アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

673 生きてるだけで丸儲け  ㉒ Wヤング 

2020-02-24 08:20:52 | 日記

生きてるだけで丸儲け!

Wヤング 

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横山やすしが、最も恐れた漫才師。ビートたけしが、絶対抜けない存在。と、漫才界の巨匠に絶賛された漫才師である。もちろん第1次Wヤングである。筆者が、覚えているWヤングとは、中田治雄が、サックスを吹き、平川幸雄が、ギターを弾く音楽ショーだった。時には、ブリッジした状態でサックスを吹いたり、背中で反対のギターを弾いたりしていた。いずれも平川の歌唱力が秀でていた。

しかし、ブレークしたのは、「しゃれ尽くし」だ。例えば、野菜ネタ。「人のことなんかかぼちゃられませんわ」「なんでもごぼうごぼう上がりますよね」「いい加減に椎茸」「アスパラどうしたらいいの」「ではこのへんでえんどう豆」などと延々と続く。たばこネタ、政治家ネタなど豊富な題材があり、笑いだけでなく妙に感心もした。今までに無い斬新で、練り込まれた至芸であった。しかもテンポが速いので他の漫才師ではまねが出来ない。

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横山やすしやビートたけしが、恐れたのはこれだ。しかし、人気絶倒の時に、大事件がは起こる。中田治雄の賭博による多額の借金問題だった。一時吉本が立て替えたが、結局闇社会に追われて自殺した。皮肉にもその直後、漫才ブームが勃発した。ブームのきっかけとなった「花王名人劇場」の初回のトリは、Wヤングを考えていたと、後にディレクターの澤田隆治が告白している。

その後、佐藤武志という新喜劇の役者だった男と漫才コンビを再結成した。いつまでヤングを名乗るのかと当時思ったが、すでに「ヤング」という言葉自体が古くなっていたのだ。どつき漫才の時期もあったが、正統派のしゃべくり漫才師として一定の評価を得ていた。しかし、第1次を越える事はなかった。

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平川幸雄は、昨年末78歳で亡くなった。追悼番組がなかったのは残念だ。

芸人は死ななければどんな大きな芸人になったか、よく考える。中田治雄もそうだ。林家小染・桂吉朝など落語家にも多い。

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