e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

朝風峠と私の新車

2010年08月30日 | 道路・鉄道・船
この間,やっと届いた新車に乗って,


明日香を走ってきました。


道は,亀石から南東の丘陵越え。


以前,ここで紹介した

「案山子路」のある稲淵の棚田へ。


道路を走る車は殆ど無く,


棚田に立つススキを撮影する人がいただけ。


ただ今,火星が地球に接近中!

棚田に立つススキは,


まるで宇宙へ向かう地球防衛隊のロケットのよう。


その途中越えた峠は「朝風峠」というそうです。


爽やかな名前の峠でした。


13年ぶりの新車の匂いのようやった。

子ども店長に感謝,感謝・・・

「写真;朝風峠と私の新車」


司馬遼太郎『燃えよ剣』

2010年08月30日 | 読書
昨夜,司馬遼太郎『燃えよ剣』を読み終えました。

土方歳三は,函館で散って逝きました。

十数年前に訪ねた冬の函館・五稜郭を懐かしく思い出していました。

『竜馬がゆく』でもそうでしたが,幕末,新撰組の時代。

よく京都の「壬生(みぶ)」という地名が登場します。

(「壬生」は,新撰組の「屯所」があった所。)

この季節,我が家の畑に「壬生」という名の「菜」があります。

「壬生菜」の漬け物を食べると,「新撰組」の味がするような気がします。


※壬生菜
壬生菜は、江戸時代後期にみず菜の自然交雑で出来たといわれています。現在の中京区・壬生寺付近で多く作られていたことから、壬生菜と呼ばれるようになったのです。
京都では、みず菜と壬生菜をあまり区別することがないために、別名「丸葉みず菜」と呼ばれることもあります。
別名からもわかるように、みず菜と大きく異なるところは葉の部分で、細長く丸いヘラのような形をしています。また壬生菜にはほんのりと辛子の風味があり、そこがまた人気の野菜なのです。
京都では、みず菜と同様に鍋ものや炒めもの、和えものなど、さまざまな形で食べられており、特に独特の辛子の風味を生かす軽い塩漬けや「お鏡開き」の際には、この壬生菜をすまし雑煮に入れるのも風習のひとつとして残されています。また昔から漬物の中の「千枚漬け」に添えられています。

「写真;我が家の壬生菜」




チュウヒ?

2010年08月30日 | 野鳥・昆虫・野生動物
先週の土曜日(若草山の山焼きの日),私は義母が入院している病院近くのコンビニの駐車場にいた。


家人はコンビニで買い物中。


義母と食べるアイスクリームを買いに寄ったのだ。


私は車の中で待っていた。


ふと空を見上げると,2羽の猛禽が絡み合って飛んでいる!


最初,カラスがトンビを追いかけているのだと思ったが,どうも違う様子。


鳥のシルエットが,トンビやカラスと違う。


翼と尾羽が長い猛禽類・・・


「チュウヒ」でないかと思った。


戦っているので,特徴的なV字飛行を観ることはでき なかった。


私は,いつも車のトランク内に双眼鏡と鳥類図鑑を積んでいる。


でも,ブログのためなら写真を撮るのが優先。


早速,セカンドバッグからカメラを取り出し,車外に出て,カメラを空に向け何度もシャッターを切った。


一眼レフでないので,カメラの視野に鳥の姿を入れるのが大変・・・


おまけに,電線がそれの邪魔をした。


やがて2羽の猛禽は冬空の曇天を舞った後,春日山の方に飛び去った。


春日山のすぐ北隣は若草山。


あの日,2羽の猛禽は山焼きを観たんやろか?


※チュウヒ
チュウヒは、湿原を代表する猛禽類(ワシタカの仲間)です。体長は48~58cmくらいで、ふだんよく見かけるトビよりは一回り以上小さい鳥です。しかし、翼と尾羽が長いため実際は少し大きく、トビと同じくらいの大きさに見えます。

中国北部から東南アジアのあたりまで幅広く分布します。日本全体では主に冬鳥なのですが、北海道では主に夏に見られ繁殖もしています。湿原以外ではほとんど見られることのない鳥で、ヨシの中や農耕地でネズミや鳥のヒナ、両生類や昆虫など様々な小動物を食べています。


「写真;チュウヒ?」

カコ・マティ

2010年08月30日 | 道路・鉄道・船
ある日,私が元同僚と話をしていたら,彼の持っている(車の鍵につけている)キーホルダーと,私が愛車の鍵につけているキーホルダーとが同じものであるのに気がついた。



私は「あれ? それ・・・」と,思わず声を出してしまった。



それから私と元同僚は,どうして同じキーホルダーを持っているのかについて考えた。



やっと思い出したのは,ある(共通の)人から旅の土産にもらったということ。



たしか,その人の旅先はギリシャやったはず。



この「ギリシャの目」のような模様は,一体なにを意味してるんやろう?



