港区歴史フォーラム第二部は
テレビ、ラジオで活躍中の岩下尚史さん
新橋演舞場に勤めていたそうです。

江戸の歌舞伎は庶民のものでなかったそうです。
忠臣蔵も討ち入りの前に作られ、
切腹後、いくつかの作品が作られ
四十数年後に仮名手本忠臣蔵が作られた。
忠義と恋が描かれており、両方を立てようとする日本人の心意気が表されています。
歌舞伎が庶民の物になったのは近年だそうです。
江戸庶民には講釈師などで広まったそうです。
そういえば「講釈師見てきたような嘘をつき」という言葉もあります。
従来、文化とは経験によって身につけていくものではあるのだが、本やテレビで身につけるものに
様になってしまった。
従来教養や技術も今では学びと行動により
経験として身につけていったのだが、今日
ネットで調べてそれで知識としてしまう。
それで良いのか些か疑問である。
両方を立てようとする日本人の気質も
今では薄れて、どちらか一方に答えを決めてしまう。
いつしか多様化を許さない様になってしまった事は寂しいものである。
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