第5弾-社会人編-1
私の最初の就職先(株)Mは私の入社3年後には東証2部に、5年後には東証1部へと
上場し、その後も勢いを増し、我々従業員にとって給与や福利厚生面でも充分満足
し得る会社で時代背景もあったと思うが20代後半には男性社員の多く(ほとんど)
が家を建てることができるという恵まれた状況だった。
そんな恵まれた環境の下で各社員が力を養い、それぞれが仕事にも自信を持ち、
どんどん進化するシステムや体制の中で私も在籍年数と共に少しずつ責任ある
立場にあったが勤続20年を間近に控えたころある種の悩みが少しずつ私の頭に
蓄積していった。
その頃、私とは違う業界へ進んだ弟も私とは全く別の悩みを持っており、弟から
『兄貴と俺が一緒になれば必ずや成功する筈・・・』『小さくともやりがいのある
仕事をしよう』と持ちかけられ、私の心も起業へ大きく動き、二人を中心に小さな
会社を作り大波の中へボートを漕ぎだしたのである。
余談の余談で二人の悩みなどはどうでもいいのだが・・・・
簡単に表すと私は会社の強烈な締め付けとも思える管理体制と部下や後輩たちへの
自分なりの接し方に大きな相違を感じ、上層部に逆らうと下位の人たちに報復手段的な
対応がされることに大きな疑問を持っていた。
多くの成長企業にも数多く見られた現在のパワハラ的なものとも言えるかもしれない。
私は会社組織には不適格かもしれないが最近流行りの言葉で言うと一切『忖度』はせず
会社の原動力だと思っている第一線の人たちのことを優先するという立場をとり、職場の
ムード、コミュニケーションを第一とし、仕事内容や結果においても上層部には文句を
言わせないよう努めていた。
一方、弟は大学卒業後、営業の世界に入り、2度3度と転職を重ねたが、それは
自分が常にトップセールスになることによって古い体質の会社を変えていこうという
意識、意欲を持ってのこと。
ところが、転職先すべての会社で営業成績、成果のトップになっても目指す改善や改革が
叶わず、加えて報酬も自分の成績に見合うものではない・・・という不満を持っていたのだ。
そして私はある支店への異動をきっかけに自分の気持ちが退職→起業へと向かって
いることを強く感じた。
異動先の支店長との出会いは2度目でその支店長は以前から私の仕事ぶりや言動を
認めてくれていたので少し後ろめたいような心苦しさはあったが1年後退職を決意し、
支店長に申し出た。
支店長の言葉には激しく叱責したり説教がましいものはなく、理由を根ほり葉ほり聞く
わけでもなく、強く引き留めたりすることもなく私の意を汲むように頷き、少し厳しい
表情だったが笑って握手してくれた。
そしてただ一言、『家族に対する責任感を強く持つように・・・』というアドバイスに
加え、これから立ち向かうであろう数えきれないほどの「苦難」「困難」に立ち向かう
ための決意を促すということだったのか再び厳しい表情で私にとっては思いもよらぬ
『これからの人生は髭を蓄えて挑戦しろ・・・』という言葉を付け加えて私を見つめていた。
髭の意味は・・・?
そのころ髭を生やしているのは特殊な職業や人物であり、一般社会人にはほとんど
見受けられず現在のようにファッション感覚で髭を蓄えている人も少なかったし、
ましてやこれからの人生の面接。面談、商談や面接などには不適格と思われていたので
私はその支店長の言葉に『えっ?』と思った。
『私との約束を完全に果たすまではどんなことがあっても髭をそることまかりならぬ』
その後、度々この髭が原因で、面接、面談、転職、商談などが成立しないケースが
多すぎるくらいあったが、あの時すぐに理解できなかった支店長の言葉の『髭』の深い
意味を探りながら『不成立の原因はは髭だけではない・・・自分が至らないからだ』と自覚し、
めげることなくその先を目指し、むしろ励みとして挑戦意欲を燃やしてきたと自負している。
その支店長が亡くなってからもう10数年も経っている。
子供たちも成長、そしてそれぞれが社会人となったこともあり、支店長との約束はほぼ
達成しているが約束の内容は未だに家族にも語らず、今後も公表するつもりはない・・・。
何かの拍子に私の髭やこのことが話題になると次のようなことをいう人も少なくない。
『ある程度守り、達成してきたのならば既になくなった人との約束よりも現実重視で
その約束はもうそろそろ反故にしてというか終わりにしてもいいんじゃないのか?・・・』と。
しかし私はそのたった一つの約束があったからこそ今、自分や家族が裕福じゃなくとも
普通に暮らしていられるのだと思うとあの支店長の言葉を思い起こし、今後も生きる糧として
日々感謝と共に、命果てるまで守り続けていかずにはいられないのだ。
今後も感謝しながら豪語しているとおり『125歳まで・・・』生きていこうと思う。
