曼殊院(まんしゅいん)は、京都市左京区にある天台宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。開山は是算(ぜさん)。竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院であり、青蓮院、三千院(梶井門跡)、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられる。国宝の黄不動、曼殊院本古今和歌集をはじめ、多くの文化財を有する。紅葉の名所である。
その曼殊院の庫裏入口にこのような扁額がありました。「ビソウ」と、読みます。竈(かまど)に媚(こ)びると言う意味です。
・さてこれをどう理解するか。ネットで調べれば色々出てきますが、単純に理解すれば、やはり人間というものは生きていることを感謝すべきと思います。「生きてるだけで丸儲け。」とは、明石家さんまの名言です。もとは師匠の笑福亭松之助の言葉です。「生きてるだけで丸儲け。」なら、「健康であれば大儲け。」ですね。ならば、毎日米の飯を提供する「かまど」に感謝をすることと教えているのでしょう。
・まさかそのような単純な話ではない。世間には「媚びへつらう」輩が多い。リスペクトするのではなく「媚びる」のである。辞書には、『他人に気に入られるような態度をとる。機嫌をとる。へつらう。「権力者に―・びる」「観客に―・びる演技」』と、書いてある。特にサラリーマンであれば、媚びて生きていくことは避けられない。媚びられて気分を良くする上司が多いのである。尊敬されているのと、媚びられている区別のつかいない輩は多い。
・つまり、人間の矜持を持って生きよという事でしょう。そんな人間に媚びて生きるよりよっぽど世話になる「かまどにでも感謝しておけ」という教えなのだ。物言わぬ竈に媚びていると裏切りはない。飯を食うことに感謝するのは徳を積む修行にもなる。
・しかし、である。尊敬できない上司でも媚びることは間違いなのか?サラーリーマンたるもの自分が生き残らない限り地位も収入も断たれる。家族を養う為には媚びることもある。大切なのは、媚びているのか、敬っているのかの区別が分かっているかどうかだ。媚びる相手を間違ってもいけない。媚びる価値もない上司に媚びれば、周囲から信用されない。
・そして、自分の矜持の限界線を越えてはならない。卑しく生きることになるからだ。そうであれば「竈媚」する方がましだ。生きるとは矜持や誇りを削って行きていくのである。
皇室との関係が深い。
梟の手水鉢
庭園 茶室は「八窓軒」
鶴島の庭
所在地 | 京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内町42 |
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