e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

日本清酒発祥の地

2010年08月30日 | 
今日、11月19日(木)はボジョレー・ヌーボ解禁の日だとか。



ワインもいいけど、寒くなったら「熱燗」がええよなぁ~



先月訪ねた奈良市南部、山の辺の道に近い「菩提山・正暦寺」。



山門の手前にあった「泣き笑い地蔵」から中に進むと、「日本清酒発祥の地」という石碑が建っていた。

正暦寺では、室町時代に仕込みを3回に分けて行う「三段仕込み」や麹と掛米の両方に白米を使用する「諸白(もろはく)造り 」、酒母の原型である「菩提もと(ぼだいもと)造り」、さらには腐敗を防ぐための火入れ作業行うなど、近代醸造法の基礎となる酒造技術が確立されていた。



これらの酒造技術は室町時代を代表する革新的酒造法として、室町時代 の古文書『御酒之日記』や江戸時代初期の『童蒙酒造 記』にも記されているとのこと。

ここ正暦寺での酒造技術は非常に高く、天下第一と評される「南都諸白(なんともろはく)」に受け継がれてきたそうだ。



そしてこの「諸白」こそが、現代において行われている清酒製法の祖とされている。



現在は当時のような大規模な酒造りは行っていないが、毎年1月に酒母の仕込みを行っている。



そして、「奈良県菩提もとによる清酒製造研究会」に所属する奈良県の蔵元11社がその酒母を持ち帰り、各々の蔵元がその酒母を用いて個性豊かな清酒を醸造している。



この正暦寺は、紅葉の名所として有名。



今頃はモミジが紅葉して綺麗なんやろなぁ~



今夜はお鍋で「熱燗」がエエなぁ~



「写真;菩提山・正暦寺」




松本清張『火の路』

2010年08月30日 | 読書
今読んでいる小説は、生誕100年で話題の松本清張の『火の路』。

昭和48(1973)年6月から翌年10月まで朝日新聞朝刊に連載された作品で、連載時の原題は『火の回路』。



飛鳥、奈良時代の日本に古代ペルシア文明がかなり影響を与えたと見る歴史研究家の女主人公が、イランを訪ねる物語。



奈良県飛鳥地方には酒船石(さかふねいし)はじめ猿石、益田岩船(ますだのいわふね)といった謎の石造物がある。



清張は飛鳥時代に渡来したペルシア人が遺したものと考え、『火の路』の構想を得たらしい。清張も執筆前イラン取材 を行ったというから、女主人公・高須通子の見解と感想は全て清張が言おうとしたことなのだろう。



先日、私が訪ねた飛鳥の「石神遺跡」は、飛鳥寺と水落遺跡の北に接している。
『火の路』にも登場する「須弥山石」・「石人像」 が、ここから明治時代に掘り出されたことで有名である。
このあたりは飛鳥浄御原宮の候補地となっており、1981年からの調査で、7世紀中頃から8世紀初めの建物跡や溝などがみつかり、隣に時計台がそびえていた斉明天皇の時代には、整然と並ぶ長い建物群、石敷をもつ立派な井戸、石敷広場などがあり、饗宴の施設と考えられているという。



私はこの本を読んで、日本書紀の斉明天皇の条に出てくる「両槻宮」の場所が知りたくなった。



そしてもう一度「益田岩船」を見たいと思った。



大きな謎が1つ残った。



それは、清張はこの小説に(明日香村の隣りの)高取町にある「人頭石」のことを書かなかったのだろうか?

「人頭石」を一目見れば、この石の顔が「ペルシア人」だと思うのに・・・


「写真;飛鳥・石神遺跡」



大和五條・本陣うどん

2010年08月30日 | 麺類
私、一度でいいから大和五條へ行ったら、「本陣うどん」を食べてみたいと思ってた。


他人から聞くと、皆は「美味い! ホンマに美味いで!」と言う。


聞けば聞くほど食べてみたくなる。


しかし、大和五條へ行く用事がなかなか無い。


そして大和五條は遠いんや・・・


前回行った時は、お店の営業時間ではなかった。


前々回は定休日。


縁がなかったというか、楽しみを残っておいたというか・・・


今回(昨日)、お店は開いていた。


でも、駐車場が満車で開いていなかった・・・


私は、やっとのことで駐車し、やっと食べることが出来た。


美味しかったで~!


