな“約束”をしたよなぁ・・・

それじゃぁ・・・母と私との“親と子の約束事”は?

それは、はっきり決めてなかったけど、

まだまだこれからも時間があると思ってた・・・

「犬と私の10の約束」

1. 私と気長につきあってください。
2. 私を信じてください。それだけで私は幸せです。
3. 私にも心があることを忘れないでください。
4. 言うことをきかないときは理由があります。
5. 私にたくさん話しかけてください。
  人のことばは話せないけど、わかっています。
6. 私をたたかないで。本気になったら私のほうが強いことを忘れないで。
7. 私が年を取っても、仲良くしてください。
8. 私は十年くらいしか生きられません。
  だからできるだけ私と一緒にいてください。
9. あなたには学校もあるし友だちもいます。
  でも私にはあなたしかいません。
10. 私が死ぬとき、お願いです、そばにいてください。
  どうか覚えていてください、私がずっとあなたを愛していたことを。

「写真;吉野神宮の狛犬」





花起し

2010年08月28日 | 我が家
奈良も桜が満開です。

そんな風景を見ながら、昨日も病院へ。

ICUで、母に桜の花が満開であること。明日から4月になることを告げた。

母は目を閉じたまま何も返事をしてくれない。

以前はもっと手足を動かしていたのに・・・

我々に返事をくれたのは、隣のベッドに寝ているお爺さん。

「もう桜、満開やねんでぇ。早よう目覚まさんと、桜終わってしまうがなぁ。」と、母に声をかけると、

隣のお爺さんは、「そうか、もう満開なんや~ 早よう退院して花見にいかんなあかん!」と返事をしてくれる。返事が出来るのが羨ましい・・・

そんなとき、看護師さんが母の枕元で空き缶を床に落として大きな音をたてた。

我々に「すみません!」と謝ってくれたのだが、私はそれどころか、もしかしたら母が今の音で目を覚ましてくれるのではないかと期待した。

しかし、無反応・・・

「吉本新喜劇に出てくるような、金盥のもっと大きいのん落として母の目を覚ましてよ!」と看護師さんにお願いした。

病院からの帰り、親父を誘って母を除く家族5人で中華を食べた。半分以上自棄食いだった・・・

なんとも云えない、不安定な春の天気が続いている。


サボテンの花

2010年08月28日 | 趣味の園芸
いくら呼びかけても目を覚ましてくれない母の元から帰宅すると、

母とのいろんな思い出が蘇ってくる。

窓辺に置かれた“サボテン”もその一つだ。

写真のサボテンは、私が幼稚園の頃?、

家族全員と近所の知り合いの数家族とが自動車を連ねて、

和歌山県白浜まで海水浴に行ったときに買ったもの。

当時、我が家にはトラックはあったのだが、乗用車は無かった。

それで、親父が知り合いの自動車屋から借りてきた。

道路事情も悪い時代だったので、もの凄い時間がかかったことを記憶している。

今もそうだが、私は物事をすぐに決めるのが苦手である。

あの時も、旅行の記念に何か買おうということになったのだが、

私はなかなか決めることが出来なかった。

親父はそれに怒り出し・・・母はそれに気遣い・・・

私は急かされ、やっと自分の記念の品を、6~10種類ほどのサボテンの寄せ植えに決めたのだった。

それらのサボテンはその冬に殆ど枯れてしまったのだが、このサボテンだけは生き延び、40年以上、私と共に暮らしている。

ただし、一度も花を咲かせたことはない。

病院通いの交通事情

2010年08月28日 | 道路・鉄道・船
奈良盆地は小さな盆地である。

職場を早めに出させてもらって、今日も母の待つ病院へと向かう。

しかし、大和の交通事情が私の邪魔をする。

奈良盆地の南東部に住む私にとって、

北(奈良市の方角)に通じる道は1っ本しかない。

それしか無いから、朝夕方は特に混雑する。

何処を掘っても文化財・・・道路はなかなか整備されない。

母に逢える時間は13時30分から14時30分と、

18時から19時までの1日に2時間しかないのだ!

