車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

器用貧乏

2019年09月20日 23時20分30秒 | 日記
健常者の頃に卓球経験のある選手が車椅子でプレーすると、その経験が逆にマイナスに働く。

俗にいう「器用貧乏」な状態になるという。

確かに、その考えは理解できる。

なまじ知識や経験があるが故に、当時とは違う身体能力(と表現しておく)にもかかわらず、当時と同じことをしようとし、それが結果的にミスをより多く生み、失点となり試合で負けるというのだ。

あるいは、健常者的発想が車椅子利用者という現実とギャップがあり、それがミスを生じさせるというもの。

健常者のような格好の良いフォームで打つ、格好の良いプレーをする、それを前提として考えると、そこにはやはり現実とのギャップがあり、それがミスを生じさせ、結果的に負けを呼ぶというのだ。

格好よく打てても、1本決まっただけだと、試合で勝つなんて到底無理。



だから、健常者の経験は無い方が良いのかもしれない。

そんな意見さえあるというのだ。



間違っているとは言わない。

でも、僕はその考えを採用しない。



器用貧乏?

それを通り越したレベルに達すれば、誰もそんなことは言わないはず。

杭は中途半端に出すとダメだけど、利用できるくらいに出し過ぎればそれでいい。

そういうレベルにまで高めればいいだけの話。

どんなことだって経験は財産だと思っている。

それを無駄にはしたくないし、無下に扱いたくもない。

もうずいぶん前だけど、車椅子バスケット、車椅子ラグビー、パラ水泳のそれぞれのコーチのみなさんも口をそろえて言ってた。

「それは財産であり、アドバンテージですよ」

と。



ということで、自分をしっかり磨いていこうとあらためて思う。

最近は新しいことへもチャレンジし、思いのほか良い手ごたえをつかめたりもしている。

それは間違いなく健常者の経験があればこそだと思っているし、積み重なったものの恩恵でもあると考える。

そして健常者時代の経験が、プレーだけでなくトレーニングやモチベーションなどなど、全方位で僕を押してくれることを実感する。



僕を評価するのは僕以外の人。

僕以外の人に、経験は財産だと思わせなければいけない。

でなければ、それはただの自己満足で終わる。

それがどうなるのか、自分の努力次第なのだな。



ということで、明日も充実した一日を過ごそうと思う。