第32番 新日吉神社
所在地 京都府京都市東山区妙法院前側町451-1
主祭神 日吉山王七神 後白河天皇
社格等 旧府社
創建 永暦元年(1160年)
本殿の様式 流造
例祭 10月16日
全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である日吉大社より山王七社(上七社)を勧請した。目的は後白河上皇が院政をする法住寺殿の鎮守社とする為である。同時に、平清盛から贈られた蓮華王院(三十三間堂)を鎮守寺。新熊野神社をその鎮守社としている。新日吉は「いまひえ」と読む、新熊野も(いまくまの)と読む。しかし今熊野観音寺も(いまくまの)と読むが(今)と書く。さらに日吉大社は(ひよし)と読むが、今日吉は(いまひえ)と読む。東京に行くと、日枝神社と書く。いずれも比叡山麓を源流にする山王信仰の流れである。ここまで、比叡、日枝、日吉と、いずれも(ひえ)について書いた。自らと読者の頭を混乱させた。
新日吉神社は、東大路通の七条を上がって東に折れる。秀吉の御廟である阿弥陀峰や京都女子大学のある付近に鎮座する。鳥居の向こうに鮮やかな朱の門がまず目に入る。広々とした境内に人影はなく、摂社・末社には秋葉神社や天満宮もある。本殿前の両脇には狛犬にあたる猿の石像がこちらを睨んでいた。魔除けに欠かせない「神猿」は(まさる)と読む。鬼門の丑寅(うしとら)に対して裏方向にあたる未猿(ひつじさる)で防ぐのである。
さて、御祭神には後白河上皇が合祀されていることを聞いてやって来た。このあたり、三十三間堂を中心に後白河上皇ゆかりの寺社が集中する。院御所を営んだ法住寺、鎮守社の新熊野神社や上皇の御陵など見どころが多い。残念ながら向かいの京都女子大学のキャンパスは、休講かコロナ禍か。女子大生の健康的な笑顔と笑い声が聞こえず寂しい思いが募った。ナンパしたくても女子がいないと話にならない。