e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

旅の終わりは“THE KENCHO”

2010年08月28日 | 自宅から西へ
鵜戸神宮参詣後、バスは堀切峠を越えて青島へ

残念ながら私のバスの座席は山側だった・・・


青島神宮で印象に残ったのは“鬼の洗濯板”と“東国原知事の絵馬”。

「宮崎浮揚 宮崎をどげんかせんといかん」

そうやぁ~奈良もなんとかならんやろうかぁ・・ ・

その後、この旅最後の見学地である今話題の“宮崎県庁”へ。知事効果があって、宮崎県庁を見学した人は1月に30万人を突破したとか・・・

以下“宮崎県庁ツアー”の流れ

①県庁職員の自己紹介
観光バスを県庁内に停車させると、職員さんが出迎えてくれた。
約40人の職員が、職務の都合をつけて説明案内係をしているのだとか。
今日の職員は、甘いマスクの20代後半の男性・・・
ツアーのオバチャンたちは、2泊3日の行程の中で最も熱心に聞いていた。

② 県庁の建物の説明
1932年に建設され九州では唯一戦前から残る県庁で、全国で4番目に古い。

③正面前庭の説明
正面前庭は宮崎県のそれぞれの地方を表している。
正面中央のワシントニアパームの木が一番古く、かなり弱ってきていたとのこと。
しかし知事効果があってか、最近葉っぱが少しだけ生えてきたそうだ。
知事の頭部に木も似てきたらしい?

④ 玄関にある等身大パネル
よくTVで見るモノ。すべての見学が終わった後、ここで記念撮影の予定。
とりあえず建物の中へ

⑤ 正面階段の手すり
階段手すりは大理石。その中に見られる化石についての説明がされていた。
この階段を知事執務室のある2階へと上る。

⑥ 知事執務室
東国原知事の執務室は2階の東側端にある。
あの日、知事執務室には 明かりが点い ていた。知事が執務中の証拠だとか?

⑦ 記念撮影
知事執務室前の廊下を通り別の階段を下りて他の出口へ。
県庁建物の周囲を歩き再び正面玄関へと戻る。
その後、あのパネルと共に記念撮影。
もちろんあの等身大のパネルの額に手を当てて。

⑧ 物産館
県庁の建物は全部で8棟ほどあるらしい。
道向こうにある県の物産館でみやげ物を購入した。

南九州工場見学

2010年08月28日 | グルメ
パック旅行の定番と云えば、みやげ物店めぐり。

今回は、それ以外に1日1箇所の“工場見学”が付いてきた。

・“軽羹(かるかん)”工場の見学。
かるかんの栞には、『二十八代当主島津斉彬が、播州明石の菓子職人八島六兵衛を江戸から連れ帰り御 用菓子職人にした。六兵衛が薩摩の山芋と良米に目を付け苦心の末完成したのが軽羹。』とあった。
私は“軽羹”工場の壁に飾られた約300種類の焼酎のビンを眺めて感激というか・・・

・くろず情報館「壷畑」
最近は“黒酢”の大ブームである。家人も毎日愛飲しているようだ。
先日は母にTEL有り。どうやら“黒酢”の押し売り?身体に良いからと勧められ、断りきれずに購入してしまったとのこと。値段を聞いて驚いた!1本8000円と云うではないか・・・
そんなことを思い出しながらの見学。
桜島をバックに約52000個の壷が並ぶ風景はなかなかのものだった。
“黒酢ソフトクリーム”を買って食べた。

※ この近くで“森伊蔵”の酒造会社と社長さんの邸宅を拝見した。幻の焼酎“森伊蔵”・・・私もグラス1杯だけ飲んだことがある。邸宅を拝見し、ヨオモウケハッテンナァ~と感心した。

・“芋焼酎”工場
“霧島酒造”の工場見学。ここも最近の焼酎ブームで儲かってるのだろう。
最新の工場内は“芋”焼酎の匂いでいっぱい。お酒に弱い家人は、その匂いだけで少し酔っていた様子。私もある意味お酒に弱く、今朝は二日酔い・・・
だからあの工場見学後、“黒霧島”を試飲させて戴きウレシカッタ!