17時に仕事を終えて北へ走ろうとしても、

たかだか南北20kmしかない盆地なのに、病院まで1時間近くかかってしまう。

せっかく行ったのに本日のICU、訳あって母との面会時間は2分ほどだった・・・

「写真;二上山」


ICUと柿の葉すし

2010年08月28日 | グルメ
昨夜も病院のICU仮眠室で泊まり、ただいま帰宅しました。

母が倒れて一週間。不規則な生活が続いています。

正直言って病院で食べるコンビニ弁当やおにぎりに飽きてしまいました・・・

そんな時、見舞いの方が持ってきてくださる“柿の葉すし”が美味しいです。

やっぱり大和の名物やなぁ~

昔は“鯖”よりも“鮭”の方が好みだったのですが、ここ最近は、やっぱり“鯖”が美味しいですね!

「こんな3月に、なんで柿の葉っぱがあるねんやろう?」なんて思いながら、久々に独身生活を思い出しています。

母はいまだに、目を開けてはくれません・・・

皆様方からの励ましのコメント、感謝しています。

※昔々南朝の頃、空因親王が土地の人々から献納されたすしを柿の葉で包み、臣下に下賜されたと伝えられます。それ以来、祝いの食事として親しまれてきました。海から運ばれる長い道中、腐らないように鯖を塩でしめ、それを米とあわせる。米は押し寿司にして発酵させると長期の保存ができます。さらにそれを、抗菌作用や防腐作用などさまざまな効能のある柿の葉で包む。こうやって保存性と味わいを兼備した柿の葉すしは誕生したのです。


ICUと若草山

2010年08月28日 | 我が家
母の寝ているICUの部屋からは若草山がよく見える。

奈良の町並みを探すと、大仏殿も小さく見えるのだ。

母は何も話してはくれないので、

たまたまその時、そこにいた看護師さんに

「この部屋からは、若草山の山焼きが綺麗に見えますよね。」と声を掛けた。

看護師さんは「山焼きってもう直ぐなのですか?」と聞き返してきた。

私も疲れていたので、返事をしないで困った顔をしていると、

「山焼きって夏なんですよね!」って云ってきた。

私はさらに困ってしまった・・・

私は母が倒れたあの日以来、あの日、何故“高野山”に参ろうか、

家族総出の山芋植えのために延期になっていた“魚釣り”に行こうか、

天候との加減で非常に悩んだのかということばかりを不思議と思い出しては考えている。

高野山へは、やがては母に着せようと思っていた(四国遍路で八十八の印をもらった)白衣に、最後の高野山の印を貰おうとしていたのだ。

“赤心慶福” 赤福のこと

2010年08月28日 | 我が家
大きな出来事があると、偶然とか必然とか運命とかについて考えてしまう。

母が倒れる2日前の18日、仕事から帰ると食卓に“赤福”があった。

「珍しいなぁ~ どうしたん?」と母に聞くと、

何年かぶりに遠くで暮らしている母の一番下の弟が、我が家を訪ねて来たのだという。

「久しぶりに彼岸やからお墓参りに帰って来たんやて・・・

 そのついでに、顔見に寄ってくれたんや・・・いっぱい喋ってなぁ・・・」

母は嬉しそうに話し出した。

その後、母の話題は21日に予定している兄の入院・手術のことに・・・

(母は4人兄弟の2番目、男3人に女1人の兄弟。)

その見舞いにいつ行くのがよいか、すぐ下の弟とも電話で連絡を取り合ったのだそうだ。

私はそんな話を聞きながら、“赤福”を食べた。

本当に久しぶりに食べる懐かしい赤福の味だった。

母が言うには、“赤福”に難しいことを書いた紙が入っていたとのこと。

わざわざその紙を居間まで取りに行ってくれた。

読むと“安心してお召し上がりいただける「赤福餅」づくりに向けて”という内容だった。

印象に残ったのは“赤心慶福”という文字。

私は昨夜も病院に泊まり、眠り続ける母の元から先ほど帰宅した。

何処を探しても、“赤福”が見当たらない。

残っていたのはPCの前に置いたあの紙だけ・・ ・

甘いもの好きの母が、全部食べたんやろか?

