牧野富太郎という植物学者をご存知でしょうか。
高知県が生んだ植物学者、牧野富太郎博士の業績を顕彰する施設高知県立牧野植物園に行ってきました。
ムーミンに例えるならば、さしずめ高知のヘムレンさんですね。
基本的に、展示物をみるときは、人が混み合っているところを回避してみれるところから見るタイプなのですが、ほぼ貸切状態だったので、まだ知らぬ牧野氏の足跡と人物像をじっくりと読み進みました。
驚いたのは彼の描いた植物の細かな写生画です。
ひとつの植物の全体から、パーツから、あらゆる方向からつぶさに観察していました。
植物に対する愛おしさゆえなのか、その真摯な姿勢には脱帽しました。
今ならカメラを使えば労少なくして多くの種類をサンプルにできますが、
昔は自らの手で、ありのままの姿を描きとることが、唯一の方法だったのですね。
しかしながら、これは情熱なくしてできる業ではありません。
常設展示館の建物入り口壁面のプレートに、こんな言葉が刻まれていました。
私は植物の愛人としてこの世に生まれてきたように感じます。
或いは草木の精ではないかと自分で自分を疑います・・・・・・ 「植物と心中する男」より
生涯を通して植物と向き合った牧野氏から発せられた言葉だから、ちっとも大げさではないんですね。
また、勉強の心得として生涯を通して実践されていたという勉強心得、赭鞭一撻(しゃべんいったつ)。
なかなかどうして、植物学のみならず、生きていくうえで、全てのことに通ずるように思います。
ちょっと笑えたのが、9番目のりん財者は植物学たるを得ずでした。必要なものにはケチケチしてはいかんということらしいのですが、う~ん、なるほどぉと思いました。
ひとつのことをとことん極めようとすると、あれやこれやと必要なものって次々でてくるんですよね。
何も学問の世界じゃなくっても、
デザインが気に入って買った洋服→合う靴がないなぁ→しっくりくる靴を探す→思い切って買っちゃう・・・
一緒にするな!と博士に叱られるかなぁ。(苦笑)
横道に逸れましたが、もうひとつ感動したのは、牧野博士の笑顔です。
本当に植物が好きで好きで仕方ないのでしょうね。
晩年になるほどに、その笑顔はすばらしく輝いているんですね。
歩んでこられた足跡とその笑顔をみていたら、ウカツにも涙が出てきました。(まわりに誰も居なかったからセーフ・・・。)
95年の生涯を植物と共に過ごしたとなると長いように思いますが、
牧野博士にしてみれば、あと100年も200年も生きて、植物採集し続けていたかったのではないでしょうか。