※焼酎粕と環境問題
最大で400t/日の焼酎粕からバイオガス約20,000立方メートルを回収し、併設された焼酎粕脱水ケーキ飼料化プラントの乾燥設備の燃料として使用する。
(バイオガス20,000立方メートルから発生するエネルギーは1万世帯の1日の電力消費量に相当。)

このツアーの参加者も、見学地に着くと必ずと云っていいほど何か土産を買ってバスに乗り込んでこられることに感心していた

鵜戸さん参り

2010年08月28日 | 自宅から西へ
“鵜戸さん参りは春三月よ 参るその日が御縁日
 参りゃとにかく帰りの節は つけておくれよ青島へ”

『しゃんしゃん馬道中唄』

“鵜戸さん参り”は、七浦七峠と呼ばれる険しくつらい路を、花嫁を馬にのせ、花婿が手綱をとって、鵜戸神宮へ向かい、宮参りをして家路につくという旅で、宮崎周辺の農家の風習であったといわれている。

駐車場から階段を上り、トンネル抜けて再び階段を下り海辺へと、かなりの距離を歩いた。途中にあったイノシシへの注意書きに吃驚!

本殿は、海を臨むすごい崖を下りたその途中に開いた岩窟の中にあった。

御本殿のある岩窟にある「おちち岩」は、豊玉姫が乳房をひきちぎり岩にくっつけていかれたとされる伝説の岩で、そこから滴り落ちる清水で作る「おちちあめ」を母乳がわりにして、御主祭神は育ったといわれているそうだ。

そのことより“運玉”のこと!

磯辺の奇岩群の中でひときわ目を引くのは亀石。その背の部分には注連縄で囲まれた桝形の窪みがあり、それをめがけて「運玉」を投げ入れ、見事に中に入れば願い事が叶うという。粘土の素焼きで作った「運 玉」を5個100円で購入し、男性は左手で、女性は右手で、願い事をしながら桝形をめがけて投げる。

家人は1個入ったのに、私はかすりもしなかった・・・

クヤシクテ、クヤシクテ・・・!!

この場所が、日本神話である「山幸彦・海幸彦」の伝説の舞台だという。

女優の水野真紀さんが宮崎県知事をモデルとしたドラマのロケで来ておられたのに、私は会うことができなかった・・・残念・・・

霧島で見たモノ

2010年08月28日 | 自宅から西へ
たった2泊3日の旅だったのに、まだそのことを書いている。

忘れてしまう前にブログに残しておきたいから・・・

・ 霧島神宮
天照大神は、孫であるニニギノミコトに、高天原から降りてこの国を治めよと命令した。ニニギノミコトは三種の神器を譲り受け七人のお供の神と一人の道案内(猿田彦命)の神と共に高千穂の峰に降りたのだ。これが天孫降臨の神話の由来。
このニニギノミコトを祀ったのが霧島神宮で6世紀に造られたのが始まりです 。

・招霊の木(おがたまのき)
アメノウズメノミコトが岩戸の前で踊ったという招霊の木

・さざれ石
この石の学名は石灰質角礫岩。石灰石が雨水に溶解してその石灰分をふくんだ水が時には粘着力の強い乳状体となり、地下において小石を集結して次第に大きくなる。
昔、東京・虎ノ門にあった旧○○省の中庭でその石を発見!ジャンケンで負けた者がその石に〇〇をするという罰ゲーム。結局、勇気なく未遂に終わった。その昔話を家人にしたら、エライ怒られた・・・

・九面
今から300年位前、霧島神宮に祈願するために奉納された九つの面。主に伎楽面・猿田彦面で、当時石工として有名な海老原源左衛門が奉納したと言われている。神面の数は九つで、この面を拝すれば工面(九面)がよくなるとのことで、拝観に訪れる人も多い。また、工面がよくなるということから商工業者に信仰されて、屋号や商品などに使われている。土産を兼ねて小さなものを1つ購入した。

・坂本竜馬とおりょう
慶応二年(1866年)日本の歴史の大転換期に坂本龍馬と妻おりょうは、薩摩を訪れている。京都伏見の寺田屋事件で幕史に襲われ九死に一生を得た龍馬は妻おりょうとともに霧島の山深く入り温泉で傷を治しながらその足で霧島山(高千穂)の峯にある天の逆鉾を見ようと妻おりょうと高千穂登山をしている。これが日本で始めての新婚旅行?