「写真;大和五條・本陣うどん」

司馬遼太郎に夢中

2010年08月30日 | 読書
「読書の秋」です!



今、司馬遼太郎に夢中です。



今年の初めに東大阪にある司馬遼太郎記念館に行ってから、



彼の書斎にあったソファーが目に焼き付いて・・・



それに記念館にあった圧倒されるような蔵書の数。


少しでも彼の本を読んでみたいと思ったのです。



それ以降、古本屋に行くと必ず彼のコーナーを覗き、



未読の本があれば購入することにしています。



でも難しいのは、どの本の何巻を既に買っていて、



何巻はまだ買っていないのかが分かりにくいこと。



それで、手帳にメモして確認するようにしているのです。



でもねぇ~古本屋の105円コーナーでは全巻揃わないんですよ・・・






今日,病院で司馬遼太郎の『世に棲む日日』を読み終えた。


全4巻,ワクワクしながら読むとアッという間やった。


「おもしろき こともなき世を おもしろく」という言葉を残して,高杉晋作は4巻の290頁でその生涯を閉じてしまった。


なぜか,今年1月に山口を旅した時に秋吉台の近くで見た「黄色いガードレール」を思い出した。


落ち着いたら山口県萩をゆっくり旅したいと思う。


筆者が書いた「文庫版のためのあとがき」の最後の5行が心に滲みてきた。


「そう思い決めた場所から,この 『世に棲む日日』を書きはじめた。とくに,人間が人間に影響をあたえるということは,人間どういう部分によるものかを,松陰において考えてみたかった。そして後半は,影響の受け手のひとりである高杉晋作という若者について書いた。『世に棲む日日』という題は,高杉の半ばふざけたような辞世の,それも感じようによっては秋の空の下に白い河原の石が磊々ところがっているような印象からそれをつけた。」

司馬遼太郎記念館の彼の書斎の光景が浮かんできた。


人生なぁ・・・


義母には縁あって,いろいろ世話になったよなぁ~




「写真;司馬遼太郎記念館」



弘法大師の岩清水

2010年08月30日 | 山・川・水・温泉
昨夜の夕食は「湯豆腐」やった。





その訳は、一昨日に吉野大峰山麓・洞川(どろがわ)の名水百選に選ばれている「ごろごろ水」と、その水で作った「名水豆腐」を戴いたから。





鍋に「ごろごろ水」を注ぎ、「名水豆腐」を湯がいた。





鍋か~ 秋やなぁ~





暑い夏が終わったけど、農作業等で汗をかいた後は「水」が旨いよなぁ~





(もちろん、ビールはもっと旨いけど!)





それが旨い水やと、ホンマに「天国やなぁ~!」って思う。





「水」と云えば、暑い夏のある日、私は奈良・宇陀市にある「墨坂神社」横を通過し、国道369号線(旧伊勢本街道、おかげ街道)を宇陀 川沿いに室生・曽爾の方向に走っていた。


その道沿いに「弘法大師の岩清水」を見かけた。


弘法大師が全国行脚の途中、清浄水の補給の為、この地で清水を掘り開いたという。


それ以来、千百数十年この岩清水は日照り続きでも涸れず、嵐が来ても濁らず、ちょっとやそっとで腐らないことで有名なのだそうだ。


車から降りて、私も一口飲んでみたいと思ったけど・・・


100円必要なのと、入れる容器を持っていないのとで、その日は諦めることにした。


これも名水ブームのご時世なんかも知れへんけど・・・


ちょっと寂しい話やったなぁ~


「写真;弘法大師の岩清水」


嶽の立石

2010年08月30日 | 県内
あの日、何かスッキリしない、期待したわりに感動のない気持ちで道標のある分岐まで戻った。


分岐で車を停め、下車して、残念な気持ちで今下りて来た山の方角を眺めた。


車に乗ろうとして、道標を再度見ると、大きな道標の下に小さな道標があるのが分かった。


その小さな道標では、「寝石」は左を示しているのに、「立石・蛇石」は右を示している?


