福 風

心にとまった物や想いを集めて。穏やかな風が吹きますように。

てのひらの迷路

2008-02-12 | 




てのひらの迷路   石田衣良


帯には、著者初の掌篇集とあります。

昨年漢字検定の勉強をしてからというもの、それが幸いして読書をする習慣を身に着けつつある今年の私。
確実に読むペースが落ちてきていますが(苦笑)。

掌篇集(=ショートショートっていうらしいですね)という言葉もこの本で初めて知ったくらい、読書に関しては初心者でおはずかしい限りですが、読み終えての感想は、こっち(あくまでも私個人)に通じないオシャレなフレーズが多いかな、という印象でした。
かといって、話がオシャレすぎて、私の生活の範囲では理解できないものかというとそうではなく、『うまいこと言うなぁ。』と関心させられる視点で書かれた作品もありました。

あと、なにより良かったのが、読むのに負担がなかったことです。
長編小説だと、登場人物の名前と構図が一致せず、前のほうを読み返すこともあるのですが、一話が短いのでそんな心配がなく読みきれました。
作家という職業の方からしてみれば、折角膨らんできた話を、限られた原稿用紙の枚数に収まるように削っていくことのほうが骨の折れる作業だったりするのだろうかと思ったりしながら、作品を読みました。

印象に残った作品は、『書棚と旅する男』『終わりのない散歩』は、どちらも年配の方が登場するお話です。
どちらの人物も、語り手である人物をハッとさせることをするのですが、一方は悲しいファンタジーのようであり、もう一方は現実そのものを見せつけられるものでした。
もうひとつは『地の精』。
第六感で理屈抜きで感じる”何か”を体験したことがある人には、通づるものがある作品だと思います。

今日の記事のように読んだ本を振り返るとき、まだその作品を読んだことのない人に伝えようと思いながら書くのと、自分だけがわかる言葉で感想を書くのとでは、全く言葉選びが違ってきます。
私にとっては前者の方がはるかに困難で、ブログの性質上、内容を暴露しないように伝えるというのはやっぱり難しいですね。
読書感想文だと思って書けば、独り善がりでもいいのかなぁ。ムムム・・・。



 

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ホームレス中学生

2008-01-09 | 



2/50冊 『ホームレス中学生』

驚きました。笑いました。泣きました。

お笑いを職業とする田村さんの背景、特に少年時代が描かれたお話。この本に関するねつ造疑惑が持ち上がったりしていますが、きっとこれは真実です。
生き生きとした田村さんの言葉でお話しが語られており、最後まで飽きさせません。巻末が迫ってきた頃には、読み終わるのがもったいなく思ったくらい。
エピソードごとに田村さん自筆のイラストが挿入されているのもほほ笑ましいです。

おわりにの章での田村さんの言葉に、『僕は、お湯に感動できる幸せのハードルの低い人生を愛しています。』とあります。(「人生を変える奇跡的な出会い」の章に由来する言葉と思われます。)
この文だけ読むと、なんのこっちゃ?ってことになりますが、田村少年の紆余曲折の末に辿り着いたシアワセの価値に、私まで幸せな気持ちにさせてもらいました。
背伸びすることなく、等身大の幸せの価値を正々堂々と言ってのけられる、そんな田村さんが一際大きく見えます。



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土の中の子供

2008-01-07 | 




1/50冊 『土の中の子供』


気になるタイトル、芥川賞受賞作品という帯、年頭に立てた志を遂げるとっかかりとしては挫折せず読みきることができそうな本の厚み、という理由で、昨年末購入していた本の中の一冊。

まず。年明け一発目に読むには暗く、重いテーマでした。
途中で、読むのまたにしようか・・・と挫折しそうになりましたが、出だしからくじけてはいかんと思い直し、読みきりました。

本のタイトルの意味するところは、文中のある場面の描写から由来しています。
それぞれの家庭の事情があるにせよ、いわゆる普通に家庭で家族を営んできた人間の生活ではありえない体験をした男性のお話です。

