「まことに、わたしは主。公正を愛し、不法な略奪を憎む。わたしは真実をもって彼らのわざに報い、永遠の契約を彼らと結ぶ。」(イザヤ61:8新改訳)
イスラエルがイエス・キリストを主として受け入れた時、どんなに素晴らしい祝福にあずかるかを記したのが本章である。▼特に1、2節は主イエスがナザレの会堂で朗読された箇所で、人々に向かって「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました」(ルカ4:21同)と仰せられたのであった。町の人々はみなおどろき、この人は大工の息子なのになぜこんなことを言うのか、と言い合って主を信じなかったと記されている。だがやがてキリストが地上再臨されると、イスラエルは砕かれて回心し、心からメシアとして迎えるであろう。そのとき、永遠の契約が交わされ、彼らは祝福された祭司の民となる。▼霊的にいえば、この祝福はすでに回心したキリスト者に与えられていて、私たちは聖霊を受け、主の花嫁として栄冠をかぶらせられ、美しい宝玉で飾られている。福音は異邦人をかくも驚くべき救いに入れて下さった。