そんな疑問をもったまま,今まできてしまった。



今日,やっと調べてその「目」の意味が分かった。



e411yの旅で行ったイギリス・大英博物館。



そこで観たパルテノン神殿の彫刻は素晴らしかった・・・



http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2006/01/post_ff3e.html



私もギリシャへ行ってみたいなぁ~



でも,もうすぐこのキーホルダー(愛車)とお別れする予定。



※ギリシャの「カコ・マティ(=邪悪の目)」

ギリシャでは,「カコ・マティ」というのが,信じられているらしい。

「ギリシャ人が一番恐れている事は何か?」というアンケートの結果を心理学者が調査したら、一番多かった答えは「変わり者だと思われる事」と「人から恨まれたり妬まれたりする事」だった。

ギリシャでは,あまりにも注目を浴び調子にのると、彼らの頭をよぎるのは「妬みや中傷をうけるのではないか」ということらしい。 悪意のある視線を浴びせられることをギリシャ語で【「カコ・マティ(=邪悪の目)」をくらう】という表現をする。 他人からじっと見つめられた時に、その視線に妬みや恨みがこもっていると、後で頭痛やめまいがしたり、わけもなく疲労が続いたり病気になることもあると言われている。

ギリシャでお土産によく売られている「目」の模様のキーホルダーみたいなものは、この「カコ・マティ」にやられないためのお守り。しかし、現地で携帯している人を見ないので、お土産の単なるアクセサリーになってしまったのかもしれない。

ところで、「邪眼に当てられてしまった人」はどうするのか。このことをギリシャ人に聞いてみると、マジカルパワーを持っているのは女の人が多いから、そういう人を探して、まずチェックしてもらわなくてはいけないとのこと。

邪眼に当たったかどうかを見るには、聖なる水(教会で清めた水)をカップか茶碗に入れて、「邪眼にやられたかもしれない人」がそこへオリーブオイルを数滴おとす。 水と油は交わらないので普通は油が表面に浮くはずだが、邪眼にやられているときは油が水と混ざるか、沈んでしまうそう。 お払いの方法は(この人のやり方は),まずお祈りの言葉を唱え、水とオリーブオイルで額と手に十字を描く。何回かこれを繰り返し、時々、背骨をまっすぐにして静かに直立する、という具合なのだそうだ。


「写真;ギリシャ土産のキーホルダー」




久米仙人伝説

2010年08月30日 | 県内
昨日の午後,私は屋敷の隣にある竹藪の手入れをした。



梯子を架け,石垣まで伸びてきた竹を鉈で切る作業。



しかし,日頃の運動不足が祟り,腕が動きにくくなり,

足の踏ん張りが効かなくなってきて,

さらに考え事をした瞬間,梯子の上でバランスを崩し・・・



やっとのことで竹にしがみつき,落ちずに済んだのでよかったんやけど・・・



ぶら下がりながら思い出したのが,私が尊敬している「久米仙人」の伝説やった。



※久米仙人伝説

むかし吉野の竜門寺にこもって神通飛行術の会得の修行をしていた二人の青年がありました。

一人をアツミといい、もう一人をクメといいました 。

竜門岳にのぼって山中をかけめぐり、滝に打たれたりしてそれは厳しい修行でした。アツミはこの秘術を先に修得して仙人となり雲にのぼりました。

後になったクメも更に修行に励み、やっとの事で空を飛べるようになりました。

吉野川を越える時、川の畔で若い娘が着物を洗っていました。裾を捲り上げて、白いすねをあらわに出していました。クメはいやしい心がムラムラとおこり、そのとたん長い間の修行した神通力は消えて、女の前に落っこちてしまいました。クメはもとの人間となりその娘を妻 として夫婦仲良く暮らしました。

そんな頃、天皇は高市に都を造ろうとなさっていました。クメも夫役に呼び出され、他の人夫達は、「あの、クメはもと仙人、スケベ心さえ起こさなかったらこんな辛い仕事をさせられなくてよかったのに」。