・湯煙
やっぱり旅の楽しみは温泉! ええ湯やったなぁ~

・高千穂の峰
昔、歌がありましたよね・・・


田の神さあ

2010年08月28日 | 自宅から西へ
私は長崎鼻の売店が続く道の脇で、木の下に一体の石像を見かけた。

なかなかの雰囲気をもったお顔をしておられたので、記念に写真を撮った。

竜宮神社にお参りし、その境内にあった小さな祠の前にも不思議な神様を2体発見。

なんとなくこれらの石像が気になりながら、指宿の温泉へ。

2日目の見学地の売店で『南九州 田の神』とかいうタイトルの写真集を見かけた。

表紙を見て欲しいと思ったのだが、定価を見て諦めた。

2泊目の霧島温泉に到着すると、すぐに着替えて温泉へ。

露天風呂に入ろうと歩いていくと、露天風呂の生垣の前に“田の神様”を発見!

なぜ分かったかって?それは、解説の板が横に立てられていたから。

私は入浴をしながら、この“田の神様”を写真に撮る方法について考えた。

深夜に撮ると、ストロボで“覗きのオジサン”に間違われてしまうし・・・

せやけど、朝風呂でも根本的には一緒やしなぁ~

翌朝、バスの出発時前に撮ることに決めた。

家人にこの話をすると、女湯の洗い場にもなにやら石像があったとのこ と。

まさか女湯にまで入って行くことは出来ない。

朝食後、田の神様をやっとの思いで撮影しバスに乗ろうとしたら、

ホテルの駐車場の横にも一体あるではないか!

バスガイドに聞くと、“タノカンサア”と呼ぶのだそうだ。

「後姿も見た方がよい」とのことで後ろにまわると、

それは男性のシンボルだった・・・

最終日はバスに揺られながら、田んぼの畦に“田の神様”いないかなぁ~と、そればかりを探していた。

車窓から3体ほど見えたかなぁ~

※鹿児島の田んぼの畦道を歩いていると、「田の神さあ(タノカンサア)」とよばれる石像をよく見かける。田の神は、その名の示す通り田んぼを守り、米作りの豊作をもたらす農業神。稲作のある日本全国の各地で信仰され伝承されているが、それが石像として田んぼの畦などにあるのは、鹿児島を中心とした旧薩摩藩領(鹿児島県本土および宮崎県南部)に限られる。現在、約2000体の田の神が確認されていると言われている。

開聞岳

2010年08月28日 | 山・川・水・温泉
“あなたがいつか 話してくれた 岬を僕は 訪ねて来た・・・”

薩摩半島の最南端の岬“長崎鼻”。昔から憧れていた開聞岳を眺めながらその岬をバスの旅をすることができた。そこで見かけたもののメモ。

・原油中継備蓄基地
わが国初の原油中継基地。大量輸送によるコストの引き下げと石油の安定供給を目的として昭和42年に着工。現在、原油タンク57 基、貯油能力735万KL(日本の石油消費量の約2週間分)の世界最大級の原油中継備蓄基地として稼動中。
私には海岸で作業をしている人たちの方が気になった。潮干狩りかと思ったが、海苔の採集と養殖とのこと。

・今和泉
昨夜も『篤姫』を見ていた。この地名のつく看板等を車窓から何箇所か見たのだが、写真を撮ることができなかった。

・池田湖
九州最大のカルデラ湖。周囲19km最深部233m、幻の怪獣イッシーで有名になった。そこに住んでいる大ウナギは大きいのは体長2m胴回り50cmもあるという。南国の春は早く、写真を撮ろうにも菜の花畑は終わり頃だった・・・

・開聞岳
開聞岳は、標高922mのきれいな円錐形をした秀峰。富士山に似ている所から薩摩富士とも言われ、深田久弥著の「日本百名山」にも挙げられている。

・竜宮神社
浦島太郎伝説発祥の地と呼ばれている。

・玉乃井
神代の昔から日本最古の井戸といわれ、彦火々出見尊の妃豊玉姫が朝夕汲まれたといわれている。

・桜島小みかん (島みかん)
直径4cmほどの世界一実のなるみかん。最高記録は1本の木に約24,649個。一袋300円で購入した。購入の翌日、みやげ物屋のおじさんと話していると、食べる旬(12月)が終わっていると言われてしまった。どおりで味が・・・