母の兄には、母が20日に倒れたことをまだ伝えていない。

皆さんの温かいコメント感謝しています!

彼岸西風

2010年08月28日 | 我が家
ここ数日、いろんなコメントを戴いていたのに返事を書けませんでした。

実は20日に母が倒れたのです。

この日は日本列島の南岸を前線を伴った低気圧が通過。

近畿地方は午後から天気回復の見込み。

私たちは、子どもの希望を聞いて和歌山へ魚つりに出発。

最後まで、高野山へ参るかを迷っていたのですが・・・

お昼に雨は上がったのですが、魚は殆ど釣れず。

子どもを送って神戸へ向かおうと高速道路を走っている最中に、

母が倒れたとの連絡を受けました。

母は、あの日もいつもと同じように共に朝食を摂り、我々の出発を見送ってくれていたのです。

病院で緊急手術を受けたのですが、まだ意識は戻っていません。

しばらく、記事が書けないかも知れませんが今後ともよろしくお願いします。

謎のラーメン店

2010年08月28日 | 麺類
五年ほど前までは、東隣の町で飲む機会が多かった。

楽しく飲んで終電を待つまでの間、必ず“ラーメン店”に入っていた。

ただ、その“ラーメン店”の店の名前を知らない。

あの角を曲がって路地を行くと、大きな赤い提灯が見える。

その提灯には“ラーメン”とだけ書かれていたと思う。

しかし、その記憶には自信がない・・・

それはかなり酔った状態でしか、その店に入ったことがないからだ。

ほとんどの場合、お化け屋敷にいるような老女が注文を聞きに来て、ビールを飲みながらラーメンを待ち、そのうちに意識が・・・

ある日、「家族でラーメンを食べに行こう!」という話がまとまり、どこの店に行くかで話をしていると、子どもたちが「お父さんがいつか話していた“お化け屋敷”のようなラーメン店!」と言い出した。

夕方、全員で車に乗って出発したのだが、店の場所がよく分からない。

明るい時に行ったことがないから、町並みがいつもと違って見えるのだ・・・

やっと、店を探して入店するが、誰も出てきてくれない。

何度か声を掛けると、店の奥から水の滴ったザンバラ髪の老女が出てきた。

どうやら店の奥の流しで髪を洗っていた様子・・・

ラーメンを注文しても、「オトーちゃんが外出しているので、待って欲しい。」と言う。

暫く待って、オトーちゃんが帰って来て、ラーメンが出てきたら、

そのラーメンには、スライスハムがのっていた。


お水取り

2010年08月28日 | 県内
今朝の新聞に“お水取り”が大きく載っていた。
“奈良・東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)(お水取り)で12日夜、長さ約8メートルの「籠松明(かごたいまつ)」が登場し、舞台から激しく降り注ぐ火の粉が、堂を赤く浮かび上がらせた。
籠松明は、練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11人の僧侶が二月堂に向かう際、補佐役の童子(どうじ)が掲げる道明かり。童子が重さ各60キロ前後の籠松明11本を欄干に突き出して振り回すと、炎が一段と大きくなり、境内を埋めた約3万3000人を魅了した。
13日未明には、二月堂の本尊・十一面観音に供える香水をくむ「水取り」も行われ、1257回目となる修二会は15日未明に満行を迎える。”

