『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

私の人生に大きく影響を与えたと思われる人たち・・・その3.

2019-02-25 12:03:43 | 喜怒哀楽をポジティブに
そして第3弾!
中学1年の担任であり、野球部顧問兼監督であった小松先生・・・
この先生には『正々堂々』『威風堂々』『毅然たる態度』や何事にも『怯まない』
『怖気づかない』『臆病にならない』などに繫がる『正義感』や『勇気』などを
身をもって教えられた。

野球では『攻撃野球』で勝利のためにバントを多用し1点を守るという戦法ではなく、
打って打って打ちまくる野球・・・3点取られたら5点、6点取って打ち勝つ、10点
15点取られても諦めずにそれ以上をとることを目指し、絶対に諦めない・・・
そんな野球で全員を鼓舞する、全生徒の士気を高める・・・という姿勢を強く教えられた。

後に攻めだるまと言われた蔦文也監督率いるあの『やまびこ打線』『さわやかイレブン』
のように全員がグランドを駆け巡るイキイキとした野球を教えられた。

攻めだるまの蔦監督は時にはバントも仕掛け、犠牲となり走者の進塁を助けた選手へも
労いや殊勲を含む言葉をかけられていたそうだが小松先生の指導で池田高校と違うのは
バントは一切なし・・・ということで、日常みんなが打って塁上の仲間を迎え入れるために
練習しているのだから全員が主役…という意味ではそれぞれがその意味を理解して
バットを振っていた。

小松先生は勝つことよりも負けた時の気持ちや次への心構えのようなものを尊重され、
何度も優勝を成し遂げた蔦監督がその後に言われた『人生は何事も勝つことに比べ、
負けることが多いことやその時にどう対処するかが大切であり、人を成長させるのだ』
という意味と同じ言葉を繰り返し繰り返し話され、それが社会人になってからの私に
大きな励みとなっていろんな局面で私を奮い立たせてくれたのである。

1974年ごろから1990年代まで甲子園を沸かせたあの池田高校が活躍し、蔦文也監督の
人物像が語られることになった何十年も前に同じような教えをする先生がいたのである。
今、70代後半の私たちも何事においても常に先生の教えを忘れないよう、そして微力
ながら伝えていくようにしたいと強く思う。

子供の頃から現在まで私の一番好きなスポーツが野球であることの一つの理由が
この小松先生の教えであり、その後もずうっと大きく影響しているのは間違いないと思う。

高校では憧れであった「高校球児」になりたかったが親の意見の『勉学とは両立しない・・・』
などという今では考えられない理由の声を尊重する格好で諦め、望みが叶わなかった。
その悔しさや反動もあり社会人となってからは社内のクラブや友人と『草野球』を楽しみ、
その中で胸に刻み込まれた小松先生の教えを実践すべく61歳まで現役で楽しんだのである。


コメント
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