<写真は全て御堂筋>
1月13日に高槻に行きました。
少し、脊柱管狭窄症の症状が和らいだお陰か、今まで「もう出来ない。」と諦めていたことなどに「できる!」「やりたい!」と思えるようになって来ました。
症状は無くなった訳ではないですが意欲が出て来ました。1年ぶりです。

当日の朝、弟さんから「お母さんの体調があまりよくないので次の機会にしてほしい。」と電話がありました。
私はもしこれからさらに体調が悪くなって会えなくなっては困るし、母のお香典をいただいているので、直接お返しがしたいと無理をお願いしました。
実はコロナの前にお会いすることになっていたのですが行けなくなり、電話をするたびに体調を崩されていないかドキドキしていました。
それまでも電話をしてきてくださったり、二十四節記(今は閉店🥹)というところでナナと一緒に食事に行ったり、近くのデパートでお茶を飲んだりしたことがありました。
お会いすると思ったより、元気そうで安心しました。

元義母はとてもいい方でした。
お正月前などおせちを作る時、私はただ重箱に詰めるだけでした。
それでも、「〇〇さん、綺麗に詰めてくれてありがとう。」と言ってくれました。
私は自分の母に「お手伝いしたい!」と言った時、かえって時間が取られるから手伝わなくてもいい。」と言われました。
その上、「お母ちゃん、お茶。」「お母ちゃん、おかわり。」と何にもしてこなかったので台所仕事はほとんど出来ませんでした。
食べた後は枕と毛布を持って来てくださり、「ここで寝ていたらいいよ。」と言ってくれました。洗い物をしたかどうか覚えがありません。
こんな呑気な私でしたが文句一つ言わず、出来たことを褒めてくださる方でした。

行燈にYOSHIDAと書いてありましたが、時計販売店のショーウィンドウのようです。
話していると。4人とも要介護であることが分かり、しばし情報交換をしました。
お互い「人生何があるか分からないね。」と言いました。
お母さんはこの日の前日に95歳を迎えられました。
母のこともよく覚えていて、「六甲山に連れて行ってもらって、楽しかった。」と何度も言っておられました。
私のこともいろいろ気遣ってくださいました。
ココをブログで見ていただくと「頑張っているね。」「かわいいね、今度連れてきてね。」とおしゃってくださいました。

御堂筋に面してビルの中にありました。三津寺というお寺のようです。
あまり、長居をするとお母さんの体に障ったらいけないので、1時間ほどで失礼しました。
帰る時、皆さんと握手をしました。
それぞれ、「自分の家だと思っていつでも来てね。」「元気でいてくださいね。」
「また、遠慮なく来てくださいね。」と言ってくださり、胸が熱くなりました。

カメラを持って行ったので心斎橋で降りて、御堂筋をなんばまで歩きました。
ココをSさんに預かっていただいたので、途中で知る人ぞ知る『はり重』で牛肉の佃煮をお土産に買いました。

帰り、駅からタクシーで帰ろうとしましたが、一台も止まっていない上、他に待っている人もいたのでちょうど来たバスで帰りました。
バスを降りると流石に腰や足が辛く、心の中で、「白馬の王子様が来てくれないかなあ・・・」と思いました。

Sさん宅で新歌舞伎座の写真をお見せすると、「今は上本町に変わっているよ。」と教えてくださいました。
これは2019年に生まれ変わった「ホテルロイヤルクラシック大阪」で隈研吾氏が設計したものだそうです。
世の中、ずいぶん様代わりしたなと実感しました。
とても疲れましたが、充実感を覚え、晴れ晴れとした気持ちになりました。