本日は、クリスマス・イブですね。
我が家は、ランチにご馳走とケーキを頂きました。
ご馳走は、もちろん買ってきました(笑)
というのも昼から、以前から取り掛かろうと思っていた写真の整理を予定していたからです。
写真の数が多いものですから、仕分けに時間と労力のほとんどを奪われて、夕方にはグッタリしてしまい、夜は、ランチの残りのサラダとレンジで温めるごはんを半分食べて、終了でした。
それでは、写真整理の本日の成果を綴ります(笑)
本日の写真整理の目的とポイント
今回の写真整理は、以前整理した後に見つかった、大量の父の写真が主な対象です。
仕事柄、仕事中の写真(記録写真)が多く、また父の部署では毎年集合写真を撮る必要もあったらしく、それはそれはたくさんの集合写真と、業務中の写真が出てきました。
しかし、この全てを私が保管していても、将来誰かが見て懐かしんだり、楽しんだりすることは100%ありません。
見て楽しめるのは、本人と仕事中の父を見ることができなかった家族くらい。
その私でさえ、父の職場での集合写真を見たところで、懐かしさなどはほとんど湧きませんからね。
いつまでも所有しておくのも、何か違うような気がします。
本日は、このたくさんの集合写真をどうするか、ということと、業務中の写真やポートレート類については、どういった写真を残すか、ということにポイントを置いて仕分けをしました。
集合写真の残し方
基本的には、父が1列目あるいは2列目に写っている集合写真だけを残そうと決めていました。
一番後ろや、中途半端な場所に写っている場合は、思い切って処分しようと、作業を始めて後悔しました。
集合写真、多すぎ
長年勤めていたから、父が昇級すると、自然と1列目や2列目にいることが多いのだということに、仕分け始めて気がつきました(苦笑)
これでは、いかんと思い、集合写真の仕分け基準を考え直しました。
そして、至った答えは、
私基準で一番カッコよく写ってる集合写真1枚だけ残そう
ということでした(笑)
ただ、職場の集合写真はそれで決定でよかったのですが、さすがに父の子どもの頃の集合写真(小学校や中学校)は、大切に保管することにしました。
これは、母の写真も同じで、本日ついでに整理したのですが、母が結婚した後に町内会の慰労旅行などで撮影した集合写真は、勝手ながら処分することにして、子どもの頃の集合写真は残しました。
集合写真を残すポイント
本日は、私の集合写真も一緒に処分をしたのですが、私自身の集合写真は、あってもあまり意味がないような気がしたので、割と簡単に仕分けられました。
以前、整理した時は、集合写真は学校や幼稚園へ通った証明書のように感じていたので、残していたのですが、今になって、集合写真ほど自分に魂がこもってない写真もないよな、と思い、あっさりと処分することができました(笑)
自分自身の写真は、どんな基準を設けようと、要らなくなったら処分すればいいと思っていますが、家族の集合写真は、そうはいきません。
しかし、故人の写真は本人に聞くこともできないし、母に聞けば全部残せと言われることは明白なので、基準を設けることで仕分けがしやすくなります(結局、その基準もあっさり崩れましたが)
今回の場合、私が心変わりしたので、基準があってないような感じになりましたが、最初に考えていた処分する基準は、以下のような感じでした。
・顔がはっきりしない写真(ピンぼけ、色褪せ劣化、遠すぎるなど)
・一瞥で本人を探せない写真
・写り方が気に入らない写真(笑)
顔がはっきりしない写真は、全て処分すると最初から決めているので、これは判断がしやすかったです。
次の、一瞥で本人を探せない写真という基準は、一生懸命探さないと特定できない写真に、あまり意味はないのかな、と感じているからです。
思い出深い写真なら、すぐにでも探せるでしょうが、私は自分自身の集合写真でさえ、私の居場所を探してしまいますから、集合写真って本当はなくてもいいのかな、なんて思ったりもします。
ただ、推理小説で謎の人物や重要人物の過去を探るときは、集合写真が役に立つので、そういう人生を想定するのであれば、残した方がいいのかもしれないですね(笑)
写り方が気に入らない写真という基準は、まあ、せっかく残すならかっこよかったり素敵だったりする写真の方がいいだろう、というだけのことです(笑)
職場の写真の残し方
これは、自分自身の写真であれば、気に入った写真だけを残して、あとはきっぱり処分でOKなのですが、家族が職場で撮った写真となると、難しいですよね。
