月刊パントマイムファン編集部電子支局

パントマイムのファンのためのメルマガ「月刊パントマイムファン」編集部の電子支局です。メルマガと連動した記事を掲載します。

『パントマイムの歴史を巡る旅』第10回(アジアマイムフェスティバル主催・小島屋万助さん(4))

2012-05-13 21:43:02 | スペシャルインタビュー
佐々木 アジアマイムフェスティバルのあと、2003年から北九州マイムフェスに関わっておられますね。
小島屋 これも6年やったんだ。これは、完全に吉澤耕一さんの主導で、アジアマイムフェスに代わるものがないだろうかというのがあったね。そういう時に北九州芸術劇場ができたんだ。吉澤さんは、北九州芸術劇場のプロデューサーと長い間、演出として仕事をしていて、その関係で話があって始まったんだ。1年目は劇場のオープン企画という事もあり、劇場公演とは別に屋外でも公演したが2年目からは完全に劇場一カ所でやっていた。ただ長野と違うのは、開催前に1ヵ月半かけて30人程の市民参加のワークショップを開催したということ。ワークショップの時間は100時間以上だから、けっこうな時間をかけたんだ。
佐々木 1カ月半ですか。すごいですね。
小島屋 勿論毎日じゃないけど。一つの公演の中で、僕たちが出る前の時間に、市民が自分で作った作品を発表するという、すごい贅沢な企画。だから、僕らはずっと行きっぱなしだったね。ワークショップの講師は、僕と本多愛也君、羽鳥尚代、あがりえ弘虫さんが務めた。それに加えて吉澤さんも期間中ずっといた。
佐々木 フェスは何日間くらいのものですか。
小島屋 フェスそのものは、3日間で終わってしまうね。

佐々木 市民参加ワークショップって、どういう方が参加されてたんですか。参加している方は、パントマイムが大好きな方が多かったのですか。
小島屋 好きというより、やってみたいということだよね。“この人のファンです”とかいうのは、ほとんど全員なかった。でも、参加者は皆、パントマイムが大好きになったね。表現欲は皆すごいあったよ。基本的には、ワークショップに全部出るのが前提だから、やる気がある人じゃないと当然出られない。参加者は、子どもから一番上は70何歳の方もいたんだ。
佐々木 作品は、みんなで作るわけではなく、一人一人で作ったのですか。
小島屋 基本は1人。1人でやることに意味があったんだ。勿論2人の作品もあったけど。
佐々木 プロの公演は、小島屋さん、羽鳥さん、愛也さん、あがりえさん以外のアーティストさんも色々呼んだんですか。
小島屋 この4人がワークショップの担当で、舞台は僕たちも出るけど、山本光洋さんやがーまるちょばやチカ(チカパン)ちゃんなど他のアーティストも呼んだね。

佐々木 アジアマイムフェスの経験を生かした部分は何かありましたか。
小島屋 1年目はそうだった。1年目は劇場公演以外に屋外公演でパレードとかもやって、二つに分けてやったんだ。劇場公演とパレードで数週間ずらしてね。屋外公演では、“パントマイムが町に出よう”という主旨の企画で、パフォーマンスで北九州市の全区を回ろうというすごい企画だった。パレードのほか、劇場の前の仮設ステージで前夜祭みたいな開会式もやったんだ。
佐々木 ああ、なるほど。
小島屋 ただ、これはあまり上手くいかなかったんだよね。
佐々木 何が上手くいかなかったですか。
小島屋 町に出ても人があまりいなくて、それに町の人がポカンとした反応なんだね。おしかけみたいな感じで、それ程認知されていなかった。だから労多くして効果が少なかった。すごく頑張ったけどね。
佐々木 難しいですね。
小島屋 そうだね、だから屋外の企画はこの1年で終わってしまった。劇場側の負担が大きすぎるということで。吉澤さんとしてはアジアマイムフェスの火を消したくないという、強い思いがあったんじゃないかな。とても残念がっていました。

佐々木 北九州は、もう6年間で終わりという話だったのですか。
小島屋 これは、劇場側の都合だと思う。企画物の期間は大体3年程度と言われていてね。
それを6年まで延長してくれた。劇場には感謝しています。そしていまだに子どものためのワークショップは夏休みの1週間やっている。去年も僕が行ってきたし。
佐々木 パントマイムのですか。
小島屋 そう。それはまだ続いているね。東部町のアジアマイムフェスの方も訪問公演を毎年やったって言ったけど、東部町の訪問公演は、地元の法人会の支援を受けて終わってからもずっと続いて、ほぼ20年近くになるね。これも僕は毎年行ってるね。
佐々木 まだそういう火が残っているのは良いですね。

