地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

おとりこし❓

2018-12-05 21:53:00 | 日記
若いときに、お寺の住職さんや神社の神主さんと、何かについて話をする機会は少ないですよね。

たまたま近所とか、同級生がその関係の息子とか。そんな感じでなければ、中高年になってもその機会は少ない。

最初にそう言う場面が来るのは、親が亡くなって喪主を勤めたときと言う人が多い様です。

「おとりこし」ですが、、、我が家は真言宗なので「おとりこし」は有りません。

親鸞の浄土真宗の行事ですね。

親鸞が亡くなったのが陰暦の11月28日。
その日はその流れを汲む人達が、親鸞の教えに感謝をして、その恩に報いる。

ここまでは宗教家にあまり好感を持たない私でも、それはそれで良いんじゃない。
そう思うのです。

しかし、何故にその日より前に各地の住職が檀家を廻るのか❓

必然的に檀家は「謝礼金」を坊さんに支払う事になります。
まぁ、親鸞に直接渡すわけにもいかず。その代理にお礼のお金をお布施と言う形で差し出す。

これも、、、、まぁ良しとして。

しかし、、、親鸞の亡くなったとされる日に、お寺に行ってお礼をするのが本筋では❓

よく考えると、、、、
そこには「坊さんの都合」が優先されている事に気がつきます。

まず、来るのを待つより、行った方が確実に集金できます。

それと、、、、
坊さん自身が上部団体の報恩講に行く必要があるので、その日は都合が悪いんです。

これは、たまたま浄土真宗の家にそのお知らせが有った時、居合わせて思った事です。

こんな坊さんのご都合主義は、どの宗派にも見られます。

確かに宗教は人の世界とは違って、民主主義でも、主権在民でもありません。

神や仏は私達一般人とは別格との考えで、それに仕える人達も別格に近い扱いになっています。

ところが、、、
いつか喪主をする時があれば、坊さんの勧めとは違う希望を言ってみれば解ります。

例えば49日などの日取りを
「その日はダメなので違う日に、、、」

祭壇の飾り方を自己流にアレンジする事を希望したり。

掛け軸を十三仏でなく、亡き人の好きな掛け軸にしたいとか、、、

坊さんは必ず承諾します。
そして、変更する事に訳の解らん屁理屈を言って正当化します。

「それは違う‼」と、正す事はないでしょう。

喪主は坊さんにとり大事な客なんです。
大事な客のためなら教義も簡単に曲げてしまう。

これは噂話では有りません。
私の経験談です。

私が宗教から距離を取ろうと思った最大の理由でもあります。
他にも理由は有りますけどね。