・前田利衛門
“前田利衛門”はサツマイモを当時の琉球王国から日本へ伝えた薩摩藩武士。私は既に隣町の居酒屋に、その名の焼酎を一升瓶でボトルキープ済み!ただ、彼がどんな人だったのかを初めて知り納得した。


下げ門

2010年08月28日 | 自宅から西へ
今回の旅で宮崎県日南市飫肥(おび)の城下町を散策していたとき、武家屋敷の通りで、“下げ門・お雛様”を展示している家を見かけ立ち寄った。

座敷一面のお雛様・・・家人はコレに弱い・・・

そこには天井から賑やかに名前の知らないモノがぶら下がっていた。

聞いてみると“下げ門”とのこと。

遠く離れた地域の風習を真似てみたところ、人気が出て広がったとのこと。

なら町の“身代わり猿?”、飛騨の“さるぼぼ?”に似たものも登場しているではないか!

“下げ門”について調べると、福岡・柳川の地名がでてきた 。

“さげもん”とは、旧柳川藩時代に女の子が生まれた時、親戚、知人から贈られた着物のはぎれで、この子が一生幸せでありますようにと祈りを込めて、縁起のよい「鶴」「兎」「宝袋」「三番鼠」「這い人形」など一針一針縫い上げた手作りの布細工と鮮やかな七色の糸で巻いた柳川地方伝統の大まりを下げ輪の中央に、小まりと縫いぐるみを交互に下げ輪につりさげたもののようだ。

布細工の数は7×7=49であるが、子どもの健やかな成長と人生50年といわれていた時代に、1年でも長生きしてもらいたいという親の願いをこめ、さらに縁起をかつぎ、50に。しかし50という偶数では割り切れるので、さげもんの輪の中央に大きな毬を2個さげて51にして飾るようになっ たと言われている。

そして、それぞれの飾りには意味があるようである。

・ 兎;おとなしく、でも雪山を元気に遊びまわる

・ 梅;寒さに耐えて、春に先がけて咲く

・ 桃の実;完成

・ 這い人形;産まれてハイハイするようになった親の喜び

・ 金魚;緩やかに泳いで人の目を楽しませる、優雅さ

・ 鳩;幸せと平和のシンボル


そんなお雛様とさげもんをバックにして、私と家人はその家の縁側に座り、記念写真を撮ってもらった。

◎鹿児島の尚古集成館では島津家に伝わるお雛様が展示されていた。
写真撮影は禁止だったので、仙巌園で見た「薩摩糸雛」の写真のみ。
「薩摩糸雛」は顔が無く、一束の糸を後ろに垂れさせただけのお雛様だった。
「薩摩糸雛」の周りに展示されていた土人形に興味が湧いた。


知覧の桜

2010年08月28日 | 自宅から西へ
今回の旅で最も訪れたかった場所は“知覧”。
バスが知覧の町に近づいた頃から、ある曲が私の頭の中から離れない。

貴様と俺とは 同期の桜
   同じ○○の庭に咲く
    咲いた花なら 散るのは覚悟
      見事散りましょ 国のため

バスガイドは戦争・特攻隊の話をはじめた。
富屋食堂の鳥浜トメさんの『ホタル帰る』と『最後のアリラン』の話だ。
車中から弾薬庫の跡や給水塔の跡が見えてきた。
今、バスの走っている道路は、戦争当時、滑走路だったという。
この場所から多くの若者たちが、南にある開聞岳を目標にして飛び立った。
やがてバスは、知覧の桜並木の横の駐車場に停車。
桜の蕾はまだ固く、できれば桜の花の咲く頃に訪れたかったのだが・・・
“知覧特攻平和会館”を見学。
若者たちが残した遺書に目を通すことは出来ても、
彼らの顔写真にしっかり見ることが出来ない。
我が子たちとほぼ同年齢の若者が、私を見ていたからだ。
しかも、悲しい顔をした者は誰もいない・・・
私は涙もろいのだ・・・
平和会館の隣にあった特攻平和観音は、
大和法隆寺の夢殿に奉安してある秘仏「夢ちがい観音像」を
特別のお許しを受けて謹鋳した金銅像だという。

