懐かしのママコさん
ママコさんとの最初の出会いはNHK連続影絵テレビ「森は生きている」に彼女が主演することになり僕と数人の研究生が手伝った時でした。5、6週は続いたかな。その後、彼女は同じNHKテレビの「私はパック」という番組に出演し、かなり長く続いたと思います。それで彼女は日本中の人気者になりました。その後は、公演やテレビで大活躍しました。
当時 NHKは内幸町にあり、私の稽古場(日本マイム研究所)が10分のところにあったのでママコさんはNHKの仕事の時は私の稽古場をずっと使っていました。
ある時は、稽古が終わって稽古場に隣接している私の部屋に来て「随分沢山良い本があるのね」と云われ、ジャン・ジュネの「バラの奇跡」や何冊かの本を借りていかれました。研究熱心なので感動しました。その後、岡田真澄氏との契約結婚などで話題になりました。
その後、恋に破れ、傷心してアメリカに渡り市民権を得るまで修行の生活を送りました。
そして長い海外生活を終え帰国しました。帰国するとすぐに私に電話してこられました。「何かおもしろい芝居どこかでやっていない?」
私は一生懸命探しました。
六本木の自由劇場で昔と現代が入り混じった「嵐の三十六人斬り」というユニークな芝居を一緒に見に行きました。
ものすごく斬新で痛快な芝居でした。ママコさんは上演中一人、大声で笑い、感動していました。恐らく日本情緒の素晴らしさ、懐かしさに大感動だったのでしょう。私もあんなおもしろい芝居は未だ見たことがありません。
芝居が跳ね、2人で新宿に出て、薄暗い地下のバーに入り、絶品の樽漬でどぶろくをたらふく飲みました。あんまり飲み過ぎ2人ともよっぱらってしまいました。
長いアメリカ生活から解放され「日本最高!」と思われたと思います。
日本の一番良き時代だったと思います。ママコさんの御冥福を祈ります。ママコさん、また場所を変えて飲みましょう!
佐々木博康