この話しが役人に伝わり、行事官はたわむれに「この木材を手で運ぶよりは、仙術で山からここへ飛ばしてもらえれば早いものだがなぁ~」と、云いました。

クメは7日間、断食をして再修業をしました。そして ついに8日目の朝、にわかに雲がくもり暗夜のごとくなったかと思うと雷が鳴り渡り雨が激しく降って、辺りが見えなくなりました。やがて空は晴れ渡り、そのときたくさんの木材が南の山から飛んできて都を造ろうとしている場所に積み重ねられていました。

これを知った天皇は恩賞として免田三十町をクメに与えられ、クメは喜んでこの田をもらい、一生楽しく暮らしたといいます。

その土地に建てた寺が,橿原神宮のそばにある久米寺です。

寺を建ててからのクメは、薬師如来をまつり、自分の姿までを木像にして寺に残し、一生病気にかからないという竹の箸も作ってみんなに配ったという事です。

「写真;久米寺と久米仙人の石像」




千代酒造「篠峯」

2010年08月30日 | 
除夜の鐘を聞きながら氏神様への坂道を登った。


初詣から帰ると,寝ずに待っていた親父と年始め。


親父が酒蔵?から木箱に入った「篠峯」という酒を出してきた。



見慣れない名前。



どこの酒かと思ってラベルを見ると,



奈良県御所(ごせ)市櫛羅(くじら)の千代酒造とある。


奈良県の南西部に位置する「御所市」は,昨夏訪ねた地。


そして亡き母の産まれた里。


この地は,飛鳥の時代より更に古い時代に豪族が開いた土地と言われ、天孫降臨伝説がある高天に代表される神話の里。

そして,役行者が修業したといわれる霊峰葛城山・金剛山が聳えるところ。

私,葛城山麓にある「櫛羅」という地名に,なぜか昔から惹かれてたんや・・・

そこで造られた限定流通商品のお酒。

大吟醸で,しかも6年連続金賞受賞の酒・・・

ホンマニ旨かった!

※篠峯
蔵のすぐ西に聳える葛城山の別称。その昔「篠峯」という名で呼ばれていた時期があります。当蔵の仕込水はこの葛城山の伏流水を自社井戸から汲み出し、そのまま使用しています。

「写真;千代酒造「篠峯」




ホルモンうどん

2010年08月30日 | 麺類
今回の「SPring-8」と「XFEL」への旅,


相生駅前のホテルの部屋,サービスチャンネルで観たのは『天使と悪魔』。


『ダ・ビンチ・コード』の次の作,登場したのはガリレオ?


私が昔,伝記を読んで憧れた人。


太陽の周りを地球や木星,土星が回る・・・


あの晩は,私の頭の中では,原子核の周りを電子が回っていた。


E=mc2


アインシュタインの公式が・・・


そして「放射光」。


私が訪ねたのは「光都」。


最寄り駅は,JR相生。


相生の名物,旨いモンは?


それは「ホルモンうどん」と聞いて来た。


私は「SPring-8」と「XFEL」を見た晩,


「ホルモンうどん」を探して暗い町を探し歩いた。


やっと出会った瞬間,「核融合」や「放射光」だって,


「ホルモンうどん」の方が勝ちやと思った。

(何故か帰って来たら,福山雅治の「ガリレオ」ばっかし・・・)


「写真;ホルモンうどん」


XFEL

2010年08月30日 | 建築物
SPring-8の中央管理棟の屋上からは,全長700m建設途中の直線の建物「XFEL」が見えた。



「XFEL」とは、「X線自由電子レーザー(X-ray Free Electron Laser)」の略。

「XFEL」は、物質を原子レベルの大きさで、かつ瞬時の動きを観察することができると考えられているまったく新しい「夢の光」。


その理由から「XFEL計画」は、我が国の科 学技術を牽引する世界最高性能の研究・技術開発として、『国家基幹技術』に認定され、2010年度の完成を目指し、2006年から施設の建設が始まった 。

米国や欧州(ドイツ)においても同様の計画が進行中であり、日米欧の間で熾烈な競争が行われているという。

この「XFEL」は、SPring-8と同様、電子を80億電子ボルト(8GeV)まで加速し、最短波長0.06 nm(ナノメートル)のX線レーザー発振を目指している。

波長0.1 nm近辺での明るさはSPring-8と比べて10億倍に達するという。

「XFEL」が作り出す光は、放射光(強力なX線)とレーザー(波の揃った高品質な光)の両方の特長をもった光。

「XFEL」を発生させる装置群は、固い岩盤に支持されたコンクリート製のトンネル内に、非常に高い精度で設置される。

「XFEL」を生み出す源は、ほぼ光速まで加速された電子の集まりであり,「XFEL」を発生させるための重要な装置として、電子銃・加速管・アンジュレータという3つの装置がある。

