師走に入り年賀状のことが気になりだした。
毎年12月20日頃までには投函を済ませるペースで年賀状も作っていたが、パソコンのハードディスクが壊れてしまったこともあり、住所録のデーターが全部消えてしまっている。
さぁ困った。
年賀状の宛名書きなんてパソコンで印刷することが常識になりつつある中で、大昔みたいに手書きで書くのは大変な作業である。
特に僕みたいに小学生レベルの字しか書けない人間にとってはとんでもないことである。
データをまた最初から入れなおせば済むことではあるがそれが面倒くさい。
そんなこと考えてたら年賀状そのものが面倒くさくなってくる。
しかし、年に一度の挨拶だし、元旦に届いた年賀状を読む楽しみは自分が一番知っている。
ならばどんなことがあろうと年賀状は出さなければならない。
一応パソコンの年賀状無料素材集を取り込み裏面は完成したからあとは問題の宛名書きだ。
まだパソコンがなかった頃はひとつひとつ手書きでイラスト書いていた時代もあったし、その後は「プリントごっこ」なる一斉を風靡した道具で作っていたのを思い出す。
電球でバチッと原紙を焼いてそれにペイントをつけて印刷する古代メソポタミア文明時代に発明されたような労働力が必要なものだった。
子供の写真を写真屋さんに持ち込んで印刷する人も多かったが、そういうのも今ではほとんど自宅のパソコンで出来るわけで、年賀状印刷を商売にするのは難しくなっている。
自宅のパソコンで作るといっても印刷は自宅のプリンターでするわけだからインク代は馬鹿にならない。
今年は世の中がこういう状況だから、節約の意味もあって文字中心の年賀状が増えるかもしれない。
紅白歌合戦の司会者や出場者も決まり、流行語大賞の発表もあった。
あとは今年の世相を表す漢字一文字を京都のお坊さんが大きな筆で書けばいよいよ今年も終わる。
その前に年賀状はやっぱり仕上げないといけないな。
明日は明日はと思いながらついつい延ばしてしまう年賀状作り。
毎年12月20日頃までには投函を済ませるペースで年賀状も作っていたが、パソコンのハードディスクが壊れてしまったこともあり、住所録のデーターが全部消えてしまっている。
さぁ困った。
年賀状の宛名書きなんてパソコンで印刷することが常識になりつつある中で、大昔みたいに手書きで書くのは大変な作業である。
特に僕みたいに小学生レベルの字しか書けない人間にとってはとんでもないことである。
データをまた最初から入れなおせば済むことではあるがそれが面倒くさい。
そんなこと考えてたら年賀状そのものが面倒くさくなってくる。
しかし、年に一度の挨拶だし、元旦に届いた年賀状を読む楽しみは自分が一番知っている。
ならばどんなことがあろうと年賀状は出さなければならない。
一応パソコンの年賀状無料素材集を取り込み裏面は完成したからあとは問題の宛名書きだ。
まだパソコンがなかった頃はひとつひとつ手書きでイラスト書いていた時代もあったし、その後は「プリントごっこ」なる一斉を風靡した道具で作っていたのを思い出す。
電球でバチッと原紙を焼いてそれにペイントをつけて印刷する古代メソポタミア文明時代に発明されたような労働力が必要なものだった。
子供の写真を写真屋さんに持ち込んで印刷する人も多かったが、そういうのも今ではほとんど自宅のパソコンで出来るわけで、年賀状印刷を商売にするのは難しくなっている。
自宅のパソコンで作るといっても印刷は自宅のプリンターでするわけだからインク代は馬鹿にならない。
今年は世の中がこういう状況だから、節約の意味もあって文字中心の年賀状が増えるかもしれない。
紅白歌合戦の司会者や出場者も決まり、流行語大賞の発表もあった。
あとは今年の世相を表す漢字一文字を京都のお坊さんが大きな筆で書けばいよいよ今年も終わる。
その前に年賀状はやっぱり仕上げないといけないな。
明日は明日はと思いながらついつい延ばしてしまう年賀状作り。