私は、写真全般で処分する基準を「よく顔がわからない、本人だという判別がつきにくい」に決めています。
ですから、父の職場写真も顔がわからない写真と、本人だという判別がつきにくい写真を、まず処分しました。
本人だという判別がつきにくい写真って、どんな写真?となりますが、要するに家族には全体のフォルムや髪型などで判別できるけれど、他人が見たらわからないというレベルの写真です。
職場で写した写真は、被写体がはっきりしていないことが多いので、端っこに写っていても写真を持っていたりします。
しかし、それって撮影した人は、端っこだけど写っているから、差し上げなければ、と思ってしまうのでしょうが、自分が被写体ではないけれど、偶然写ってしまった写真って、要ります?(苦笑)
私は、要らないです(笑)
ということで、まず残すべきは、顔がはっきりしていて、家族以外の人が見ても判別できる写真、ということになります。
しかし、その基準でも、なかなか写真が減りません。
ですから、更に「ワンショットの写真」という基準を追加しました。
仕事中も社員旅行中も、結局家族が知らない人たちと写っていることが多いので、本人だけが写っている写真に絞ると、かなりの量の写真を処分することができたので、やはり処分する基準は、厳しめにしておかないと二度手間になってしまうな、と実感しました。
例外写真
仕分けの基準に合致していても、例外で残そうと思った写真があります。
それは、かなり以前に撮影された、父の両親や祖父母(私の祖父母や曽祖父母)の写真は、趣があってレトロな感じがステキなので、残しました。
父の両親や祖父母となると、大正時代や明治時代の生まれですからね。
写真が残っていること自体、とても貴重なはずですし、父と私のルーツになりますから、持っていてもいいかな、と思いました。
もちろん、母の両親(私の祖父母)の若い頃の写真も、きちんと残しています。
父と母の子どもの頃の写真も、残しています。
父は、早くに両親(私の祖父母)を亡くしているので、子どもの頃の写真が数枚しかないのですが、以前父の遺品整理をしている最中に、祖父(父親)に抱かれている1歳に満たない父の写真が出てきました。
私は、父方の祖父母のことは全く知らなかったので、初めてみる写真でしたが、父が両親(祖父母)から可愛がられていたことが伝わってくる写真でした。
そういった写真は、少しでも長く残しておいた方がいいと思い、私が最期を迎えるまでは持っているつもりです。
母は、父よりは写真が残っているのですが、兄弟姉妹が6人いたため、そこまで多くの写真は残っていないので、残しておくことにしました。
写真整理はとにかく疲れます
基準を厳しくして、処分する写真を増やしたら、小サイズの指定袋1つ分になりました。
数えていませんが、300枚はありそうです。
これだけの枚数を処分するには、もっと多くの写真を見ていかなくてはいけません。
一枚一枚見ては、残す残さないを判断するのは、頭も使うし眼も酷使するので、とても疲れます。
仕分け終わったら、何もする気がなくなるくらい、気力が奪われました(苦笑)
数が多すぎると、重みも増すので、体力も結構使います。
書籍の整理整頓や処分も、かなりの労力を使いますが、頭や眼はさほど使わないので、もしかしたら写真整理の方がよっぽどキツイ作業かもしれないです。
いっそ、全部残しておいて、あとは誰かに丸投げしたいと思ったりもしましたが、私の家族の写真は、やはり私がどうにかするべきだろうと感じているので、最後は20枚ぐらい残せたらいいかな、などと思っています。
私自身が写っている写真は、以前に整理して、社会人になってからの写真は全て処分しました。
何故なら、それを見て懐かしんだり、何かを思い出すのは私だけで、家族や友人が見たとしても、だから?と思われるだけですからね(笑)
その私でさえ、写真を見返して思い出に浸ったり、懐かしんだりすることは、時間もなかったししようとも思いませんでしたので、持っていてもあまり意味がないのかな、と思ったのです。
今、処分してしまったことに後悔はありません。
きっと、今でも過去を振り返って懐かしんだり、思い出に浸ったりする暇がないからだと思います。
私はいつも、この先どうするかを考えることが多いので、過去を切り取った写真自体、不要なのかもしれないです。
本日は、父の写真を整理をした話を綴りました。
ずっと気になっていたので、年内に整理ができてよかったです。
もう、これ以上我が家からは、眠っていた写真は出てこないはず。
次回整理するのは、きっと母が旅立った時ですね。
それまでは、もう写真の整理はしないつもりです。