なんで上の大きいのと、下の小さい道標が示す向きが違うの???


知人と話した時、立石まで車で行けると云っていた。


だから私は、無理に山道を車で上ろうとして諦めバックしたんや・・・


なぁ~んや~ 右側の道のほうがエエ道で広いやんか・・・


諦めていた気持ちが復活し、再び「嶽の立石」 にチャレンジすることに!

右側の新しくて広い道を車で快調に上った。

小さな神社(嶽神社)が見えてきた。


公衆トイレまで完備されていた。


しかし「嶽の立石」は、まだまだ前方なのか?


しばらく走って道標を発見!


しかし、そこには「嶽次郎」「嶽三郎」と書かれていた。


「嶽太郎」はさらに先にあるらしい???

「蛇石」はさらに先の先にあるという。


でも・・・さっき、谷間の道を歩いた苦労は一体なにやってんやろうか?


やっぱり、汗をかいて旨くビールを飲むためとしか説明がつかへんよなぁ~


せやけど、細長い巨石があんなに乱立している光景には感動した!


どうしたら、あんな風に石が立つんやろか?


昔の人がこれを見たら、信仰の対象に思たやろなぁ~


「写真;嶽太郎」


「雑草メロン」にアクセス殺到?

2010年08月30日 | 趣味の園芸
今日は植木屋さんが4人,庭の手入れに来てくれた。


私は鎌を持って庭の草刈り。


いったいどんな家に住んでいるの?と聞かれそう。


長男と家人は,植木屋さんが剪定してくれた,木の枝を集めて裏山に捨てる係。


秋やというのに暑くてねぇ~


10時の休憩,そして昼食時にビールで水 分補給した。


お昼の休憩時,PCの電源を入れブログを見た。


不思議なことに,「雑草メロン」にアクセス殺到?


ビールの影響やろか?

変な趣味?

少し探してみると,原因はネットのニュースやと分かった。

世界最小メロンを守れ 香川、島おこしに期待(産経ニュース)

瀬戸内海に浮かぶ女木島(高松市)で、ウズラの卵ほどの“世界一小さな”メロンの保存が進んでいる。苦味が強いが熟すと酸味が出るという。


自生するため島では「雑草メロン」と呼ばれる。約40年前に発見した藤下典之さん(80)によると、世界最小。除草剤の影響もあって減少していた。


島の観光協会が5月に種をまき、大小約30個の実が付いた。順次収穫する予定で、「ゆくゆくは漬物に加工して、島おこしにつなげたい」という。


と書かれていた。


いつぞやの師匠からの手紙,「今秋,雑草メロンの同士,四国に集まれ!」という葉書の意味がようやく分かった。


懐かしいなぁ~ 「MG-16」


さぁ~昼からも庭の作業やなぁ~


「写真;師匠からお年玉に貰った雑草メロン」

こんぴらうどん

2010年08月30日 | 麺類
琴平の宿の宴会場で夕食を頂きながら外の景色を眺めたら,「こんぴらうどん」という看板が宿のすぐ近くに見えた。


給仕の方からこんぴらさんに朝4時半に参るようにアドバイスを受けたあと,「あれは饂飩屋さんですか?」と聞くと,「あの店,朝の6時から営業しているんですよ!」という答えやった。


そのことを聞いて,麺好きの私は,こんぴらさんに参った後,あの店に寄ってみようと決め た。


他に予定がなく時間が許せば,こんぴらさんから日の出を観てたんやけど・・・


だから私は,「こんぴらうどん」を目指して785段の階段を下りた。


「こんぴらうどん」に到着したのは5時50分。


すでに暖簾が掛かっていた。


戸を開けると店内(食堂?)の照明は点いていない。


しかし,カウンターの向こう(製麺所?)では働く人の姿があった。


声をかけると少し待って欲しいとの返事。


私は,製麺所で働く人の姿を 興味津々眺めていた。


打ちたてホヤホヤのかけうどん(小;150円)を戴いて宿へ戻り,こんぴらさんの階段で掻いた汗を流しに風呂へ。


風呂上りに部屋でビールを飲み,少し休憩してから朝食会場へ。


もちろん朝食と共にビールを戴いた。


これはもう,小原庄助さん以上やなぁ~ 


シアワセやったなぁ~


「写真;株式会社こんぴらうどん・店内(製麺所?)」


金剛山

2010年08月30日 | 山・川・水・温泉
金剛山(1125m)は、奈良県と大阪府の県境に位置し、両府県から何本もの登山道がある。


(大阪府からは、千早赤坂村からロープウ ェイもある。)