昨年、見に行ったその感動を家人に伝えたかったのに、

帰りの電車の中で、少々酔っていたからかデジカメの動画を消去してしまったのだ。
今年、一緒に見に行こうと約束してたのに、家人は風邪気味・・・
14日に終わるんやから、今日と明日しかチャンスはない。
明日は雨?
まぁ~来年の楽しみに残しておこうかなぁ~
今夜は家でおとなしく、TV『鹿男あをによし』でも見とこかなぁ~
机の横の本棚には、新聞紙の上に焦げた杉葉。
私が去年、お水取りが終わった後、東大寺二月堂で拾ってきたもの。
早いもので、もう一年が過ぎたんや・・・
奈良にもまた春が来たんやなぁ~


悪人正機説

2010年08月28日 | 我が家
当麻寺の境内を散策していると、突然“善人”という文字が目に入ってきた。

別に本名でもないのに、こんなに反応してしまうということは・・・

この名前を使い出して2年を過ぎたので、自分のことと思うようになったからやろか?

いやぁ~ やっぱり~“善人”と聞くと、心の中に “?”マークが点灯するからやろう・・・

やっぱりお寺で“善人”と聞くと『悪人正機説』。

鎌倉時代に活躍された親鸞聖人の言葉で、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という悪人正機説と呼ばれる教えがある。
親鸞さんは、自力作善の善人が自ら悟りを開こうとして仏に頼る気持ちが薄いのに対して、悪人は自己の力によって悟りえず仏の救済に頼るしかないので、悪人こそ阿弥陀さまの救いの対象になるのだとお考えになられた。
そこで、一般には悪人が救われるのだから善人が救われて当然と考えがちのところを、親鸞さんは、逆に善人が救われるのであるから阿弥陀さまの救いの対象である悪人が救われないはずはないと、この言葉を残されたのだと言われている。

私はやっぱり悪人なんやろなぁ・・・

写真を正面から撮ったら、そこに自分が写っているのを見て驚き慌てて消去した。

華の香は
風にさからいては行かず
栴檀(せんだん)もタガラも
マリカもまた然り
されど
善き人の香りは
風にさからいつつもゆく
善き人の徳は
すべての方に薫る (法句経54番)


折口信夫『死者の書』

2010年08月28日 | 読書
先日、ブック○○に行った。

いつもの場所の“105円コーナー”に行って本を探し、手にとって裏表紙の解説を読むと自然と価格が目に入った。

いつもの“105円”と違うやんか!

何故?あたりを見回すと、いつもの“105円コー ナー”の表示がない。

大好きな“105円コーナー”は廃止になってしもたんやろか???

店内を探すと納得、105円コーナーの棚が移動してただけや!

そこで偶然、折口信夫の『死者の書』に出会った。

以前、『死者の書』は自宅にあったが、誰に貸したか所在不明。

購入のチャンスやんか!

でも・・・老眼鏡かけて読んでも、私には難しすぎた・・・

もう太陽は春の日差し。

三輪明神から見る日没の位置は、日々着実に“二上山”、“当麻寺”の方角に移動している。

今日、この本にも登場する“磐余”とよばれる地域の近くに住む私が、所要があって二上山の麓の當麻へ・・・

折角やからと、当麻寺の境内を散策した。


境内で思い出すのは『死者の書』のこと。

「平城京の大貴族藤原南家の姫は、当時のもっとも新しい文化、仏教に目覚め、称讃浄土経の千部手写を始めていた。 春の彼岸中日、夕陽が二上山の山あいに沈む頃、荘厳な俤が煌めき浮かび上がるのを見た。再び巡ってきた春の彼岸中日、姫は千部目を写し終えて山を見た。・・雨。姫は何処をどう歩いたのか覚えが無い。 何かに導かれるように二上山のふもとへ来てしまった。落慶したばかりの女人禁制の当麻寺の境内である。」

本堂前の中将姫の像は、その西塔を拝んで立っておられた。

境内、二上山を背景に建つ二つの三重塔が美しい。

春の休日、都合つけば久々に二上山に登ってみたいなぁ~