ここに貼り付けた作者のHPのコメントに、
「悪意は人々の無関心の中で行われる」とありました。

作り話のような、通常の(何をもって通常というかなんてのもあってないようなものですが)思考を逸脱するような恐ろしい狂気の中で、それを日常として生きていかざるをえない境遇の人がいる事実を、この本を通じて目を逸らさず知る必要はあると考えさせられました。

心に余裕があるときに読まれることをお勧めします。
余裕のない方には、心に重くなりすぎると思われますのでご注意下さい。






 

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禅の言葉

2007-09-04 | 




ふっと心がかるくなる禅の言葉


8月最後の日曜日、久しぶりに本屋さんへ行きました。

特に目的の本があるわけでもなく、新刊図書をみたり、雑誌をみたり、辞典を見たりとプラプラしました。そして、目に留まったのが、この本。

母が亡くなってから、仏さまと関わる機会が増えました。
最初は必要に迫られて調べることが多かった謎の仏教でしたが、これだけ多くの人に長い間受け継がれてきた仏教なるものには、きっと生きる智慧が、ヒントがあるんじゃないかと、興味を持つようになってきました。

禅語とは、禅の心や悟りの境地をあらわしたもので、中国の禅僧の言葉や経典の中の語を中心に、古詩や儒教・道教などの語、鎌倉から江戸期の日本の禅僧の言葉まで幅広く取り入れられているものだそうです。

この本は見開きの左右で一語について書かれており、活字が苦手な私も、苦にすることなく読むことが出来ます。順に読むというより、パラパラとめくる中で、その時の心が読みたがるところを読むといった感じです。

今日心が留まったページには、

行住坐臥(ぎょうじゅうざが)

行く、住まう、座る、寝るという4つの行動を表しています。禅宗では日常生活のすべてが修行であり、日常の立ち居振る舞いが心を育てるということ。
掃除機をかけている時、邪魔になったコードを足で横にずらすようなことをしているようでは、美しい生き方は手に入らないということのようです。





 

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蝉しぐれ

2007-03-01 | 

大きな声で言うことではないし、むしろはずかしいことだが、私はあまり本を読まない。買ってはみたものの、途中で嫌になってしまうことが多かった。読めない漢字が多いというのもネックかもしれない・・・。
ブログの場を借りて、あまり本を読まない自分が読んだ(読みきった)数少ない本の記録を残しておこうと思う。

藤沢周平作品、『蝉しぐれ』。これは私が初めて読んだ時代小説だ。

この本を買うきっかけになったのは、山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』だった。下級武士の暮らしを通じて、はたから見れば不憫(ふびん)に映る生活の中であっても、そこで暮らす家族の絆は、ひっそりと、しかし強く結ばれている様を観ることができた。地味だけど、強さを感じた。

こんな話を書いた作家の作品を本で読んでみたくなったのだ。ここで『たそがれ清兵衛』を買わずに、『蝉しぐれ』を買うところが私の天の邪鬼(あまのじゃく)なところなのだが。

先にも触れたが、不勉強なので読めない漢字が多い。なので電子辞書が手放せなかった。調べて読みがわかっても、時代物なのでその意味がわからない。広辞苑と百科事典、ときには漢和辞典と、あれもこれも引っ張り出してきて意味を理解しつつ読んだ。
恥さらしのついでに。普請組(ふしんぐみ)。これがなかなか読めなかった。
請求書の“せい”だから“ふせいぐみ”と思っていたら違った。

四苦八苦しながらも、だんだんと言葉の意味がわかってくると、藤沢作品の美しい自然描写やその場面の情景も浮かぶようになってきて、登場人物の行動を頭の中でイメージしながら読み進めることができた。

内容についてはうまく書けそうにないので省略する。この作品を読んで思ったのは、藩の中で藩命に従って生きる人間の有り様と、現代の個人主義について。どちらがいい悪いではない。それぞれの時代に生きている人間像が、同じ日本でありながらこんなにも違ってくるんだなと思った。

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