(1)電子銃
電子を発生させる装置。「XFEL」には細く絞られた安定な電子ビームが必要なため、新たに特別な電子銃が開発された。 真空中で約1500℃まで加熱すると合金の結晶から電子が飛び出す。

(2)加速管
電子をほぼ光速まで加速する装置。 加速管には、短い距離で効 率的に電子を加速することが求められた。 なぜなら電子を効率よく加速することができれば、加速管の数から建物の長さに至るまで、コストを大幅に節約することができるからである。 XFELでは従来の2倍の加速性能を持つ加速管の開発に成功したおかげで、加速器部分の長さが半分の400mで済んだ。

(3)アンジュレーター
磁石を多数並べ電子を蛇行させて光を放出させる装置。 電子は蛇行するたびに放射光を発生し、光と相互作用する。 すると徐々に 光の波(山と山、谷と谷)が整列し、増幅され、レーザー発振に至る。 SPring-8で開発されてきた真空封止アンジュレータにより、低いエネルギーでもX線領域のレーザー発振を可能にし、大幅なコストダウンに貢献している。



最終的に,電子はレーザー光が得られた後は不要になるので、磁石で方向を変えて停止させる。


SPring-8が稼動してから,すでに10年。



最先端技術は,さらに次を目指しているのだ。



さらに「XFEL」を300m延長し,SPring-8とドッキングさせるという構想もあるという。



「写真;XFELの加速管」



SPring-8

2010年08月30日 | 建築物
今回の旅は,「SPring-8」への旅だった。



「SPring-8」は,西播磨の科学公園都市内にある世界一の大型放射光施設



「SPring-8(スプリング8)」とは、「スーパー(超)フォトン(光子)リング(輪=円形加速器)八十億電子ボルト」を意味する英語SuperPhotonring8GeVから付けられている。



私は最初,「8」を一周800mのリングだと思い込んでいた。



実際は,標高341mの三原栗山という小さな山の周りを囲む約1500mリング。



到底写真に納まるような大きさではなかった。



この「SPring-8」は,光速近くまで加速した電子を 磁石などでその進行方向を変えたときに出てくる光「放射光」を利用し,物質の構造や機能の分析、解析等を行う施設である。



もともと光は、その波長が短ければ短いほど小さなものを見ることができ、この放射光は、あのX線よりも数億倍明るい光であるという。



より明るく、よりまっすぐに進む光の束で一億分の一センチ、ナノの世界をはっきりと見ることができる。



したがって今まで見えなかった世界が見えてくる。



放射光の利用分野としては、



(1)物質科学への利用では、材料の評価、物質の構造と機能の分析など、



(2)医学、生命科学への利用では、生体物質の構造と機 能、医療診断など、



(3)環境科学への利用では、超微量成分の分析、触媒作用の解析など、



(4)地球科学への利用では、地球深部物質の構造、極限状況下の物性など、



物質の分析、解析、反応の全分野で基礎研究から応用研究、そして産業利用まで幅広く活用されている。



しかし,年間使用電力量は1億7,000万キロワット時で一般家庭の46,000軒分に相当し、ガスの使用量230万立方メートルは一般家庭5,800軒分に相当、巨大なエネルギーを費やす施設でもある。
だから・・・



過日の行政刷新会議の事業仕分けにより、「SPring-8」の運営については「(H22年度予算を)3分の1から2分の1程度縮減」との評決結果が出てしまった。



同様の施設は、フランスのグルノーブルの欧州共同施設、米のアルゴンヌの施設もあるけど,科学立国「日本」と言っているのに・・・



「写真;SPring-8」




カキオコ

2010年08月30日 | 薀蓄
赤穂「しおさい市場」の昼食で,私は息子に「ご飯を残すように」と声を掛けた。


「何で?」と聞き返す息子に,


「この後,カキオコを食べよう!」と小声で言った。


昼食後,腹減らしに赤穂城の周囲を散策。


しっかり歩いてお腹を空かせようと考えていたのに,大石 神社で空からポツポツと雨が落ちて来た。


傘は車に置いたまま・・・濡れて車に逃げ戻った。


雨が止まないので予定を変更し(お腹は空いていないけど),「カキオコ」の町・岡山県日生(ひなせ)へ。


事前に調べた「カキオコ研究会のHP」によると,

オーストラリア人向けに日本の文化や観光情報を提供しているある雑誌の「A TASTE OF JAPAN(日本の味)」の特集ページに,「カキオコ」が紹介されているという。


この特集では、日本中のご当地グルメが9品掲載されていて,それは北から順に,


①北海道「ジンギスカン」、②宮 城・仙台「牛タン」、③栃木・宇都宮「ぎょうざ」、④東京「すし」、⑤静岡「とろろ汁」、⑥愛知・名古屋「みそかつ」、⑦岡山・日生「カキオコ」、⑧香川「讃岐うどん」、⑨福岡「モツ鍋」だという。


オーストラリア人はカキが好き?