『ホタル帰る』
映画「俺は 君のためにこそ 死にに行く」のモデルとなった、感動 の実話。
鹿児島県知覧町 終戦間際の昭和二十年、特攻隊として知覧飛行場から飛び立って行った 二十歳前後の若者たち。
彼らが母として慕っていた富屋食堂の鳥浜トメさんと、その若者たちの感動の物語。
特攻隊として飛び立つ前日の夜、みんなトメさんに会いに富屋食堂に行き、夕食をとり最後の手紙を書いていたという。
その中の一人の話  
飛び立つ前日の夜 冨屋食堂を訪れ、「明日 俺は特攻隊として飛び立つけど、明日の夜 ホタルとなって この冨屋食堂に帰ってくるから、その時はみんなで同期の桜を歌ってよ 」と言って、翌日、飛び立って行った 宮川さん。
その日の夜 冨屋食堂のわずかに開いた表戸の隙間から、大きなホタルが入ってきた、それを見たトメさんと一緒にいたみんなで、「宮川さんが帰ってきた」と言って、涙でくしゃくしゃになりながら同期の桜を歌ったと言うのです。

鹿児島市内で見たもの

2010年08月28日 | 自宅から西へ
鹿児島市内で見たものを忘れる前にメモしておこう。

・西郷さん
やっぱり鹿児島では、大久保さん、篤姫さんよりも、1番人気がおありのようです。
知事さん候補では「お隣・宮崎県 に対抗するなら長渕剛がいい!」と、バスガイドさんは言っていました。

・西南戦争の跡
写真は、西南戦争のときの弾痕だそうです。
昔、日本史で習ったのですが、あまり詳しくは覚えていないので、
もう少し勉強したいと思っています。

・鶴丸城跡
「鹿児島は城をもって城とせず、人をもって城となす。」の精神から、
天守閣もなく質素な屋敷だったそうです。
篤姫は江戸へ出立する前の3ヶ月ほど、このお城で過ごされ たそうです。

・家紋
昔、島津の家紋は十字だけだったとか・・・
ザビエルが来たとき、家紋を見て島津家がキリスト教徒だと勘違い!
宗教弾圧の影響もあってか、間違えないようにと
周囲に○をつけたのだそうです。

・両棒(じゃんぼ)餅
2本の竹串が刺さった平べったい子丸餅にトロミのあるタレで味付けされた食べ物。
どうして2本の串が刺さっているかというと、武士の両刀刺しを象徴しているからだそうです。その両棒餅(二棒)の唐音「リャン」が鹿児島風になまって、ジャンボ餅と呼ばれるようになったそうです。

・郷中教育の教え
鹿児島には、『郷中(ごうじゅう)教育』という薩摩藩の伝統的な縦割り教育がありました。郷中とは、町内の区画や集落単位の自治会組織のことで、当時、鹿児島の城下には数十戸を単位として、およそ30の郷中があったと言われます。郷中は、青少年を「稚児」と「二才(にせ)」に分けて、勉学・武芸・山坂達者(やまさかたっしゃ、今でいう体育・スポーツ)を通じて、先輩が後輩を指導することによって強い武士をつくろうとする組織でした。

H2Aロケットと砂蒸し温泉

2010年08月28日 | 自宅から西へ
2008年2月23日(土)16時20分。

私たちは、観光バスを薩摩半島の海沿いの見晴らしのよい高台に停めて、

海のむこう種子島の方向・南の空を見ていた。

“H2Aロケット”の打ち上げ予定時刻だったからだ。

10分以上待ったのだが、南の空に変化なく、

今日のロケット発射は強風で延期されたのだと勝手に判断し、

宿に向かって出発、楽しみにしていた“砂蒸し温泉”へと直行した。

昔から、一度でよいから入りたかった“砂蒸し温泉”!

砂の重さを身体に感じ、噴き出す汗は健康なしるし?