佐々木 次に、タイのフェスティバルはいつ頃からですか。これは毎年やっているのでしょうか。
小島屋 ほぼ毎年やってるね。97年からだと思うんだけど。これは、純粋にまずタイからマイミストを呼んだんだよ。96年かな。
佐々木 まずタイの方を日本に呼んでですか。
小島屋 それで、タイでも開催出来たら良いねって話になって、じゃあ、俺とにかく自腹で行くからと言って、最初に小島屋万助劇場の公演として、山田とうし君と一緒に全部持ち出しで行ったんだ(もしかしたら航空運賃を補助金で助成して頂いたかもしれませんが、もう覚えてません)。
佐々木 タイにもそういうマイムの団体があるのですか。
小島屋 ないけどね。僕らが呼んだ方の縁があってね。僕らが呼んだのは、パイトゥーン・ライサクンさんと(タイ在住の)矢野和貴さんのコンビだった。その二人の友達が広告代理店をやっていて、彼が呼びたいということで、色々とやってくれたおかげで実現したんだ。
佐々木 その広告代理店の友人の方がですか。
小島屋 そう。それが今でも付き合いがあってずっと続いている。ただ、向こうの経済事情とか色んな事件があって、色々リスキーなんだ。2回中断があったので、今度で13回目かな。

佐々木 海外の公演は、色々と大変ですね。タイは、大道芸とパントマイムの舞台と二つのフェスがあるんですか。
小島屋 僕が関わっているのはその二つです。『パントマイム・イン・バンコク』が劇場でやるもので、15年続いている。大道芸の方はそこから派生した。大道芸は、プロデューサーの彼が大道芸をやりたくて、彼の勢いに押し切られてやることになったんだ。これは、5年前からやっているね。昨年は中止になったから、大変だったよ。
佐々木 洪水の被害が大変だったそうですね。大道芸は静岡みたいなフェスティバルなのですか。
小島屋 うん。12月2週にルンピニ公園っていう一つの公園で3日間やるんだ。大体30万人くらいくるね。
佐々木 30万人ですか。すごい。
小島屋 なんかちょっとしたつながりなんだけど、僕にとっては、降ってわいたようなものだね。仕事は仕事なので、一生懸命やってるけど。
佐々木 「パントマイム・イン・バンコク」はいつ開催してますか。
小島屋 最近は7月頭に固定してるね。4日間開催していて、全部で約6ステージ。大体客席がいっぱいになる。約500人の劇場でやっていたので、3,000人くらいはお客様が来るってことだね。
佐々木 スゴいですね。日本じゃなかなかないですね。それは、タイの方も出演しているのですか。
小島屋 最近はね。ベビーマイムというグループが育ってきて出演しているね。

佐々木 ところで、小島屋さんからみて、パントマイムウィークやさくパンなどマイムリンクの活動はどう見えますか。
小島屋 いつも参加できなくて申し訳ないけど、絶対継続して欲しい。まず場があるというのは、とっても大事なこと。あと下手に啓蒙したり、下手に大上段にマイムとはどうのと言わないところがとっても良いと思う。ひたすら場を提供するというスタンスが良いと思う。
佐々木 なるほど。
小島屋 あとは、本当に難しいけど、門戸を広げながらお客様のことを第一に考えてクオリティーの高い舞台をいかに提供していくかが大事だよね。
佐々木 それは難しい部分ですね。
小島屋 そこは縛り付けると逆にね。パントマイムってほっておくと、本当になくなってしまう世界というか。結局マイムって、皆習うことはできるんだよ。例えば、演劇の授業でマイムを習ったりとか教室の中では成立しても、表現として成立するかというと結構なかなかないじゃん。それが存在し続けないといけないんだろうなという気がする。
佐々木 マイムリンクの活動として、パントマイムを世間にもっと広めたいと思っていますが、パントマイムを観たことがない方に中々届かないもどかしさがあります。でも、広げていかないとパントマイムって絶対に認められない気がします。
小島屋 確かにね。うん、難しいよね。
佐々木 逆に大道芸の方が多くの人が知っていて、社会に広く受け入れられていますね。
小島屋 確かに大道芸文化というか、逆にマイムより裾野が大きくなりつつあるね。ただ、これって地味に考えるしかなくて、僕はマイムの立ち位置は、本における詩集というか俳句ってあるじゃない。本屋に行くと小説が一番多くて、エッセーや散文、詩集とかがあって、短歌や俳句はどんな本屋にも必ず1冊か2冊はある。つまり絶対になくならないんだよ。かといって増えもしない。例えば、大昔に俵万智の「サラダ記念日」が約300万部売れて、その時だけ増えたけど2%とか3%のポジションに戻っている。多分マイムもそんなものじゃないかな。まず、ダンスや舞踏などがあって、でもパントマイムがちょっと残っている。だから、なくならないという前提に考えて、たんたんと続けた方が良いと思う。その中でたまに俵万智のように突出して面白い人が出てくるんじゃないのかな。そう考えると今の活動で良いんじゃないかと思うんだけどね。

小島屋万助さんに4回に亘ってアジアマイムフェスティバルを中心に語って頂きました。長野で始まったパントマイムを広める活動の火は、形を変えて今でも多くの人に残っていて、地域の学校訪問公演やタイのフェスティバル、もしかすると、マイムリンクの活動にもその炎が受け継がれ続いていると思います。なお、取材には金井祐子さんにもご協力頂きました。
(了)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アーティストリレー日記(16)... | トップ | アーティストリレー日記(17)... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

スペシャルインタビュー」カテゴリの最新記事