被爆76年となる今日8月6日は「原爆の日」。
今年も胸に迫るものを感じつつテレビ画面の前で正座で視聴。
広島では平和記念式典が開かれたが残念ながらコロナ禍のため、
去年に続き参列者はかなり少なかった。
松井市長の「平和宣言」や菅総理の「挨拶」、小学生の男女の
「平和への誓い」を神妙な思いで視聴したが、核廃絶や平和への
思いに大きな差があるように思えた。
松井市長のことばや表情には心から核廃絶への強い思いが込められており、
日本政府に対し核兵器禁止条約への批准や第1回締約国会議に参加する
ことなどを求め、核兵器禁止条約の締約の大切さを強調していたが、
菅総理は各国の立場には隔たりがあるとして、「核軍縮を進めていく
ためには、さまざまな(立場の)国々の間を橋渡ししながら、現実的な
取り組みを粘り強く進めていく必要がある」などと例によっていつもの
曖昧で具体性のない発言・・・ここでも「検討」や「~の考えを進める」
などという態度。
昨年の安部元総理同様、核禁止条約には消極的で真剣には向き合わない
ような話の内容に思えた。
しかも松井市長は心に思っていることがそのまま力強い言葉となって
テレビの画面に流れる文字との齟齬も全くなかったが、菅総理は
読み飛ばしがあり、また「原爆」を「げんぱつ」や他の箇所でも
読み違いなども多く、やはり誰かが作成した文章を読み上げるだけで
心からの自分の言葉ではなかったことが露呈してしまったようだ。
むしろ正面を向き、原稿も見ずに話した小学生男女のスピーチの
ほうが何十倍も胸に響いた。
現在生存している被爆者達の平均寿命は84歳にもなるという。
広島市民だけではなく、日本の国民の一人でも多くの人が核兵器の
もたらす悲惨な事実を後生に語り継いでいかなければ・・・と
今年もまた強く思った。