「10分が目安」と書かれた張り紙の前で、15分以上がんばった。

風呂から出てきて、湯上りのビールを飲んでから夕食会場へ・・・

その会場で、ロケットの打ち上げが17時55分に行われたことを教えてもらった。

さらに、ホテルの窓からその様子をカメラで撮影した人もいたのだ!

しもた~~ その時間やったらテレビを見ながらビール飲んでた時間や・・・

あのとき、私が見ていたTVには、ニュースの字幕出えへんかったでぇ?

つまみを探してた時に流れたんやろか?

復とないチャンスやったのに・・・

せやけど・・・そんな中途半端な時間に打ち上げせんといて欲しかったなぁ~

まあ~それより、“ロケット打ち上げ成功”と憧れの“砂蒸し温泉入湯”に乾杯!


桜島で見たモノ

2010年08月28日 | 自宅から西へ
桜島およびその周辺で見たものを、覚えているうちにメモしておこう。

・イルカの群れ

錦江湾沿いの道路は交通事故で大渋滞。

霞んで見えない桜島を恨めしくぼんやり海を眺めていたら、

登場してくれたのがイルカの群れだった。

慌ててカメラを構えたが間に合わず・・・


・潜水艦

家人は「何でこんなところに潜水艦いるの?どこの船?」

と私に聞くが、私が答えられる訳ないやろう!

国家機密・・・


・桜島のコンビニの看板の色

周囲の景観にやさしいように配慮しているとのこと。

もう一軒の違うコンビニも茶色を使った看板でした。


・桜島大根の種子

家人が迷った末に決断し、その種子を購入。

今秋、播種の予定。

さぁ~どんな大きさにまで育つでしょうか?


・桜島の展望台の売店の冷蔵庫。

中のスーパードライが逆立ちをしていた。

売店の人にその理由を訪ねると、

飲み口に火山灰がかからないようにとのこと。


・屋根つきの墓

お墓には綺麗な花が供えられ、屋根があった。

このお墓の屋根も火山灰よけだと思う。


桜島

2010年08月28日 | 自宅から西へ
私、まだ南九州に行ったことがなかったのです。

4年前にツアーに申し込んだのですが、催行人数が集まらず、方面を変更して北海道へ。 そしてあの大嵐に遭ってしまったのです。

今回の旅、桜島を 楽しみにしていたら、2月6日に突然の噴火!

噴火警戒レベルは、この20日にレベル3(入山規制)から2(河口周辺規制)に下げられたようなのですが、

まだかなりの噴煙を上げている様子。

せっかく見物に行くのに、“入山規制”では困るし、そうかと云って、見物している最中に“噴火”をしてもらっても困る。まさに複雑な心境?でした。

初日、そんなに天気は悪くないのに、海を4kmほど隔てた鹿児島市内の仙巌園(NHKドラマ『篤姫』のロケ地)からは、桜島は霞んで見えなかったのです。

それが、庭園を散策し昼食をとっているうちに、あの日の強風(春一番?)が霞や靄、雲を吹き飛ばし、憧れの桜島が見え始めてきたのです。それからはもの凄い晴天で、ず~っと桜島を見続けることが出来ました。

※桜島について
桜島は姶良カルデラ(南北17km、東西23km)の南縁部に生じた安山岩の成層火山で、人口が密集する鹿児島市の市街地に近接している。有史後の山頂噴火は南岳に限られるが、山腹や付近の海底からも噴火している。「天平」「文明」「安永」「大正」「昭和」の大噴火はすべて山腹噴火であり、多量の溶岩を流出した。また、火砕流や泥流の発生もあった。桜島は東西10km、南北8km、周囲40km の島であったが、1914 年(大正3 年)の大噴火で山腹から流出した溶岩により大隅半島と陸続きになった。現在は東西 12.2km、南北9.5km、周囲52km の不規則な楕円形である。


佐賀のこと

2010年08月28日 | 自宅から西へ
各地から“梅”の便りが届く。

思い出すのは10年ほど前の2月、九州・佐賀へ出張した時のこと・・・


私は必ずと言っていいほど旅をする時は、その地のガイドブックを購入し、下調べをして出発している。

その時も書店へ行き、“佐賀”のガイドブックを探したのだが、“佐賀”だけを編集したガイドブックを発見することは出来なかった。

それは、県内に名所・旧跡、観光地などが少ないからだという説を唱える人もいた。

(佐賀に係わりのある方には失礼な説ですね・・・)

