日本と植民地(米国の):ウィキペディア説明、形態2「.外交権や駐軍権のみを獲得し内政は先住民による統治に任せて原則として干渉しない保護領」米駐留権確実に持つ。外交権、今や米国に隷属だから米国にあるようなもの。「内政は先住民による統治に任す」、今の日本はこれより植民地度が高い。
中国首相・温家宝氏の妻、母親、息子、娘他親族が蓄財、少なくとも27億ドルの資産を保有しているとNYtimes紙がスクープ、するとまもなく中国政府がNYtimes閲覧を禁止、他のSNSやブログでも首相への言及を検閲開始したとの報道。 goo.gl/RARJI
維新公約素案「稚拙」 橋下代表、国会議員団を批判 t.asahi.com/8iyq要するに政党などという代物ではない。二重構造を克服するには、橋下自身が国会議員になるしかない。本体がこんな状態で石原新党との提携など、真面目に議論する価値もない。
石原新党のニュース、各局を比較したわけではないが、昨日のNHKニュース9はひどかった。石原の軌跡を紹介する中で、都政における数々の失政、人権無視の妄言の数々を全く紹介せず。そもそも石原など、単なる差別主義者でヨーロッパなら極右泡沫扱いである。日本のメディアのゆがみを感じる。
昨日飲みながら、それぞれの人生で負けたと思った瞬間の話をした。考えだったり、競技の事だったり、もっといえば存在自体で負けたと思った事があったり。いやあすごい人っているよねという話をしていたら、一人がどうして私達は負けたとわかるんだろうと言い出した。
人生にははっきりとした勝ち負けがない。競技では明らかな勝ち負けがあるけれど、もてる事だったり、地位だったり、賢さだったり、尊敬だったりは、明確には計れない。だからいくらでも負けてないという事にもできる。にも拘らず人はある程度負けた事にわかる。
負けたと思った時、人はその相手と自分の差をはかり、悔しいと思ったり自分を嘆いたり、相手に羨む。そしてその敗北感を受け入れた時に、力が湧いてきて自分を高めようとする。そのプロセスに大事なのは、負けを悟る能力と、それを受け入れる能力。
負けたと思うには強さがいる。プライドの高い人の内のいくらかは、敗北が許せなくてそれを覆い隠して生きていく。僕は負けてないと言いながら競争は避ける。相手がどれだけ劣っているかをアピールする。淡々としていられない。敗北を隠す為にはしゃべり続けないといけない。
ああ、僕は彼に負けている。その一言が言えなくて、言い訳の人生を生きている人もいる。大人になっても、子どもの頃についた自分への嘘を続けている人もいる。敗北を隠す人は、敗北の可能性がある場を嫌がり、自分より優れた人との対峙を避ける。
【終わり】上には上がいるから、負けを認められない人の世界は狭い。負けを認める為には負けてる自分でもいいじゃないかと許す自分が必要で、結局の所それには自分と向き合うしかない。なぜ自分は負けを認めたくないのか、その自問が負けへの耐性を作っていく。
日本はすこし落ち着かないとね。政局も、落ち着きをもたせるためには、長期的な視野を持った政治家を選ぶしかありませんね。やはり、小沢しかいないのかな。小沢と、もうひとりまともな対立軸を示せる政治家が立つとよいですね。
別に「国民の生活が第一」を応援しているわけではありませんが、朝日新聞の今朝の紙面を例示してみる。昨日の「生活」結党記念パーティに4千人の記事は4面ベタ20行と写真。これが現職国会議員を50人近く擁する新政党への扱い。一方、都知事辞職関連は…。他の新聞、テレビも同じなんだろうな。
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東京都知事を辞職した石原都知事。「原発をどうするかなんて問題は些細なことだ」と発言。「もっと大きな問題がある」と。困った人が政治の表舞台に出ようとしている。
「原子力規制委員会の事務局を担う原子力規制庁の職員に、原発メーカーやゼネコン、電力会社など、原発を推進してきた関係企業出身者が今も多数存在していることが、わかりました。日本共産党の吉井英勝衆院議員の資料要求に同庁が提出したもの。」#緑の党jcp.or.jp/akahata/aik12/…
政党同士がじゃれ合い、その場その時の思いつきに等しい衝動に身を委ね、事が起こってから官僚の指示を仰いで動き、涙ぐましい策を弄しているかのように見せ掛けているうちに、国家は自らを欺くか滅びるかを選ぶしかない窮地に追いこまれ、強行手段に訴えるしかないと信じこむようになってしまう。
リーダーをとっかえひっかえするばかりの馬鹿馬鹿しい限りの政局が陰々滅々とつづくなか、強者の権利のみが幅を利かせ、狡賢くて生ぬるい政治家や官僚と、羊の群れのごとき従順な秩序をこよなく愛する国民に支えられた、空洞のごとき国家は、償いがたい損失をほったらかしにして未来指向を気取る。
長いこと無用のがらくたであったはずの全体主義的色彩の濃い民主主義がふたたび台頭しそうな気配が募り、暴力のみが切り札となり得る先史時代へと逆行し、時代はまたしても野蛮な状態へと落ちこみ、古いだけの伝統を唯一の飾りとするごく普通の人間に対して盲目的な崇拝を強いる悪夢が始まるのか。
講演会「芥川龍之介・母と文学」第二部のパネルトークが始まりました。 pic.twitter.com/KOLs9NPB