連日『東日本大震災』について新聞テレビ等で報道されているが
昨日岩手県釜石市の震災伝承施設「いのちをつなぐ未来館」で若き
語り部として働く川崎杏樹(あき)さん(24)のことが「テレビ朝日」で
紹介されていた。
また同じように「BS日テレ」でも11日に同施設で働く菊池のどかさん(25)
の様子が紹介されている。
の様子が紹介されている。
私はテレビを見た後、このことについてネットのいろんな情報を見たが
『釜石の奇跡』として評され全国に広く知れ渡ったこの避難のことを
彼女達は「奇跡と言われるのには違和感や抵抗感もあった」と語っている。
川崎さんは「防災教育のおかげ」と話し、だからこそ自分たちが伝えて
いかなければならないと思い、語り部になったのだという。
彼女達の災害に対する思いがひしひしと伝わってくるようで
周りには犠牲となった人も多く、地元では「釜石の奇跡」というより
「釜石での出来事」と伝えられているようだ。
私達もいつ何処で起こるかわからない災害への対策を普段から
考え、準備しておかなければならないことを再認識させられる。
以下はネットの記事から転記したもの。
03/13(土)
(テレビ朝日[週刊ニュースリーダー])
東日本大震災の記憶と教訓どう語り継ぐ?・“釜石の奇跡”体験の語り部・
(テレビ朝日[週刊ニュースリーダー])
東日本大震災の記憶と教訓どう語り継ぐ?・“釜石の奇跡”体験の語り部・
川崎杏樹
東日本大震災から10年。
災害の記憶や教訓をどう語り継いでいけばいいのか。
10年前、東日本大震災の時は中学2年だった震災語り部・川崎杏樹は、
東日本大震災から10年。
災害の記憶や教訓をどう語り継いでいけばいいのか。
10年前、東日本大震災の時は中学2年だった震災語り部・川崎杏樹は、
今はない母校の写真を見せながらパソコンの向こう側にいる大阪の
小学生たちにあの日のことを語りかける。
当時、川崎ら生徒たちは坂道を駆け上がり海抜44m地点へ避難。
地面に座り込み時が過ぎるのを待った。
中学校があった地区は津波で壊滅。
川崎たち570人ほどの生徒たちは難を逃れ無事だったことから当時は
当時、川崎ら生徒たちは坂道を駆け上がり海抜44m地点へ避難。
地面に座り込み時が過ぎるのを待った。
中学校があった地区は津波で壊滅。
川崎たち570人ほどの生徒たちは難を逃れ無事だったことから当時は
「釜石の奇跡」と呼ばれた。
しかし中学校のあった岩手・釜石市では994人が死亡、152人が
しかし中学校のあった岩手・釜石市では994人が死亡、152人が
現在も行方不明。
自らの体験を語り継ぐことでこれから先、津波での被害を少しでも
自らの体験を語り継ぐことでこれから先、津波での被害を少しでも
減らせたらと女性たちはかつて中学校のあった地区に新しくできた岩手・
釜石市の防災学習施設「いのちをつなぐ未来館」で語り部として勤務。
川崎は中学時代、ここで受けた防災教育のおかげで自らの命が助かった
川崎は中学時代、ここで受けた防災教育のおかげで自らの命が助かった
と語る。
写真:高村幸男、釜石市、菊池信平。
写真:高村幸男、釜石市、菊池信平。
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03/13(土)
(テレビ朝日[週刊ニュースリーダー])
東日本大震災の記憶と教訓どう語り継ぐ?・“釜石の奇跡”体験の語り部・
03/13(土)
(テレビ朝日[週刊ニュースリーダー])
東日本大震災の記憶と教訓どう語り継ぐ?・“釜石の奇跡”体験の語り部・
川崎杏樹
岩手・釜石市の防災学習施設「いのちをつなぐ未来館」語り部・
岩手・釜石市の防災学習施設「いのちをつなぐ未来館」語り部・
川崎杏樹を取材。
当時の授業では地上の津波の速さを体感するために先生が車に乗って
当時の授業では地上の津波の速さを体感するために先生が車に乗って
生徒たちを追いかけたり、地元のハザードマップを作り炊き出しや
応急処置を実際に体験。
楽しみながら学んだことにより救われた命。
川崎は県外の大学を卒業後地元で念願の語り部となったが再び困難が。
新型コロナウイルスの影響で施設を訪れる人が3割ほどに激減。
現在はオンラインで語り部を行っている。
川崎は「自らの体験を語り継ぐことで未来の命を救いたい」と
楽しみながら学んだことにより救われた命。
川崎は県外の大学を卒業後地元で念願の語り部となったが再び困難が。
新型コロナウイルスの影響で施設を訪れる人が3割ほどに激減。
現在はオンラインで語り部を行っている。
川崎は「自らの体験を語り継ぐことで未来の命を救いたい」と
これからも語り部として頑張っていくという。
帰還困難区域、農家、高齢者問題、水産業者、TOKIO、復興、西日本、
帰還困難区域、農家、高齢者問題、水産業者、TOKIO、復興、西日本、
陸前高田市、三陸、津波について言及。
菊地幸夫弁護士のスタジオコメント。
菊地幸夫弁護士のスタジオコメント。
2021/03/11
BS日テレ 【深層NEWS】
若き“津波語り部”の葛藤と思い
東日本大震災から10年。
中学3年生のときに釜石市で被災した菊池のどかは、2019年から
BS日テレ 【深層NEWS】
若き“津波語り部”の葛藤と思い
東日本大震災から10年。
中学3年生のときに釜石市で被災した菊池のどかは、2019年から
津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」で語り部ガイドとして全国の
人々に津波の記憶と教訓を伝えている。
菊地のどかは「すごく大きかった10年だった。話せなかった時期もあった。目の前の人の命を助ける気持ちでお話している。死にたくないと思って
菊地のどかは「すごく大きかった10年だった。話せなかった時期もあった。目の前の人の命を助ける気持ちでお話している。死にたくないと思って
山まで走ったのを覚えている。奇跡と呼ばれること自体には複雑な
気持ちが正直ずっとあった。みんなのおかげだったと思う。子供たちに
助かってほしいという気持ちをすごく持っている」と述べた。
コロナウイルス、津波サミットに言及。
映像提供:釜石市釜石東中学校。
読売新聞編集委員・飯塚恵子のコメント。
コロナウイルス、津波サミットに言及。
映像提供:釜石市釜石東中学校。
読売新聞編集委員・飯塚恵子のコメント。
この2名の方以外にも震災当時は小学生だった人達があの自分たちが
経験したことを活かして今後も長く伝えていかなければならない・・
という気持から東北各地で語り部として活動している様子が
今朝も伝えられていた。
東北から離れた群馬県伊勢崎市の東京福祉大学で学んでいる一人も
今後とも語り部としての活動を誓っている姿も私には眩しく映った。
各世代の語り部たちもいらっしゃるがこの若き語り部たちの熱意に
溢れる活動に今後も目を向け、できる範囲内で私達も協力し、後々までも
語り繋いでいかなければいけないと思う。