その登山道の1つに「郵便道」という珍しい名前の道がある。


高天彦神社の横から金剛山へ登る道がその道なのだ。


名前の由来は、金剛山の山頂は大阪府と奈良県境に位置しているが、正確に言うと山頂一帯は奈良県に属しているとのことで山頂の社務所は奈良県に属する 。

それで、社務所に届ける郵便物は、奈良県御所(ごせ)市側から徒歩で届けられたという。


それは戦後間もない頃まで続いたようだ。


高天彦神社から山頂までは約2時間。


植林が済んだ杉・檜の木立の中を黙々と登った。

途中でカケスの羽根とあの植物を発見!


稜線に出ると二上山から続くダイヤモンドトレイルと合流。


ここまで来ると、杉並木の続く神聖な雰 囲気。


暫く歩くと木製の鳥居があり、さらに歩くと『雄略天皇「矢刺神社」御猪狩遺跡』という立て看板。


ここがアノ一言さんと雄略天皇とが出会った場所?やったんやろなぁ・・・


すぐ近くに見える山頂には「葛木神社」。


時計を見たら、麓の高天彦神社から葛木神社まで1時間20分かかってた。


毎日,郵便さん大変やったやろうなぁ~

※一言主神のこと
今昔物語に登場する一言主神は顔が醜くかったと伝えられ、葛城の怪人と言われた役行者は、修行のために葛城山(現在の金剛山?)と吉野の金峯山の間に岩橋を架けようとした。諸神を集めて架橋工事をさせたが、一言主神は顔が醜かったため、昼は働かず夜しか働かなかったので、石橋は完成しなかった。役行者は怒って、近くの小川のそばの大木に一言主大神を縛り付けてしまったという事が記されているという。

「写真;葛木神社・転法輪寺への参道」

屯鶴峯

2010年08月30日 | 山・川・水・温泉
明日は終戦記念日。



去年はこの時期に柳本飛行場跡を訪ねた。



http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2008/08/post_2d6a.html



そして先日,信州・松代大本営のことをブログに書いた。



http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2009/08/post_3476.html



実は,奈良盆地の西端・二上山の北麓「屯鶴峯(どんづるぼう)」の地下に「松代大本営」の西日本版の地下壕がある。



二上山周辺には,この地下壕だけではなくさまざまな軍事施設が存在していたようである。高射砲台、機関銃座、燃料貯蔵用地下壕、大阪府に目を向けると、盾津飛行場、大正(八尾)飛行場、羽曳野市の地下軍事工場。いわば、この周辺が陸軍航空 部隊・航空総軍の一大拠点となろう としていたよだ。そして、屯鶴峯の地下壕はこれらの施設を統括する拠点として建設されようとしていたという。



「屯鶴峯」とは,凝灰岩の地形。



約1500万年前に二上山が激しい噴火を繰り返し,その時の火砕流が堆積・凝固・隆起・侵食を受けて出来たもの。

「屯鶴峯」とは、松林に多くの鶴が屯(たむろ)しているよう見えるからというのが由来とされているが,マオリ語で「トネ・ツル・ポ ウ(柱を縦に並べて立てたような瘤)」という説もあるそうだ。



私は何度か「屯鶴峯」に地層の観察,化石採集に行ったことがある。

それと太平洋戦争末期に掘られたという巨大な「地下壕」の見学に。

地下壕は東西2箇所あり,東は京都大学地震予知研究センター観測所が建てられ、侵入不可能。
私は前回,西の地下壕を見学させてもらったのだが,東西に掘られた穴と南北に掘られた穴があみだくじのように交わり,壁面にダイナマイトを入れた穴やツルハシの跡が残っていた。

