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信仰と投資について 2話

2023-12-18 02:27:51 | 政治
前回の私の日記を自分なりに眺めていて、「多分、AIには書けない文章だろうな」、と率直に思いました
AIには、人間の良心の根源がどこから来るものか?それが理解できることは永遠にないと思います
つまりですね。。。たとえどれほどAI技術が発達しようとも、人間が最終の価値判断を担う存在である事、それは変わることはないのです
言い換えれば、人間が価値判断をAIに任せてしまっては、それは人間として生きる事の意味を放棄したことになるわけです

少し前のリバティウェブにこんな記事が載っていました
「ブラジル市議会でチャットGPTが作成した条例が可決 善悪の判断ができないAIの過度な利用は危ない」
この記事をどう読むかは、読者それぞれの考え方によって色々でしょうが
こうやって法律の作成をAIに任せることが、人間としての退化であることが分からないのは、なんとも悲しいことです
この、法律を作る仕事もまた、”人間としての正しい価値判断”が求められる知的仕事の一つなのですが
AIを参考にするだけならともかく、重要な価値判断までAIに任せてしまっていては、人間として率直に、浅はかであると言わざるを得ません

話は投資の話題に戻るのですが、投資の世界。。特にヘッジファンドと呼ばれるプロの投資集団には「時の人」のような方が出てくることがあります
アンドリュー・ジョーンズ、ジョージ・ソロス、ジム・ロジャーズ、といった方たちですね
特にジョージ・ソロス氏などは、若かりしときにイングランド銀行を出し抜いて大資産を形成したことで一躍有名になりましたが
こうした「大成功」というものは、得てしてその後の人生に「影」を落としがちになるものです
つまり、「その時の快感が忘れられない」ということで、世間をあっと言わせることで自分が偉くなったと錯覚しがちになる
ということなんですね
この、「強烈な成功体験が、その人の生き方を大きく狂わせる」というのは、成功体験がある人は良く経験するものだと思います
皆様がよくご存じな例としては、例えばライブドアの堀江貴文氏などが、「強烈な成功体験によって人生を狂わせた人」でしょうね

私は決して堀江氏が悪いと言っているんじゃないんですが、それでも、堀江氏が行ったように
「株の錬金術」によって短期間で大きな財を築いた。。。みたいな話は。。。仮に、堀江氏の自伝や立志伝みたいなものが発行されたとして
果たして、後世にどういう影響を与えるだろうか?と、考えてみていただきたいのです
残念なことですが、堀江氏の自伝がもてはやされる世の中には、「資本主義の精神」が根付かないのです
AIが考える損得勘定によって、「得することが正しい」のであれば、堀江氏の錬金術としての技術は正しいと言えるでしょう
しかしながら、堀江氏のようにマネーゲームによって財を築く錬金術は、「コツコツ努力する事よりも人を出し抜くこと」
に重点を置いているわけで、他人の技術であろうが何であろうが、株を取得して会社を買収してしまえばこっちのもの。。。
ということで、努力を放棄する方向に行ってしまうわけです
これがね。。。資本主義の精神と相反するんですよ

確かに堀江氏は頭がよく、優秀な方であることは確かなのですが、彼が活躍する世の中は、あまり発展性がない
ゲームのようにマネーゲームが流行って、誰かを出し抜いてお金を儲けることが正義になってしまう
これがね。。。マックスウェーバーが言った、「貨幣経済が発達しても資本主義が根付かない社会」なのですよ
幸福の科学の大川隆法総裁先生は、ある映画に自らが出演し、その中で
「マックスウェーバーこそ資本主義の根本精神だ」
みたいなことを語っておられました。。。私もまさにその通りだと思います
宗教的精神に基づく倫理観。。。つまり宗教的勤勉さこそが、資本主義精神そのものなのです
なぜそうなのかと言いますとね。。。人間の本質にこそ、その秘密はあるのです

人間が生まれる前の世界。。。つまり魂として生活をしていた世界では、「思い即実現」の世界であり
心で強く念じ、実現することを信じる力が強ければ強いほど、その心の中で思ったことが現実になる世界です
そして、ここが肝心なところなのですが、その「各人が心に描く思い」が、「神の心に近ければ近いほど、その力は強くなる」傾向があるのです
神の心というものは、実は利己心とかけ離れたものなのです
「自分だけが儲けて注目を浴びたい」とか、「自分が成功して神として崇められたい」みたいなところには、どうやら神の心は無いようなのです
神の心はどうやら、「多くの人が成長し、幸福になること」を願われているようで
その幸福は、「自らの努力によって得て欲しい。。。自らの努力によって成功し、幸福になって欲しい」と願っているようなのです
だから、例えば堀江氏のような人の場合、確かに念力としては強くて、物事を実現する力の強い人だと思うのですが
自らの成功だけを願う利己心の強い人は、神の助力を得ることはできないのです。。。
ですから、それ以上に神が願われているのは、「”念力”ではなくて”法力”を学んでほしい」ということなのです

私も最近、少しだけ分かってきたのですが、「法力」というのは、実は「念力」とは少し違うのです
念力というのは別名「自我力」と言い、「自分の思いの力」であって、これが巷でよく語られる成功法則なのですが
法力というのは、実は自力と他力のハイブリッド。。。つまり、神の力を引いてくることなのです
自力よりはるかに大きな力であるのです
この法力ですが、それを引いてくる方法論は一つ。。。「神の心を我が心として、物事の成就を願う」ということだけなのです
この「神の心を我が心とする」ための方法が、実は「信仰」であり、「神への祈り」なんですね

ですから、投資をするときに私たちが本当に気を付けなければいけないこと、それはね
「利己的になってはいけない」ということ、そして、「多くの人の魂の成長につながらなければいけない」ということ
これが大事なのです
技術論ばかりを勉強していると、こうした「人間として本当に大切なこと」を見失いがちになります
それは本末転倒だという事なのです

きょうはこの辺で、この続きはまた
コメント
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