私の最初の就職先(株)Mは私の入社3年後には東証2部に、5年後には東証1部へと
上場し、その後も勢いを増し、我々従業員にとって給与や福利厚生面でも充分満足
し得る会社で時代背景もあったと思うが20代後半には男性社員の多く(ほとんど)
が家を建てることができるという恵まれた状況だった。
そんな恵まれた環境の下で各社員が力を養い、それぞれが仕事にも自信を持ち、
どんどん進化するシステムや体制の中で私も在籍年数と共に少しずつ責任ある
立場にあったが勤続20年を間近に控えたころある種の悩みが少しずつ私の頭に
蓄積していった。
その頃、私とは違う業界へ進んだ弟も私とは全く別の悩みを持っており、弟から
『兄貴と俺が一緒になれば必ずや成功する筈・・・』『小さくともやりがいのある
仕事をしよう』と持ちかけられ、私の心も起業へ大きく動き、二人を中心に小さな
会社を作り大波の中へボートを漕ぎだしたのである。
余談の余談で二人の悩みなどはどうでもいいのだが・・・・
簡単に表すと私は会社の強烈な締め付けとも思える管理体制と部下や後輩たちへの
自分なりの接し方に大きな相違を感じ、上層部に逆らうと下位の人たちに報復手段的な
対応がされることに大きな疑問を持っていた。
多くの成長企業にも数多く見られた現在のパワハラ的なものとも言えるかもしれない。
私は会社組織には不適格かもしれないが最近流行りの言葉で言うと一切『忖度』はせず
会社の原動力だと思っている第一線の人たちのことを優先するという立場をとり、職場の
ムード、コミュニケーションを第一とし、仕事内容や結果においても上層部には文句を
言わせないよう努めていた。
一方、弟は大学卒業後、営業の世界に入り、2度3度と転職を重ねたが、それは
自分が常にトップセールスになることによって古い体質の会社を変えていこうという
意識、意欲を持ってのこと。
ところが、転職先すべての会社で営業成績、成果のトップになっても目指す改善や改革が
叶わず、加えて報酬も自分の成績に見合うものではない・・・という不満を持っていたのだ。
そして私はある支店への異動をきっかけに自分の気持ちが退職→起業へと向かって
いることを強く感じた。
異動先の支店長との出会いは2度目でその支店長は以前から私の仕事ぶりや言動を
認めてくれていたので少し後ろめたいような心苦しさはあったが1年後退職を決意し、
支店長に申し出た。
支店長の言葉には激しく叱責したり説教がましいものはなく、理由を根ほり葉ほり聞く
わけでもなく、強く引き留めたりすることもなく私の意を汲むように頷き、少し厳しい
表情だったが笑って握手してくれた。
そしてただ一言、『家族に対する責任感を強く持つように・・・』というアドバイスに
加え、これから立ち向かうであろう数えきれないほどの「苦難」「困難」に立ち向かう
ための決意を促すということだったのか再び厳しい表情で私にとっては思いもよらぬ
『これからの人生は髭を蓄えて挑戦しろ・・・』という言葉を付け加えて私を見つめていた。
髭の意味は・・・?
そのころ髭を生やしているのは特殊な職業や人物であり、一般社会人にはほとんど
見受けられず現在のようにファッション感覚で髭を蓄えている人も少なかったし、
ましてやこれからの人生の面接。面談、商談や面接などには不適格と思われていたので
私はその支店長の言葉に『えっ?』と思った。
『私との約束を完全に果たすまではどんなことがあっても髭をそることまかりならぬ』
その後、度々この髭が原因で、面接、面談、転職、商談などが成立しないケースが
多すぎるくらいあったが、あの時すぐに理解できなかった支店長の言葉の『髭』の深い
意味を探りながら『不成立の原因はは髭だけではない・・・自分が至らないからだ』と自覚し、
めげることなくその先を目指し、むしろ励みとして挑戦意欲を燃やしてきたと自負している。
その支店長が亡くなってからもう10数年も経っている。
子供たちも成長、そしてそれぞれが社会人となったこともあり、支店長との約束はほぼ
達成しているが約束の内容は未だに家族にも語らず、今後も公表するつもりはない・・・。
何かの拍子に私の髭やこのことが話題になると次のようなことをいう人も少なくない。
『ある程度守り、達成してきたのならば既になくなった人との約束よりも現実重視で
その約束はもうそろそろ反故にしてというか終わりにしてもいいんじゃないのか?・・・』と。
しかし私はそのたった一つの約束があったからこそ今、自分や家族が裕福じゃなくとも
普通に暮らしていられるのだと思うとあの支店長の言葉を思い起こし、今後も生きる糧として
日々感謝と共に、命果てるまで守り続けていかずにはいられないのだ。
今後も感謝しながら豪語しているとおり『125歳まで・・・』生きていこうと思う。