戦争末期,強制連行によって連れてこられた朝鮮人や朝鮮人兵士ら約300人が動員され,およそ2ヶ月で約2km掘ったという。

「写真;屯鶴峯」




地震と読書と墓参り

2010年08月30日 | 読書
今朝のネットのニュースを見ると,次のような事が載っていた。



「11日午前9時50分ごろ、静岡市駿河区南町のマンションで、会社員の女性(43)が大量の本に埋もれて死亡しているのを母親らが見つけた。



県警によると、部屋には約千冊の本があり、11日早朝の地震で崩れたとみられる。行政 解剖の結果、女性の死因は胸と腹を圧迫されたことによる窒息死とわかった。」



今朝は早起きをしてご先祖様を迎えに墓へ。



手には線香と再び「胡瓜の馬」,「茄子の牛」。



今回は,母以外のご先祖様をお迎えするのだ という。



私は墓への道中,ネットのニュースで見た記事が気になってしょうがなかった。



1000冊の本が倒れてきて,埋もれて死亡なぁ・・・



もの凄い読書量やなぁ~



せやけど凄い死に方やなぁ~



そんなことを考えながら墓から帰って来たら,仏壇の前で「茄子の牛」の脚が1本ないのに気が付いた。



墓まで探しに戻ったんやけど・・・

野道で見つけるのは無理やった。


松代大本営と皆神山

2010年08月30日 | 山・川・水・温泉
今朝のTVで広島が映っていた。


戦争・原爆・放射能・・・


我が家の被爆アオギリは、ずいぶん大きく生長している。


http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2006/06/post_c591.html


あの旅の2日目の宿は、長野県松代やった。


もう少しで宿という所の松林は、八幡原史跡公園。


どうやらここが、謙信と信玄の川中島古戦場やったらしい?


私は、それで戦国時代の歴史に登場する川中島の位置がよう やく分かった。


しかし、私にとって「松代」と聞けば「松代大本営」。


夕食時、給仕に来てくれた宿の人に、明日の早朝、そこへ行って見学できるかどうか聞いてみた。


「松代大本営」とは、アジア・太平洋戦争末期、現・長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に、善 光寺平一帯に分散して作られた地下壕などの地下軍事施設群のこと。敗色濃厚だった当時、軍部は本土決戦を行うことにより連合国側に「最後の打撃」を与え、「国体護持」などのよりよい和平条件を得ようと考えていた。

松代大本営の地下壕には、宮城(皇居)、政府の諸官庁の主要部、日本放送協会海外局(ラジオ)など、天皇制国家を支える中枢機関がまとめて移転する計画だったらしい。


この工事には、多くの朝鮮人労働者が動員され、過酷な労働を強いられた。しかし、その犠牲者などについてはほとんど明らかにされていないという。


宿の人の返事は素っ気なく、「9時か10時の開館時間にならないと無理です。」とだけ。


私が、「外からでは何も見えませんかね?」と粘って聞いても、「何も見えませんよ!」としか答えてくれなかった。


きっと忙しかったんやろう? それとも大本営に関心がなかったからやろか?


翌朝、宿の窓から「皆神山」を探した。


「皆神山」は、人工的なピラミッドであるといわれている。


この山が注目されたのは、昭和40年から約2年間続いた「松代群発地震」から。2年間で有感地震7万回、1日当たり300~1000回も発生した。そして、この地震の異様さは、震源地がほとんど皆神山の真下3~5キロメートル。火山でもない皆神山がなぜ震源となったのかは、現在まで結論が出ていないとのこと。


皆神山の中心部で若干重力が少ないことが解っている。このことから、皆神山の地下には縦3キロメートル、横1.6キロメートル、深さ400メートルの楕円形空間が存在するという説があるのだ。


「写真;皆神山」

黒部ダム

2010年08月30日 | 自宅から東へ
霧と強風の室堂散策のあと、立山トンネルトロリーバスに乗り大観峰へ。



すべてが立山を貫くトンネルの中で真っ暗やった。



大観峰からの展望は、室堂と違って霧が無く良かったで!



