本日の朝食(コールドミール)
本日の夕食(台湾風飯)
本日はかなり体調が悪くて、朝はなんとか起床したものの朝食後に再度横になり、昼過ぎまで寝ていました。
その後も体調がいまいちだったので、昼食は摂らず(準備が億劫だった)買っておいたアイスクリームを食べました。
夜はなんとか体調も回復したので、ごはんを炊いて缶詰のルーローハンでいただきました。
夕方近く、家に電話がかかってきたのですが、母の担当医師からでした。
担当医師から電話があるということは、母の容態に変化があったということ。
医師の話によると、高熱が出ていて、考えられることは依然と同じ敗血症あるいは肺炎、また他の原因なども考えられるとのことでしたが、敗血症や肺炎の場合は、以前の医師との面談時にも言われていたことですが、治療を施したとしても回復する確率は低く、それなりの状況になります。
そのため、今現在できる治療をどこまでするか、という相談で電話をくださったそうです。
治療をどこまでするか、というのは、結局のところ再度母が奇跡的に回復(高熱が下がるだけのことですが)したとして、今後もこれまでと同じ状態だとしても、褥そうが酷くなっていくことやその他の身体にかかる負担を考えた場合、回復する見込みで治療を施すか、このまま本人の回復力に任せるか(もちろん回復力によって回復する確率より、そのまま最期を迎える確率の方が高い)を選択してほしいというのが、医師からの電話の本題です。
とはいえ、私も電話ですぐさま答えることは難しく、どちらが今の母の身体にとっていいのだろうか、と考えていたところ、医師からの提案で、ひとまず熱を下げるための点滴による投薬はして、その後の経過を見ながら最終的に家族である私が今後の治療を継続するかどうかを考える、つまり私に今後の治療などに関して決断する時間を作ってくださるとのことでした。
もちろん、今ものすごく迷っているのは確かです。
なにより、熱があるという状況が今の母にとって苦しいのかどうか、というのがとても気になっています。
通常の体調不良で考えると、熱がある状態ってとても辛いですよね。
だったら、せめて熱は下げてあげて欲しいわけですが、今後もこれまでのような寝たきりで、褥そうも悪化していき足の皮膚なども壊死が始まっているとのことなので、命をつなぎ続けても母の身体の負担はこれ以上軽減することはないわけです。
今は、とりあえず熱を下げるための抗生物質を投与してくださっているらしいのですが、それで容態が回復しないのであれば、投薬も点滴での栄養補給も中止して、母の症状進行に合わせて最期を迎える準備をする方が母も楽なのでは、とも思っています。
難しい選択です。
尊厳死が法律上認められていない現在は、あらゆる治療を止めて最期を迎えたとしても、きっと母は身体のどこかに痛みを感じたり、呼吸が苦しくなったりずるはずです。
それは、実際可哀そうだと感じていますし、私は死の瞬間まで人は「感覚」が生きていると思っているので、最後の最後に痛いとか苦しいとか感じながら旅立ってほしくはないのですよね。
それでも、私が決断しなければならない日が確実に迫ってきていることは確かです。
母の容態が再度変化すれば、また医師から電話があるので、今から必死に母の最期をどう迎えるか、考えようと思います。
それにしても、昨日までは母と面会をするたびに新しい反応が返ってきていたので、次の面会が楽しみだと綴っていたのに、そういうことを考えていた直後に、母の容態が悪くなってしまったのは、世の常なのかな?
いずれにしても、母の意思が聴けたなら、それが一番いいのですが......
本日の夕食(台湾風飯)
本日はかなり体調が悪くて、朝はなんとか起床したものの朝食後に再度横になり、昼過ぎまで寝ていました。
その後も体調がいまいちだったので、昼食は摂らず(準備が億劫だった)買っておいたアイスクリームを食べました。
夜はなんとか体調も回復したので、ごはんを炊いて缶詰のルーローハンでいただきました。
夕方近く、家に電話がかかってきたのですが、母の担当医師からでした。
担当医師から電話があるということは、母の容態に変化があったということ。
医師の話によると、高熱が出ていて、考えられることは依然と同じ敗血症あるいは肺炎、また他の原因なども考えられるとのことでしたが、敗血症や肺炎の場合は、以前の医師との面談時にも言われていたことですが、治療を施したとしても回復する確率は低く、それなりの状況になります。
そのため、今現在できる治療をどこまでするか、という相談で電話をくださったそうです。
治療をどこまでするか、というのは、結局のところ再度母が奇跡的に回復(高熱が下がるだけのことですが)したとして、今後もこれまでと同じ状態だとしても、褥そうが酷くなっていくことやその他の身体にかかる負担を考えた場合、回復する見込みで治療を施すか、このまま本人の回復力に任せるか(もちろん回復力によって回復する確率より、そのまま最期を迎える確率の方が高い)を選択してほしいというのが、医師からの電話の本題です。
とはいえ、私も電話ですぐさま答えることは難しく、どちらが今の母の身体にとっていいのだろうか、と考えていたところ、医師からの提案で、ひとまず熱を下げるための点滴による投薬はして、その後の経過を見ながら最終的に家族である私が今後の治療を継続するかどうかを考える、つまり私に今後の治療などに関して決断する時間を作ってくださるとのことでした。
もちろん、今ものすごく迷っているのは確かです。
なにより、熱があるという状況が今の母にとって苦しいのかどうか、というのがとても気になっています。
通常の体調不良で考えると、熱がある状態ってとても辛いですよね。
だったら、せめて熱は下げてあげて欲しいわけですが、今後もこれまでのような寝たきりで、褥そうも悪化していき足の皮膚なども壊死が始まっているとのことなので、命をつなぎ続けても母の身体の負担はこれ以上軽減することはないわけです。
今は、とりあえず熱を下げるための抗生物質を投与してくださっているらしいのですが、それで容態が回復しないのであれば、投薬も点滴での栄養補給も中止して、母の症状進行に合わせて最期を迎える準備をする方が母も楽なのでは、とも思っています。
難しい選択です。
尊厳死が法律上認められていない現在は、あらゆる治療を止めて最期を迎えたとしても、きっと母は身体のどこかに痛みを感じたり、呼吸が苦しくなったりずるはずです。
それは、実際可哀そうだと感じていますし、私は死の瞬間まで人は「感覚」が生きていると思っているので、最後の最後に痛いとか苦しいとか感じながら旅立ってほしくはないのですよね。
それでも、私が決断しなければならない日が確実に迫ってきていることは確かです。
母の容態が再度変化すれば、また医師から電話があるので、今から必死に母の最期をどう迎えるか、考えようと思います。
それにしても、昨日までは母と面会をするたびに新しい反応が返ってきていたので、次の面会が楽しみだと綴っていたのに、そういうことを考えていた直後に、母の容態が悪くなってしまったのは、世の常なのかな?
いずれにしても、母の意思が聴けたなら、それが一番いいのですが......