少数派シリーズ/スポーツ
五輪金メダル選手の「美談仕立て」の過剰報道は視聴率を取るためとは言えウンザリ
■選手を「商品化」させるメディアに過剰演出の無責任さを問わなければならない
前号では、五輪前になるとTV局が必ずこの選手は「金メダル確実!」と囃し立てるのは「視聴率」を取りたいためだと書いた。TV局は、もう1つ視聴率を得るために“茶番企画”を繰り返す。誤解なきように申し上げればスポーツそのものは好きだが、選手をあまりにも大袈裟に“美談仕立て”にTV報道する番組は見ないことにしている。前回の東京五輪は地元開催ながらほとんど見ておらず、今回のパリ五輪も見ず、次回のロス五輪もまず見ないだろう。とは言え五輪中継は見たくなくても、短時間ながら目に入ってしまう。ニュース番組の程度で十分だ。他分野でも大谷翔平選手ばかりにスポットを当てること、サッカー・ラグビーなどのW杯・ビッグゲームも同様である。さて見るのが嫌なのは、これら一連の視聴率を取りたいが故の意図がミエミエのTV局の企画にウンザリする。最初の優勝・金メダルを獲得したシーンは報道として許せる。しかし何度も何度も繰り返され、あまりにもくどく、いい加減にしろと言いたくたくなる。その映像も限界と見るや、問題はそのあとだ。監督やコーチに師弟愛を語らせる、そのうちに遠い昔の恩師へのインタビュー。次は選手の父母・祖父母に加え、妻を取材し“献身的な妻像”を描く。女子選手の場合は夫に~“理解ある夫像”を浮かび上がらせる。※“献身的な妻像”と “理解ある夫像”の違いは、そもそも男女差別だ。さらに続き、過去、選手が怪我をするとつらい治療生活を語らせる。そのエピソードが尽きると地元の方々に“地元愛”を取材、選手が頑張った幼少の頃から高校までの生い立ちを紹介、「母校」まで訪ねて在校生の声を聞く。
まだまだ終わらず、選手が通った飲食店の店主に焼肉や大盛チャーハンなどの好物や食べっぷりを聞く。要は、TV局は選手の人柄・実像を紹介する振りをして、古い言い方をすればいわゆる“お涙頂戴”的な企画を乱発させ、「視聴率」を稼ぎたい故にギリギリまで引っ張るのだ。一方、スペシャルサポーターと称した元メダリストや芸能人を使ってのバカ騒ぎ、過剰に演出的な応援で煽り国威発揚的なことをさせる。中継の解説者はロクな解説もせず、「ヤバイ、行け行け、頑張れ」と応援団化してしまう。なお、ある専門家のコラムを見ると、五輪中継がNHK・民放もやたら長くなっている理由が書かれていた。急激に「放送権料」が高くなってきているので、元を取る?ためにこれでもかこれでもかと流すそうだ。もうウンザリでこれら毎度の五輪、ビッグゲームで繰り返されるので、放送局の「茶番」は見ないようにしている。こうしたTV局の態勢を選手も意識している訳だから余分な圧力を掛け、前号のように選手を潰してしまう。結果、成績が発揮できないと現地から涙ながらに詫びる、帰国したら「日本の方々に顔を見せられない」と沈痛な顔で謝る。選手は大変な努力をしており、日本代表になるだけでも偉大なものだ。選手に、そんなことを言わせてはいけない。メディアは選手を「商品化」(見世物化)させて、過剰取材、過剰演出、選手への過剰依存の無責任さを問わなければならない。3年前に東京五輪の汚職・莫大な利益横流しなど“汚い面”を見せつけられた。また昨今のメディアの傲慢な放送ぶりから、スポーツを嫌いになる方が多いと言う。投稿者のように、ただただ純粋にスポーツを見たい人も多いのに・・・・
次号/パリ五輪で日本勢が大量メダル獲得の活躍ができたのは前回が開催国だったため
前号/「金メダル確実!」とメディアが煽るのは視聴率を取りたいため、結果・選手を潰す