ショックやったのは、大観峰駅にあった室堂の様子を映すモニター画面。



それを見ると室堂も霧が晴れ、私が見たかった山々が見えてるやんか~!



売店のお菓子の袋は、標高が高いからかパンパンに膨れていた。



自分の身体も食べ過ぎと飲み過ぎで、こんなんかも知れヘンなぁ~?



それから立山ロープウェイと黒部ケーブルカーに乗って黒部ダムへと下りた。



ダムサイトに着いたら、また小雨が降り出した。

せっかく傘終もたのに・・・



黒部ダムには感動した!



この厳しい大自然の中に、これほど巨大なダムを建設するとはなぁ~



飽きるほどダムと放水の写真を撮った。



ダムの堤防を歩いて渡りきった所にあった新展望台と展望台。

新展望台に降りてから展望台まで階段を歩いて上る と、足に応えてねぇ~



関電トロリーバスに乗って、富山県から長野県扇沢へと出た。

まさにこのトンネルが「黒部の太陽」やねんやろうけど、けっこう長いトンネルもバスに乗ったら楽チンで、難工事の末突破したという破砕帯もあっと言う間に通過してしまった。



映画やTVのこと、思い出す間もないほどやった。



扇沢駅に着き、バスのマークを見たら、見慣れた「関電」のマーク!



妙に懐かしい気分になってしもたわ~



「写真;黒部ダム」



黒部峡谷トロッコ列車

2010年08月30日 | 自宅から東へ
先週行った富山への旅の話。



山登りに興味のない家人は,宇奈月 から乗るトロッコ列車と立山-扇沢間のアルペンルート,上高地へのバスの位置関係やその区別が分からへんという。



私は何度か口で分かりやすく?説明したはずやけど,なかなか上手く通じない。



このままでは夫婦喧嘩?になりそうな雲行き・・・



そこで,旅の愛読書「るるぶ」を買って来て,家人のよく見える所に置いておいた。



家人はなぜかアルペンルートに興味を示し,熱心に「るるぶ」を読んでいた。



旅の初日は,富山県宇奈月へ。

宇奈月温泉は,我々家族にとって思い出の地。



15年ほど前の冬,家族スキーを計画し,旅行社に紹介してもらったのが宇奈月温泉やった。



今回,宇奈月駅に着いた時,トロッコ列車より先に目が行ったのは,子どもがリフトに乗り切れずに転落したスキー場へのリフト乗り場やった。



懐かしかった~



まだ子どもたちが小さかったので,スキー場で滑るより,専らスキー場とその下にあるスキー場へ向かうリフト乗り場の間の雪の積もった道路を多く滑っていた。



この道路が,けっこう距離の長い家族専用ゲレンデやったんや・・・



そんな昔を思い出しながらのトロッコ列車。



往復約2時間半,隣に座った家人と,現在のこと,過去の思い出,それからこれからのことなどを話して揺られていた。



鐘釣駅で下車し,万年雪を探したけど殆ど残っていなかった。



やっぱり地球温暖化?



ホーム横にあった「メグスリの木」が目面しく,その木のエキスが入っているという「メグスリのあめ」を土産に買った。



私の老眼傾向治るとええなぁ~



「写真;黒部峡谷トロッコ列車と新柳河原発電所」



関西光科学研究所

2010年08月30日 | 建築物
2日間お世話になった「関西光科学研究所」のことを説明するのは,とても難しい。
HPによると
「原子力研究の新たな展開を図ることを目的に、先進的レーザー及び第3世代放射光の光源開発とその利用研究(極短パルス超高強度レーザー を用いた研究、超高強度場における新しい物理現象の発現を主な対象とし、その過程で生成する新放射線源(相対論的荷電粒子やX線、γ線等)の科 学、産業、医療分野の研究)を推進することにより光科学研究の中核的拠点となることを目指して平成7年10 月に設立された。」とある。
これを読んでも,まだ分からへん???
どう説明したらええんやろか?
私もホンマによう分からへん・・・
ただただ当施設の食堂が,390円という安価でボリュームたっぷりやったのが嬉しかった!
「写真;関西光科学研究所」