
母を見ていると、自分だったらどんな最期を迎えたいのだろうと思う。
母は食道胃接合部がんによる入院・手術をしました。
せっかく立てた『お寿司を食べること』という目標もかなわず、5月中旬から食べたのはデラウエア4粒だけ・・・。
療養型病院に移っても、点滴か経管によるポカリスエットのようなアクアサポートを入れるだけでした。
腸閉塞を起こしているとのことで、腸まで届かず、液が胃に溜まると戻してしまいます。

9月2日に主治医と話した時、
こちらから
「私どもは半分覚悟はできている。ちょっとでも希望があるのだったら、できるだけ治療は続けてほしい。誤嚥性肺炎で苦しむことはないようにしてあげたい。」
「今日は元気そうに見える。手を振ったり、ニコッと笑ったり、あの姿を見るともうちょっと頑張れるかなと思ってしまう。かといって、頑張らせ過ぎたらいけないなと思うし、匙加減が難しい。」

それに対して、主治医からは
「吐くと逆流性食道炎や誤嚥性肺炎を起こし、とても苦しくなる。」
「より良くしてあげたいというのは当たり前なこと。かすかな希望を叶えるために、ものすごく大きな代償を払うことになる。やりすぎた時はちょっと悪くなるのではなく、台無しになってしまう。」
「その覚悟がありますか?」
「水分だけでうまく行ったら、1か月か2か月。」
「年齢相応の衰えというものもあるので、それに逆行してなんとかすること自体、本人には可哀想な面もある。」
「鼻からチューブが入っている。それだけでも辛い。」
病院としては苦痛のない療養生活を送っていただければと思っている。それがひいてはご家族のため。」
「無理をさせ、やり過ぎてしまうと1か月寿命が延びたとしても、苦痛に満ちたもの。苦しみながら最期を迎えましたということになる。」
「どう選択するのか、どっちが正しいかどうかではない。冷静な立場で判断しないといけない。」
「あとはご家族がこうしてあげてよかったなと思う方法を選んであげてください。」とのことでした。

私たちは主治医の言うことは理解しているつもりです。
でも、今のところ吐いたとしても、誤嚥性肺炎にもなっていないし、逆流性食道炎にもなっていません。
手術をした病院では何度か誤嚥性肺炎になり、高熱も出ました。

7月14日、今の療養型病院に行って説明を受けた時、母を見ていないうちから「お母さんは高齢な上に食べないこと、CRPなどの数とが悪いことなどから、入院してもすぐに亡くなってしまうかも知れない。」と言われました。
その後、何度も何度もこれ以上処置を続けると最悪の事態になると言われて来ましたが、今のところ、胃から腸に水分がいかず、少しもどすことはありますが、波はあっても比較的元気そうに見えます。
悪くなる悪くなると言われるとそうなってほしくないという気持ちが湧いてきます。
ただ、四六時中ベットに寝たまま、何も食べずに何もせず生きているのが、人間らしい生き方なのかと考えます。
私たち家族は母に終末期をどう迎えたいのか聞いていませんでした。今となっては弱っている母に聞くことは躊躇します。
もっと母が元気なうちに、施設に入る前に聞いておけば良かったと思います。
なので、母にとって一番いい方法を選択したいと思っています。

9月6日にお見舞いに行った時、私の持って行った写真をテレビの前に並べてくださっていました。それまではベットに置いたままでした。
細やかな配慮をしてくださる看護師さんがおられることが嬉しかったです。
左端の絵葉書はチェコの首都プラハにあるカレル橋。
24年前、母と中央ヨーロッパに行った時、同じツアーでご一緒だった方からのものです。
最初に出会った地の絵葉書を送ってくださるなんて、やはり素敵な方だなと思いました。
この旅の中で二人は意気投合して、それから、ずっとメールや贈り物のやりとりなどをしていました。
この頃、連絡がないように思い電話をすると母は耳が遠くなって、自分の伝えたいことだけ言ったらすぐに切ってしまったり、パソコンも使わなくなってうまくコミュニケーションが取れなくなったりして、疎遠になっていたようでした。
「老いる」とこういうこともあるのだと思いました。

母の容態を連絡すると「足が良くないので、お見舞いに行けないけれど絵葉書を書きます。」と送って来てくださいました。
大きな字で『応援しています。』と書いてくださっていました。
母はきっととても嬉しかったと思います。
8日にはテレビを見ていたので、テレビが見やすいように並べ直しました。この病院でテレビを見ている母を見るのは初めてでした。

これを書いている時に厚生労働省と全日本病院協会の『人生最終段階における医療・ケアに関するガイドライン』を見つけました。
どちらにも本人の人生観・価値観を含め、意思を確認することの重要性が繰り返し、書かれていました。本人の気持ちが変わることがあるので、一度ではなく何回も聞くこと、そして、それを家族や代弁者と話し合い、文書で残しておくことが大切だと書かれていました。
また「本人の生命予後に関する医学的判断は医師を中心とする複数の専門職種の医療従事者から構成される医療・ケアチームによって行う。」(厚労省)
「治療により、回復が期待できない状態と医師が判断した場合、他の医師、看護師等と家族を交えて交えて話し合う。」(病院協会)
とありました。
これらのことについて病院と話し合ってみたいと思います。