我が家は、ランチにご馳走とケーキを頂きました。
ご馳走は、もちろん買ってきました(笑)
というのも昼から、以前から取り掛かろうと思っていた写真の整理を予定していたからです。
写真の数が多いものですから、仕分けに時間と労力のほとんどを奪われて、夕方にはグッタリしてしまい、夜は、ランチの残りのサラダとレンジで温めるごはんを半分食べて、終了でした。
それでは、写真整理の本日の成果を綴ります(笑)
本日の写真整理の目的とポイント
今回の写真整理は、以前整理した後に見つかった、大量の父の写真が主な対象です。
仕事柄、仕事中の写真(記録写真)が多く、また父の部署では毎年集合写真を撮る必要もあったらしく、それはそれはたくさんの集合写真と、業務中の写真が出てきました。
しかし、この全てを私が保管していても、将来誰かが見て懐かしんだり、楽しんだりすることは100%ありません。
見て楽しめるのは、本人と仕事中の父を見ることができなかった家族くらい。
その私でさえ、父の職場での集合写真を見たところで、懐かしさなどはほとんど湧きませんからね。
いつまでも所有しておくのも、何か違うような気がします。
本日は、このたくさんの集合写真をどうするか、ということと、業務中の写真やポートレート類については、どういった写真を残すか、ということにポイントを置いて仕分けをしました。
集合写真の残し方
基本的には、父が1列目あるいは2列目に写っている集合写真だけを残そうと決めていました。
一番後ろや、中途半端な場所に写っている場合は、思い切って処分しようと、作業を始めて後悔しました。
集合写真、多すぎ
長年勤めていたから、父が昇級すると、自然と1列目や2列目にいることが多いのだということに、仕分け始めて気がつきました(苦笑)
これでは、いかんと思い、集合写真の仕分け基準を考え直しました。
そして、至った答えは、
私基準で一番カッコよく写ってる集合写真1枚だけ残そう
ということでした(笑)
ただ、職場の集合写真はそれで決定でよかったのですが、さすがに父の子どもの頃の集合写真(小学校や中学校)は、大切に保管することにしました。
これは、母の写真も同じで、本日ついでに整理したのですが、母が結婚した後に町内会の慰労旅行などで撮影した集合写真は、勝手ながら処分することにして、子どもの頃の集合写真は残しました。
集合写真を残すポイント
本日は、私の集合写真も一緒に処分をしたのですが、私自身の集合写真は、あってもあまり意味がないような気がしたので、割と簡単に仕分けられました。
以前、整理した時は、集合写真は学校や幼稚園へ通った証明書のように感じていたので、残していたのですが、今になって、集合写真ほど自分に魂がこもってない写真もないよな、と思い、あっさりと処分することができました(笑)
自分自身の写真は、どんな基準を設けようと、要らなくなったら処分すればいいと思っていますが、家族の集合写真は、そうはいきません。
しかし、故人の写真は本人に聞くこともできないし、母に聞けば全部残せと言われることは明白なので、基準を設けることで仕分けがしやすくなります(結局、その基準もあっさり崩れましたが)
今回の場合、私が心変わりしたので、基準があってないような感じになりましたが、最初に考えていた処分する基準は、以下のような感じでした。
・顔がはっきりしない写真(ピンぼけ、色褪せ劣化、遠すぎるなど)
・一瞥で本人を探せない写真
・写り方が気に入らない写真(笑)
顔がはっきりしない写真は、全て処分すると最初から決めているので、これは判断がしやすかったです。
次の、一瞥で本人を探せない写真という基準は、一生懸命探さないと特定できない写真に、あまり意味はないのかな、と感じているからです。
思い出深い写真なら、すぐにでも探せるでしょうが、私は自分自身の集合写真でさえ、私の居場所を探してしまいますから、集合写真って本当はなくてもいいのかな、なんて思ったりもします。
ただ、推理小説で謎の人物や重要人物の過去を探るときは、集合写真が役に立つので、そういう人生を想定するのであれば、残した方がいいのかもしれないですね(笑)
写り方が気に入らない写真という基準は、まあ、せっかく残すならかっこよかったり素敵だったりする写真の方がいいだろう、というだけのことです(笑)
職場の写真の残し方
これは、自分自身の写真であれば、気に入った写真だけを残して、あとはきっぱり処分でOKなのですが、家族が職場で撮った写真となると、難しいですよね。
私は、写真全般で処分する基準を「よく顔がわからない、本人だという判別がつきにくい」に決めています。