でも、佐賀での1週間、楽しかったなぁ~

夕食は毎晩、佐賀駅前の居酒屋で、有明の海の幸と焼酎・・・

最終日、少し観光をしてから帰ろうと、お世話になった居酒屋の方に聞いてみた。

紹介されたのは、佐賀駅から離れたところの“吉野ヶ里遺跡”と“嬉野温泉”。

そして近くならと、最後に紹介されたのが“高伝寺”。

“高伝寺”は旧藩主鍋島家の菩提寺で、

特になにもないけれど、今の季節、“梅”の花が美しいとのこと。


お城を見学した後、ぶらぶら歩いて行ったのか?それともバスに乗ったのか?

その記憶も曖昧だ。

寺の名前も忘れてしまっていたのだが・・・

それは、YAHOO!の地図で、お城の西側を昔の記憶を辿って発見した。


それよりも、お城の北側にある“白山文雅のカレー”美味しかったよなぁ~

やっぱり梅の花よりカレーやなぁ~


「写真;副島ガラス」








木彫りのフクロウ

2010年08月28日 | 自宅から東へ
今日は結婚記念日。

24年前のあの日も寒い寒い日やった。

家人を実家に迎えに行く道路にも雪が残ってた。

「タイヤチェーンがいるのでは?」と心配をしたものだ。

式場の橿原神宮の境内にも少し雪が残っていて、

結婚式後の記念撮影も何枚か外でおこなった。


あらから24年・・・

私たちの部屋には、結婚20周年の記念に北海道へ流氷を観に行ったときに、記念に買った“木彫りのフクロウ”が置いてある。

あの時は明治以来の大嵐、網走の町が陸の孤島なってしまい二日も缶詰。

帰りの飛行機の座席が確保できるまで、網走・天都山山上にあったホテル近くの

“北方民族博物館”や“オホーツク流氷館”をブラブラ歩いて見学するしかなかった。

暇つぶしに売店のオバチャンと会話し、“木彫りのフクロウ”を値切る交渉を開始。

阿寒湖や知床では、アイヌ彫刻“木彫りのフクロウ”は高価で手が出なかったからだ。

結婚記念に旅行に来たコトや、嵐で帰れず仕事に大穴開けてしもたコト、

予定外の宿泊が続き、お金が無くなって困っているコトetc・・・


売店のオバチャンも北海道で生まれ育ってこんな大嵐ははじめてで、

自分自身も道が閉ざされ家に帰れなかったらしい。

これもなにかの縁だからと、永らく売れずに残っていたこの“木彫りのフクロウ”ならと、特別に安い値段でわけてくれたのだ。

ただし、オバチャンとの約束が1つ。

この丸太に彫った“木彫りのフクロウ”は、宅急便で送らずに手で提げて家まで帰ること!

約束守ったけど・・・ほんまに重たかった・・・











CO2シクラメン

2010年08月28日 | 趣味の園芸
今日は訳あって、シクラメンの搬出を手伝った。

次の栽培のために、温室内を空にするという作業。

“シクラメン”は、冬場の窓を飾り、丸い球茎から次々と花芽をもたげてくる様は緑の少ない冬にうるおいをもたらしてくれる。

高温多湿に弱く、乾燥に強い多年草植物。

奈良は全国有数のシクラメンの産地だが、最近、注目されているのが、楽に管理できてしかも長持ちする“CO2シクラメン”だそうだ。

“CO2シクラメン”は、炭酸ガス(CO2)を通常より多く与えて育つので、普通に育てられたシクラメンより光合成で蓄えられたエネルギー量が多く、日持ちしてより長く鑑賞することができる。
12月初旬に販売されたシクラメンは、これまで1月下旬になると花がばらけてくるが、“CO2シクラメン”は2月中旬ぐらいまで花を楽しむことができ、下の葉も黄化しないとのこと。

昔からイチゴやバラは、ビニールハウス内のCO2を増やして栽培してたよなぁ~

友人は、CO2濃度と光合成速度との関係を研究してたっけ・・・

でも・・・

CO2と地球温暖化との関係は一体どうなるんやろうか?

今年の冬は寒いなぁ~