そんな話をしていたら,すぐに県境を越えて「日生」に到着してしまった。


町のあちこちに「カキオコ」の看板や幟,ポスター。


まさに町おこし。


祝日の午後3時半,やっと開いている店を探して「牡蠣の特盛」を注文した。


山盛りの千切りキャベツにてんこ盛りの牡蠣・・・


夢に出そうなお好み焼きやった~


「写真;日生のお好み・カキオコ特盛(右側2つ),(左上はカキオコ)」


海の駅・しおさい市場の定食

2010年08月30日 | グルメ
昨夜,西の方から帰って来ました。


一人旅の予定が,前夜に次男に声をかけると,


「牡蠣」が食べられるなら行くと急に参加表明。


車で近畿→中国→山陽自動車道を走る予定が,次男を神戸で拾って,阪神高速を西へ。


松本清張の『火の路』に登場する高砂市宝殿の生石神社に寄ってみたかったけど,やっぱり今回は「牡蠣」が第一優先でパス!

姫路を抜けて相生に入った。


最近,もの忘れが多い・・・


相生で忘れてならない買い物は,湊水産の「うまいか」。

直売所に寄って適当に購入し,これで土産が出来た。


今日の目的地は,赤穂の「海の駅・しおさい市場」の焼き牡蠣の食べ放題。

しかし,駐車場から溢れた車が路上にたくさん並び・・・


店内には,焼き牡蠣90分間食べ放題を待つ人のすごい列が・・・


待ち時間は,60分以上とのこと。


諦めて定食を注文し,家に殻つきの牡蠣と牡蠣の剥き身を送った。


これはクリスマスプレゼント?


定食の牡蠣,美味しかったで~!


「写真;海の駅・しおさい市場の定食」


笠置山

2010年08月30日 | 山・川・水・温泉
私が柳生と笠置に行った日から、ずいぶん日にちが経過した。


記憶も曖昧に・・・


笠置で一番覚えているのは、


笠置寺の山門を入ろうとした時に見かけた紙に書かれた文章。


そして同じ文の紙を境内の「弥勒大磨崖仏」のある正月堂で も見かけた。


その紙には、


「笠置を訪れる人 年間70万人


 その中 笠置山への登山客 5万人


 ここまで来る人 即ち磨崖仏を拝し 修行場をめぐる人 1万5千人


70万人のうち1万5千人


 もっと多くの人に笠置山を知ってほしいです。」とあった。


私も何度か「笠置」を訪ねているけど、笠置の山の上まで来たのは今回が初めて。


今まで「笠置」は「河原でバーベキューをするところ 」と思っていたのです。


笠置には、伊賀上野の方から流れてきた「木津川」がつくった広い河原がある。

そこでするのが、「笠置のバーベキュー」。


N盆地には、広い河原が無いし、川が汚くって・・・


不思議な話。


女人高野「室生寺」の前を流れている川の水は、三重県・名張市に出て、


再び奈良県・月ヶ瀬を流れ、今度は京都府南山城村を流れてからここ笠置に至る。


そして木津川になって宇治川、桂川と合流し、淀川となり大阪湾に注ぐのだ。


僅かな距離の違いで、降った雨の旅は大きく異なるのだ。

それはそうと、笠置山はホンマニ魅力的な山でした。


『太平記』か~ 読まんとあかんなぁ~


「写真;笠置寺・弥勒大磨崖仏」


山岡荘八『春の坂道』

2010年08月30日 | 読書
柳生の芳徳禅寺は小高い丘の上にあった。



その丘から柳生の里を見渡すと、大きな鉄筋の建物が見えた。



たしか、あの建物は中学校のはず。



その向こうの山際に小さく見えるのが「家老屋敷」?



