京都府京都市東山区本町15丁目812
宗派 臨済宗東福寺派
寺格 東福寺塔頭
創建年 正応4年(1291年)
開基 無関普門
文化財<国宝>方丈<重要文化財>庫裏、表門、木造大明国師坐像、銅無関禅師骨蔵器、石櫃
偃月橋を渡る。
国宝「方丈」の扁額
重森三玲の庭園
京都府京都市東山区本町15丁目812
宗派 臨済宗東福寺派
寺格 東福寺塔頭
創建年 正応4年(1291年)
開基 無関普門
文化財<国宝>方丈<重要文化財>庫裏、表門、木造大明国師坐像、銅無関禅師骨蔵器、石櫃
偃月橋を渡る。
国宝「方丈」の扁額
重森三玲の庭園
報恩寺 「つかずの鐘」
報恩寺のある西陣は機屋の町。
昔、寺の近くの織屋に丁稚(でっち)と織子(おりこ)が奉公していた。
この2人、何かというと口げんかをしていたという。
そして、ある日のこと。
寺の暮六つの鐘が「いくつ撞かれるか」というこで口げんかとなった。
丁稚は八つだと言い張り、織子は九つだと言い張った。
ただ、丁稚は織子が「九つ」だと言うので「八つ」と言い張っただけのことで、実際は「九つ」撞かれることを知っていた。
そこで、丁稚は使いに出たついでに寺へ行き、寺男に暮六つの鐘を今日だけ「八つ」にしてくれるよう頼んだ。
そして日没のときがきて報恩寺の鐘が鳴り出した。
鐘は八つ鳴って終わった。
翌朝、寺男が鐘を撞きに行くと、鐘楼に帯をかけて死んでいる織子を発見する。
以後、報恩寺では朝夕の鐘は撞かれなくなり、除夜と大法要のときのみ撞かれるようになったのだという。
正式名称 報恩寺
よみがな ほうおんじ
通称名称 鳴虎
よみがな なきとら
住所・所在地 上京区小川通寺之内下ル射場町579