ですから、父の職場写真も顔がわからない写真と、本人だという判別がつきにくい写真を、まず処分しました。
本人だという判別がつきにくい写真って、どんな写真?となりますが、要するに家族には全体のフォルムや髪型などで判別できるけれど、他人が見たらわからないというレベルの写真です。
職場で写した写真は、被写体がはっきりしていないことが多いので、端っこに写っていても写真を持っていたりします。
しかし、それって撮影した人は、端っこだけど写っているから、差し上げなければ、と思ってしまうのでしょうが、自分が被写体ではないけれど、偶然写ってしまった写真って、要ります?(苦笑)
私は、要らないです(笑)
ということで、まず残すべきは、顔がはっきりしていて、家族以外の人が見ても判別できる写真、ということになります。
しかし、その基準でも、なかなか写真が減りません。
ですから、更に「ワンショットの写真」という基準を追加しました。
仕事中も社員旅行中も、結局家族が知らない人たちと写っていることが多いので、本人だけが写っている写真に絞ると、かなりの量の写真を処分することができたので、やはり処分する基準は、厳しめにしておかないと二度手間になってしまうな、と実感しました。
例外写真
仕分けの基準に合致していても、例外で残そうと思った写真があります。
それは、かなり以前に撮影された、父の両親や祖父母(私の祖父母や曽祖父母)の写真は、趣があってレトロな感じがステキなので、残しました。
父の両親や祖父母となると、大正時代や明治時代の生まれですからね。
写真が残っていること自体、とても貴重なはずですし、父と私のルーツになりますから、持っていてもいいかな、と思いました。
もちろん、母の両親(私の祖父母)の若い頃の写真も、きちんと残しています。
父と母の子どもの頃の写真も、残しています。
父は、早くに両親(私の祖父母)を亡くしているので、子どもの頃の写真が数枚しかないのですが、以前父の遺品整理をしている最中に、祖父(父親)に抱かれている1歳に満たない父の写真が出てきました。
私は、父方の祖父母のことは全く知らなかったので、初めてみる写真でしたが、父が両親(祖父母)から可愛がられていたことが伝わってくる写真でした。
そういった写真は、少しでも長く残しておいた方がいいと思い、私が最期を迎えるまでは持っているつもりです。
母は、父よりは写真が残っているのですが、兄弟姉妹が6人いたため、そこまで多くの写真は残っていないので、残しておくことにしました。
写真整理はとにかく疲れます
基準を厳しくして、処分する写真を増やしたら、小サイズの指定袋1つ分になりました。
数えていませんが、300枚はありそうです。
これだけの枚数を処分するには、もっと多くの写真を見ていかなくてはいけません。
一枚一枚見ては、残す残さないを判断するのは、頭も使うし眼も酷使するので、とても疲れます。
仕分け終わったら、何もする気がなくなるくらい、気力が奪われました(苦笑)
数が多すぎると、重みも増すので、体力も結構使います。
書籍の整理整頓や処分も、かなりの労力を使いますが、頭や眼はさほど使わないので、もしかしたら写真整理の方がよっぽどキツイ作業かもしれないです。
いっそ、全部残しておいて、あとは誰かに丸投げしたいと思ったりもしましたが、私の家族の写真は、やはり私がどうにかするべきだろうと感じているので、最後は20枚ぐらい残せたらいいかな、などと思っています。
私自身が写っている写真は、以前に整理して、社会人になってからの写真は全て処分しました。
何故なら、それを見て懐かしんだり、何かを思い出すのは私だけで、家族や友人が見たとしても、だから?と思われるだけですからね(笑)
その私でさえ、写真を見返して思い出に浸ったり、懐かしんだりすることは、時間もなかったししようとも思いませんでしたので、持っていてもあまり意味がないのかな、と思ったのです。
今、処分してしまったことに後悔はありません。
きっと、今でも過去を振り返って懐かしんだり、思い出に浸ったりする暇がないからだと思います。
私はいつも、この先どうするかを考えることが多いので、過去を切り取った写真自体、不要なのかもしれないです。
本日は、父の写真を整理をした話を綴りました。
ずっと気になっていたので、年内に整理ができてよかったです。
もう、これ以上我が家からは、眠っていた写真は出てこないはず。
次回整理するのは、きっと母が旅立った時ですね。
それまでは、もう写真の整理はしないつもりです。