『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

私の人生に大きく影響を与えたと思われる人たち・・・その1.

2019-02-23 09:46:49 | 喜怒哀楽をポジティブに
誰しも現在の自分に少なからず影響を与えてくれた人物が何人かはいるだろうと思う。
私の場合も自分の考え方や生き方の指針のようになったのは両親をはじめ、
その多くは学校の先生によるものが大きい。

小学校3年生の担任だった田中先生(女性)は私の母の教えと全く同じで「嘘」「怠惰」
「約束を反故にする」「劣等感」「卑屈」などに対する注意や教えには厳しく、常に
仲間や他人を思いやる精神を小さな例えに出して語り、どんな時でも正々堂々、明るく、
元気に、楽しく生活するという姿勢を持ち続けることが肝要だと言い続けておられた。

その田中先生との忘れられない強烈な思い出が時折蘇ってくる。
みんなでやるべき教室の片付けや掃除をある時、私がやらずにそれを注意されると
何かの理由をつけて誰かのせいにして言い逃れをしようとしたことがあったのだが・・・。

みんなが下校する時間になる少し前、先生はそっと私に教室に残るように言われた。
そして・・・前述の事件(サボタージュ)のことを優しく丁寧に諭された後に、
静かな口調で『しばらく級長のバッジを預かるから外しなさい』と言われたのだ。

現在の小、中学校では『学級委員』とか『委員長』などというのかもしれないが
私たちの子供の頃は旧制度の『級長』という名で呼ばれており、きれいな桜の花びらの
模様のツルツルとしたバッジの中心に大きくその『級長』という文字が浮かび上がっていた。

私は子供心にバッジ返却を最大の屈辱と感じて思わず大声で泣いてしまったのである。
先生は優しい目を向けながらも容赦なく無言で『級長』のバッジの返却を促すように
そのきれいな手のひらを広げ私の前に差し出した。

私は震える指でバッジの裏側のねじを緩めて先生の手のひらに乗せた時に『級長降格』
よりも日頃からの教えに背いた罪の意識でさらなる涙と嗚咽が止まらなかった。

その日の夜、勤務を終えた先生が学校から遠い我が家へ訪ねてこられた。
そのころは電話のある家は少なく、我が家にも電話がなかったので先生の突然の訪問に
私から話を聞いていた母も驚き、恐縮していた様子を今もはっきりと覚えている。

先生は多くを語らず、いつもの優しい笑顔で私の手を取り『級長』のバッジを握らせて
くれたがその時、私の心にはいつものいろんな教えの大切さが更に大きく強く深く
刻み込まれたのである。

その田中先生には中学生の頃に2、3度お会いしたがそれっきりになっている。
ご存命ならばまもなく100歳になると思うがご無事ですごしていらっしゃるだろうか?












コメント
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