蓮華寺に紅葉を見に行った。
所在地 | 京都府京都市左京区上高野八幡町1 |
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山号 | 帰命山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
開山 | 実蔵坊実俊 |
開基 | 今枝近義 |
中興 | 寛文2年(1662年) |
別称 | 洛北蓮華寺 |
街道沿いだが、注意していないと見逃す。
崇道神社のすぐとなり。右手に土蔵が見える。
今年の紅葉の季節。
そこは上高野にあり、大原に繋がる通称「鯖街道(国道367号線)」沿いにある。その先には近年有名になった瑠璃光寺など名所は多い。この寺は加賀前田藩の家臣、今枝民部近義が再建し寺の整えたものである。近義が蓮華寺を造営したのは、その祖父の願いに応え、菩提を弔うためと考えられている。蓮華寺形灯籠として知られる細長い灯籠が特色の池泉回遊式庭園が見どころ、「基礎は六角で蓮弁がつき、竿は丸竿で中央部が膨らむ独特の形をして」おり、茶人たちに好まれたという。
冬の庭園。
普段はこんな感じ。
その庭園の紅葉は最盛期を過ぎていたが、見事な情景を見せてくれた。何度か訪れているが秋に来たことがなく念願がかなった。普段は訪れる人は少なく、いつも一人でゆっくり鑑賞し高齢だが会話の弾む住職やその奥さんと談笑するのが楽しみである。私の顔を覚えてくれているとは思えないが、オシッコの近い小生に閉鎖している厠の使用を認めてくれた。ただ、真っ暗な古典的便所は狙いが定まらず苦労した。やっと目が慣れた頃には用は終わっていた。
名水が湧く。
同じ井戸の冬景色。
書院の縁側に腰を掛けてゆっくり鑑賞したい。帰り片隅の土蔵に「寺子屋跡」と書いてある。事情を聞いて見たら、江戸時代には農閑期になると近所の子供たちを男女問わず集めて読み書きを教えていたとの事、土蔵の中なので年中温度が保たれて冬などは快適であったようだ。それは明治時代の初期まで続いていたらしく、維新後の文明開化を短期間になしえたのはこのような結果の日本人の識字率の高さがあったとつくずく思う。アジアの他の国にはない日本の特徴である。