五輪金メダル選手の「美談仕立て」の過剰報道は視聴率を取るためとは言えウンザリ
■選手を「商品化」させるメディアに過剰演出の無責任さを問わなければならない
前号では、五輪前になるとTV局が必ずこの選手は「金メダル確実!」と囃し立てるのは「視聴率」を取りたいためだと書いた。TV局は、もう1つ視聴率を得るために“茶番企画”を繰り返す。誤解なきように申し上げればスポーツそのものは好きだが、選手をあまりにも大袈裟に“美談仕立て”にTV報道する番組は見ないことにしている。前回の東京五輪は地元開催ながらほとんど見ておらず、今回のパリ五輪も見ず、次回のロス五輪もまず見ないだろう。とは言え五輪中継は見たくなくても、短時間ながら目に入ってしまう。ニュース番組の程度で十分だ。他分野でも大谷翔平選手ばかりにスポットを当てること、サッカー・ラグビーなどのW杯・ビッグゲームも同様である。さて見るのが嫌なのは、これら一連の視聴率を取りたいが故の意図がミエミエのTV局の企画にウンザリする。最初の優勝・金メダルを獲得したシーンは報道として許せる。しかし何度も何度も繰り返され、あまりにもくどく、いい加減にしろと言いたくたくなる。その映像も限界と見るや、問題はそのあとだ。監督やコーチに師弟愛を語らせる、そのうちに遠い昔の恩師へのインタビュー。次は選手の父母・祖父母に加え、妻を取材し“献身的な妻像”を描く。女子選手の場合は夫に~“理解ある夫像”を浮かび上がらせる。※“献身的な妻像”と “理解ある夫像”の違いは、そもそも男女差別だ。さらに続き、過去、選手が怪我をするとつらい治療生活を語らせる。そのエピソードが尽きると地元の方々に“地元愛”を取材、選手が頑張った幼少の頃から高校までの生い立ちを紹介、「母校」まで訪ねて在校生の声を聞く。
まだまだ終わらず、選手が通った飲食店の店主に焼肉や大盛チャーハンなどの好物や食べっぷりを聞く。要は、TV局は選手の人柄・実像を紹介する振りをして、古い言い方をすればいわゆる“お涙頂戴”的な企画を乱発させ、「視聴率」を稼ぎたい故にギリギリまで引っ張るのだ。一方、スペシャルサポーターと称した元メダリストや芸能人を使ってのバカ騒ぎ、過剰に演出的な応援で煽り国威発揚的なことをさせる。中継の解説者はロクな解説もせず、「ヤバイ、行け行け、頑張れ」と応援団化してしまう。なお、ある専門家のコラムを見ると、五輪中継がNHK・民放もやたら長くなっている理由が書かれていた。急激に「放送権料」が高くなってきているので、元を取る?ためにこれでもかこれでもかと流すそうだ。もうウンザリでこれら毎度の五輪、ビッグゲームで繰り返されるので、放送局の「茶番」は見ないようにしている。こうしたTV局の態勢を選手も意識している訳だから余分な圧力を掛け、前号のように選手を潰してしまう。結果、成績が発揮できないと現地から涙ながらに詫びる、帰国したら「日本の方々に顔を見せられない」と沈痛な顔で謝る。選手は大変な努力をしており、日本代表になるだけでも偉大なものだ。選手に、そんなことを言わせてはいけない。メディアは選手を「商品化」(見世物化)させて、過剰取材、過剰演出、選手への過剰依存の無責任さを問わなければならない。3年前に東京五輪の汚職・莫大な利益横流しなど“汚い面”を見せつけられた。また昨今のメディアの傲慢な放送ぶりから、スポーツを嫌いになる方が多いと言う。投稿者のように、ただただ純粋にスポーツを見たい人も多いのに・・・・
次号/パリ五輪で日本勢が大量メダル獲得の活躍ができたのは前回が開催国だったため
前号/「金メダル確実!」とメディアが煽るのは視聴率を取りたいため、結果・選手を潰す