福 風

心にとまった物や想いを集めて。穏やかな風が吹きますように。

失うもの

2014-09-24 | 暮らし向き




双極性障害という診断名がつき、振り返れば思い当たる出来事の数々。

しかし、今更そのことに言い訳をしても仕方ないと思っている一方で、
あの時の私の立場をわかってほしい。
遠ざかっていった人たちに理解してほしいと、何故か今朝起きぬけに思っている。

包括支援センターというところへ、縁あって就職して以来、
何もわからないところからの出発だった。
わからないなりに、周りの人たちの助けを得ながら業務にあたってきた。
そして、わからないなりに、未熟なりに行きつき、
思うことがある。

それは、

全ての行動や言動には訳がある。

と。

表面の言葉や態度だけでは、
本意は掴めていないかもしれないと、
汲み取っていないかもしれないと、そう思うようになった。
何故なら自分自身がそうだからだ。

声にならない声に耳を傾ける。

恰好をつけた絵空事のような言葉になるが、
今はそう思えるようになった。

人は自分が経験したことでしか判断できない側面がある。
それも理解できるようになった。

しかし、双極性障害という病気は、
外見ではわかりにくい普通の人のことが多く、
理解されにくい。

うつ病ほど認知はされていない現状。

まがりなりにも福祉に関わる人間だからこそ、
精神疾患を持ちながら社会復帰することの大変さ、
理解をしてもらいにくい社会に戻ることの不安を、
身を持って体験したほうが、
今後同じ立場の人たちに接するとき、対等でいられるのではないか。
それだけが、この病気になったメリットではないかと考えることもある。

自分の心身が耐えうるかどうか。
経験をアウトプットできるだけの力があるか。

自分はなんでもできるような気持ちになる。
これも双極性障害の躁状態症状のひとつでもある。
だから、症状として出来そうもないことを言っているのか、
ひとりの人間として役立ちたくて言っているのか、
自分でも区別がつかない。

こういう状態の時は、主治医に相談することにしている。
先生としては、生活面のこともあるため、
復職を考えてくれている。

できれば私も復職をして、
声なき声を聴けるような人として仕事をしたいと思う。

そんなことを思った朝。