福 風

心にとまった物や想いを集めて。穏やかな風が吹きますように。

波の音を聴きながら

2013-10-13 | 想い

さて。

今日の愛媛新聞朝刊読者の広場こだま欄に、
『自分と向き合う「孤独」大切』の投稿を見つけた。

筆者の時川さんに了解はいただいていないが、
ここに全文掲載させていただくことをお許しいただきたい。

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 以前、本誌に劇作家・演出家の鴻上尚史さんが、成人式を迎える若者のための文章を掲載していた。とても心に残ったのでスクラップしている。我が家にも19歳ともうすぐ17歳になる息子がいるが、彼らにもこの言葉を伝えたいと思った。

 テレビで半沢直樹が話題になったが、長いものに巻かれていなければ生きにくい社会だ。その中でも、向き合わねばならないものがある。それが「本物の孤独」。本当の意味で自分と向き合うことだ。携帯やパソコンでつながっていなければ落ち着かないようでは、本当の意味で自分と向き合えない。「『本物の孤独』はしんどいけれど、暗闇を進んでいく勇気をくれる」。そう、鴻上さんは述べていた。

 我が家にも「本物の孤独」を知っている先輩がいる。孤独と戦いつつ何かに苦しみ、自分で答えを見つけている姿を私は知っている。それを息子たちにもちゃんと見ていてもらいたいと思う。「大人になる」ということを。

                               松山市 時川千恵美さん(47歳・主婦)

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そして、この記事にある鴻上尚史さんの文章を読んでいなかったので、
パソコンで検索をかけてみた。
ブログに打ち込みされていたものを拝借させていただく。

☆☆☆

鴻上尚史「成人するあなたへ」

本物の孤独と出会おう

 成人、おめでとう。でも大人とはなんでしょう。賢いあなたは、年を重ねることと、大人になることは何の関係もないと見抜いているんじゃないですか?

 あなたの周りには、二十歳をとうに過ぎているのに、少しも大人じゃない人が何人もいるはずです。

 大人と子供の違いはなんでしょう。二十歳を過ぎると、実にやっかいな問題にぶつかります。解決不可能な、どちらの結論を選んでも、間違っているんじゃなかと思えるような、正しい解決策が見えない課題です。

 でも、人生の問題とはそういうものです。大学入試まで、子供は「問題には必ず正解がある」と思い込まされていますが、もともと、人生の問題には、完全に正しい解答なんてありません。

 そういう時、子供は、自分で考えることをやめて、親や誰かのアドバイスや言いつけに従います。そうすれば楽ですし、責任も生まれません。子供とは、いつも誰かに手を引いてもらっている存在なのです。

 そして、二十歳を過ぎてもそうしている人は、絶対に孤独になりません。

 成人式でお酒を飲んで暴れている若者が、毎年話題になりますが、彼らは、本当の意味で一度も孤独になったことがない人達だと思います。

 孤独には、「本物の孤独」と「偽物の孤独」があります。

 一週間、誰とも話さなかったから孤独なのではありません。

 誰とも話さなくても、メールをやりとりし、インターネットで会話していれば、孤独ではありません。

 孤独とは、「一人で自分と向き合う」ことです。例えば、あなたがすてきなアドバイスを受けたり、役に立つ本を読んだりしても、一人でかみしめる時間がなければ、それはあなたのものにはなりません。今聞いた役に立つ情報を、右から左に伝えるだけでは、あなたのものになっていないのです。

 二十歳を過ぎて出会う解決不可能な問題は、親に判断を任せない限り、自分で解決するしかありません。が、「偽物の孤独」しか経験していない人は、アドバイスしてくれる人を求めて、ウロウロさまようのです。

 ただ、「本物の孤独」の時間が、うんうんとうなりながら問題に取り組むことができるのです。

 もし「本物の孤独」を経験したいと思ったら、あなたは、携帯電話の電源を切り、パソコンやテレビから離れて、あなただけの時間を持つ必要があります。その時間が長ければ長いほど、あなたは「本物の孤独」と出会い、自分自身と会話を始められるのです。

 「本物の孤独」はしんどいですが、あなたに暗闇を進んでいく勇気をくれます。終わりが明確でない暗闇を一歩一歩、歩く時、あなたは初めて大人になるのです。(作家・演出家)

 こうかみ・しょうじ 1958年新居浜生まれ。早稲田大在学中に劇団第三舞台を結成。95寝ん、「スナフキンの手紙」で岸田国士戯曲賞を受賞。現在、

「KOKAMI@network」と、「虚構の劇団」を中心に活動。

             鴻上尚史「成人するあなたへ」、『愛媛新聞』2012年1月9日(月)付

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せめて今日一日だけでも、
外界との接触を断ち、自分と向き合うことができるだろうか。
自信がない。

しかし、本物の孤独のしんどさを知ることで、
暗闇を進む勇気が得られるのなら、
この休みに試してみようかとも思う。

通信手段のなかった昔からしてみれば、
何に迷うことがあろうと思われるだろうが、
当たり前にあるものがなくなることほど、現代人へのダメージが大きいものはない。

無くてあたりまえ。
あることの幸せ。

感じることができるだろうか。

 

 


動いている。

2013-07-19 | 想い



久しぶりにブログをのぞいてみたことで、
ツイッターやブログにしがみついていた時の自分を振り返る。

その当時は、しがみついている意識もなくて、
想いを書き込むことでなんとか自分を保っていたと思う。

今日までの間、
現実世界での繋がりが、良くも悪くも活発となり、
そちらに力の配分が多くなっていたことで、こちらの世界から離れていた。

楽しんでパソコンに向かえる時、
伝えたくてしょうがなくなった時、
またここに戻ってこられたらいいなぁと思う。



記憶装置の老朽化

2012-07-08 | 想い




ここ数カ月の間に強く自覚するようになったことですが、
人が話したことを聴き、それを人に伝える時、
話した人の言葉をそのまま再生できず、
曖昧な私の言葉に置き換えてしまうことしかできなくなってきました。
これって、実務上ではやってはいけないことだと思うのですが、
怖いくらいできなくなってきています。

ただの老朽化で済ませていいものかどうか。

正直、怖いんです。

物事を覚えられなくなっている。
意識するしないにかかわらず、覚えられない。

.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○

今日、いつものように日曜日を一緒に過ごした父が、

『わしももう先が長くないからなぁ…(これも私的に感じた言葉に変換されており、
父の発した言葉と違ってます)』

こんな弱気なことを言う父は今まででは考えられません。
それに。
私に寅さんのDVD全巻を観たいと言っていたよなと言って、
持たせてくれました。
いつもと違うのって、怖い。
怖いです。

ものすごく不安になりました。

私の母が亡くなる年、
まだその時は元気だった母とデパートへ出かけた時、
なんとはなく礼服を一緒にみていて、
その礼服を買ってもらいました。

その礼服を着たのは、母の葬儀の時でした。

そんなことがあったから、
怖いんです。

最近、こうして顔をみるのも、話すのも、
もしかしたら最後かもしれない。
そんなことを想ってしまうんです。

うちに来たときに吸う、たばこ。
その吸いがらも、
来週まで捨てられません。
もしかしたらって思ったら、捨てられないんです。

ほんとに怖い。

そのくせ、優しい言葉もかけず、
親離れできず、
自立できずに心配をかけている。

ここ数週間、ずっと怖くて。
けど、そんなこと誰にもいえなくて。