立派な石垣やなぁ~



以前に見学したから、今回パスした。



家に帰って調べてみると、知らないことが分かった。



この「家老屋敷」は、



徳川幕府の兵法指南役として領地を離れることの多かった柳生藩主に代わって柳生藩南都屋敷を預かり、藩の財政立て直しを行った家老小山田主鈴が隠居後に暮らした屋敷だという。



大きな石を組み上げた豪奢な石垣は、天保12年(1841)に尾張の石工が築いたもので、屋敷は嘉永元年(1848)に建てられた。
昭和39年には作家の「山岡荘八」氏が買い取り、柳生宗矩を主人公にしたベストセラー小説『春の坂道』の構想を練ったといわれている。

前の家主が、「山岡荘八」とは知らんかったなぁ~



今、私は歴史小説に夢中!



司馬遼太郎の次は「山岡荘八」を読むぞ!



「山岡荘八」と云えば『徳川家康』。



でもその前に、この柳生が舞台で大河ドラマになった『春の坂道』を読まんとあかんよなぁ~



「写真;旧柳生藩家老屋敷」




司馬遼太郎『竜馬がゆく』

2010年08月30日 | 読書
松本清張『火の路』を読み終えた。



次は何を読もうかと、古本屋へ。



司馬遼太郎の本を105円コーナーを探すが、求める本はなし。



司馬遼太郎の本は、よく売れるのか?



一般の価格の棚で、探していた司馬遼太郎『竜馬がゆく』が並んでいるのを発見!



しかも本日まで、250円均一セール中という。



これまでに1,3,4巻を買っていたので、残りの2,5,6,7,8巻を買うことにした。



これらの本には、1冊350円の値段がついていたので500円もお得!



そして来年の大河ドラマも「坂本竜馬」。



買って帰りすぐに読み始めた。



1巻は約430ページあったが、ワクワク引き込まれてあっと言う間に読み終えた。



いつぞや宴会で行った談山神社の前の多武峰観光ホテル。



そこに司馬遼太郎の書『竜馬がゆく』が掛かっていたのを思い出した。



彼が生きている間に彼の本を読み始めておいたらよかったなぁ・・・



@司馬遼太郎
本名は福田定一。「司馬遼太郎」はペンネームであり、敬愛する中国の史家・司馬遷に「遼(はるか)に及ばず」という意味を込めてつけられたものだとか。大阪の薬局の二男坊として生まれた福田少年は、国立大阪外国語学校の蒙古語科に入学。在学中に学徒動員で中国東北部の戦車部隊に配属され、戦争の悲惨な現状を身をもって体験。そのことが後の創作活動に大きな影響を与えていく。復員後は大阪や京都、神戸で新聞記者として活躍。そこで出会った人々やそれぞれの土地で知った歴史や風土に対する見聞を綴ったのが『司馬遼太郎が考えたこと』だ。

「写真;多武峰観光ホテルで見た『竜馬がゆく』」


モンクレールのダウンジャケット

2010年08月30日 | 我が家
PCのYahooの画面に「おすすめセレクション」というのがある。



そこに「一生もの、モンクレール」として写真と共に載っていた。



私が学生の時にバイトして貯めたお金を叩いて買ったのが“モンクレールのダウンジャケット”やった。



当時、清水の舞台から飛び降りたつもりで 買ったんや。



北海道・富良野へそれを着てスキーに行ったよなぁ~



就職して仕事が忙しくなり、ダウンジャケットを着る機会がなくなった。



子どもが生まれて大きくなって、親子でスキーに行くようになった。



その時、“モンクレールのダウンジャケット”着て行ったかな?



やがて子どもが学習塾に行くようになり“ダウンジャケット”が欲しいと言い出した。



理由は「皆が着ているから。」



当時、BEARのダウンジャケットが流行ってた。



私は、「これ着いよ!」と“モンクレールのダウンジャケット”をタンスの奥から出して息子に渡した。



暫く息子はそれを着ていたんやけど、その後、家人にねだって新しいのを買ってもらった。



「今の流行と形が違うから」というのが、その理由やった。



それから何年もの間、“モンクレールのダウンジャケット”はタンスの中に眠っていた。



息子が大学生になって、



「あのダウンジャケット、どこにあんの? たしかあのダウン、“モンクレール”ちごたっけ?」と聞いてきた。



「そうや、“モンクレール”やで。」と答えると、息子は急いでタンスの中を探しに行った。



それから“モンクレールのダウンジャケット”は、また息子のものに。



およそ30年の年月を経て、この冬も息子がスノボーに着て出かけるのだろう。



「写真;モンクレールのダウンジャケット」