2014.09.14 フォレストガーデン
お父様が「死にたくないよ!」と言えるということは家族を信頼いているからでしょうね。きっと寄り添ってもらえると思われたのでしょう。
出来ることは全てやりましたと言える家族はなかなかいないと思います。
余命3ヶ月だったのが10ヶ月にもなるなんて、お父様の頑張りもあるでしょうがご家族の懸命な支えがあったからでしょうね。
昨日、もう母に対する延命治療はしなくて良いと主治医に伝えました。
お母様、大変だったのですね。
私は今、70歳です。69歳でしたら、まだまだやりたいことがたくさんあったでしょうね。
それに苦しまれて最期を迎えられ、さぞ、ご本人だけでなくご家族もお辛かったことでしょう。
30年前といえば、私もその頃乳がんで入院、手術をしました。
左乳房は切り取りましたが、その後今まで生き続けることが出来てありがたいと思っています。
私の母はしんどい?痛い?苦しい?と何を聞いても手を横に振ります。こうしてほしいということもありません。
今日は弟と主治医にこれ以上の治療はしなくてもいいと伝えました。
点滴だけなら、1、2ヶ月だろうということでした。
母はもう少し早いかも知れないと思っています。
(平成15年に75歳で他界しました)
いつだったか電話で、涙交じりに
『お父さん死にたくないよ』
と言われた事を思い出しました。
その言葉で、出来る事は全てやりました。
3ヶ月の余命宣告を受けましたが
10ヶ月頑張って生きました。
その言葉を聞いてなかったら、緩和治療だけにしたかもしれません。
その間、本人は痛みや苦しみもあったと思います。
でも、意志を示してくれて、家族は助かりました。
後から母に聞きましたが、担当医の対応に納得していなかったようです。
最期に寄り添ってくれる医者は、ごく僅かなのかもしれませんね…😔
https://blog.goo.ne.jp/kuu06172020
母の事思いだしました。
母はがんが見つかったときは末期で痛みのない胃がんで69歳で20日足らずの入院で亡くなりました。あと3か月の命と言われましたが次の日急変して亡くなりました。
痛みがないといわれましたが、壮絶な苦しみでした。先生が長女と顔が似てるので間違えて呼び出され、経緯と安楽死を勧められました。水も一切与えられず、点滴だけ💦
私はもう治らないのなら早く楽にしてあげたい気持ちで一杯でした。
母は例え1日で死んでも、家に帰りたい、家で死にたいと何度も何度も言ってました。
告知はしてませんが気付いていたみたいです。(昔は今のように告知しなかった)
亡くなった後、長女が家に連れて帰ったら良かったのかな、とポツリ言いました。
でも、看護師の友達から家で亡くなると後の処置が大変で病院で亡くなって良かったよと言われたみたいで、それで自分を納得させてました。それはこっちの都合であって管に繋がられてるだけなら、母の言うように例え1日の命になっても家で死を迎えられたほうが、母の望みを叶えてあげれば良かったのかなと思います。
でももう30年前の話しです。
もう済んでしまった話しです。
今はあの世で元気で楽しくしてくれてたらそれでいいです。
家に帰りたいと言ってたのは私の母の話で、人それぞれなのでこの話はスルーして下さいね。
今まだ会話ができるのなら、お母様の今一番の望みを聞いてみるのもいいですね!
病院の先生は絶対病院側が不利になるような事は言いません。
変に希望持たせて、悪くなった場合病院側が悪くなり訴えられるからです。
私の胆嚢ポリープも1センチ以上になると手術を勧める、これはマニュアルにあるようで言わなくてはいけないと言ってました。手術するしないは患者が決めること。
だから絶対、まだ大丈夫とかは言いません。何かあったら訴えられるから、一通りのことは病院が不利にならないよう先生は言います。
ただ、例えそうであっても、先生の言い方一つで、信頼のおける先生、そうでない先生になってしまいますよねー🤔
難しいですね!
私はこうしたらいいと思う道を選んだらいいと思います。
お母様に、今一番の望みは?
どうしたい?
でいいのでは?
私事も書き長くなりごめんなさいね🙇♀️
いろいろ辛いよね😢
ガンバ!
私も母に聞くのは躊躇していたのですが厚労省や全日本病院協会のガイダンスを見ると患者の意思を尊重することがいかに大事かが書かれていて、言葉を選んで慎重に母に聞いてみてもいいのかなと思い始めました。
もちろん、弟と相談した上でですが。
あと、主治医がもう少し信頼できる人であればこちらの気持ちも整理しやすいように思います。
お母さまに聞けなかったことは、自分がお母さまだったら
どうされたいかで判断されればいいんですよ…
なるべく苦しみたくないは、誰でも同じだと思います…