吉本興業所属のタレント、亀山房代さんが23日午前2時57分、心室細動のため亡くなったそうです。42歳でした。
アタシは以前…と言っても18年も前ですが、大阪・道頓堀の焼肉店で働いていたことがあります。
とある一日。
その日は店の給料日で、当時副主任だったアタシは店長の代わりに従業員に給料を渡していました。(現金払いだったのです)
そこに入って来たのが、「ザ・ぼんち」を解散して『まさと・亀山』という漫才コンビを結成した“里見まさと”さんと“亀山房代”さん、それに若手芸人数名でした。
『おっ、給料日かいな!』
と言ってにこやかに席に着く“まさと”さん。
焼肉の宴は「酒宴」とも言えるくらい楽しく盛り上がったようで、会計の段になって“亀山房代”さんがレジにいるアタシの所に来てお支払いをして下さいました。
おそらく“まさと”さんのお支払いだと思いますが、お金を払いに来たのは“亀山房代”さんで、物腰が柔らかく丁寧な言葉遣いだったのが今でも印象に残っています。
『吉本新喜劇』に出演していた当時、「明るくパワフルな演技をするなぁ」といっぺんでファンになりましたが、その後“里見まさと”さんと漫才コンビを結成したニュースを聞いたときはマジで驚きました。
NGK(なんばグランド花月)で『まさと・亀山』の漫才を何度か拝見しましたが、「キテレツ大百科」や「名張(なばり・三重県の地名で亀山さんの出身地)」のネタで大笑いしたのを記憶しています。
結婚され、お子さんを出産し、コメンテーターや講演などで最近まで活躍していただけに、本当に残念でなりません。
NHK「中国語会話」の生徒役(2004年度)も覚えていますし、ブログ(カメぶっく)によれば昨年神奈川に転居し、先月は四谷で「食育」に関するイベントに出演していたようです。
最愛の旦那さんと小さなお子さんを残しての急逝は、“亀山房代”さんを応援し、愛した、全てのファンにとって悔やんでも悔やみきれない想いがあるでしょう。
関東圏の方には、もしかしたらあまり馴染みがないかもしれませんが、“亀山房代”さんを知っていただき、心に刻んでいただきたく、この記事を書きました。
謹んで、亀山房代さんのご冥福をお祈り致します。
合掌
アタシは以前…と言っても18年も前ですが、大阪・道頓堀の焼肉店で働いていたことがあります。
とある一日。
その日は店の給料日で、当時副主任だったアタシは店長の代わりに従業員に給料を渡していました。(現金払いだったのです)
そこに入って来たのが、「ザ・ぼんち」を解散して『まさと・亀山』という漫才コンビを結成した“里見まさと”さんと“亀山房代”さん、それに若手芸人数名でした。
『おっ、給料日かいな!』
と言ってにこやかに席に着く“まさと”さん。
焼肉の宴は「酒宴」とも言えるくらい楽しく盛り上がったようで、会計の段になって“亀山房代”さんがレジにいるアタシの所に来てお支払いをして下さいました。
おそらく“まさと”さんのお支払いだと思いますが、お金を払いに来たのは“亀山房代”さんで、物腰が柔らかく丁寧な言葉遣いだったのが今でも印象に残っています。
『吉本新喜劇』に出演していた当時、「明るくパワフルな演技をするなぁ」といっぺんでファンになりましたが、その後“里見まさと”さんと漫才コンビを結成したニュースを聞いたときはマジで驚きました。
NGK(なんばグランド花月)で『まさと・亀山』の漫才を何度か拝見しましたが、「キテレツ大百科」や「名張(なばり・三重県の地名で亀山さんの出身地)」のネタで大笑いしたのを記憶しています。
結婚され、お子さんを出産し、コメンテーターや講演などで最近まで活躍していただけに、本当に残念でなりません。
NHK「中国語会話」の生徒役(2004年度)も覚えていますし、ブログ(カメぶっく)によれば昨年神奈川に転居し、先月は四谷で「食育」に関するイベントに出演していたようです。
最愛の旦那さんと小さなお子さんを残しての急逝は、“亀山房代”さんを応援し、愛した、全てのファンにとって悔やんでも悔やみきれない想いがあるでしょう。
関東圏の方には、もしかしたらあまり馴染みがないかもしれませんが、“亀山房代”さんを知っていただき、心に刻んでいただきたく、この記事を書きました。
謹んで、亀山房代さんのご冥福をお祈り致します。
合掌