車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

シスコ デジタル・スクール・ネットワーク

2019年09月25日 20時37分09秒 | 日記
表題の企画をシスコで行っているのですが、これは離島を含む全国各地の学校を、ネットとシスコのツールを使って結び、学校という教育の現場と、そこに通う生徒さんたちの可能性をもっともっと伸ばしていこう!というような、そんな企画です。

様々な理由から授業の時間ではまだそのシステムを活用できないので、放課後の時間に、毎回テーマを決めた課外授業的な感じで行われるものです。

通常の学校の授業では行わないようなテーマの講義であったり、ある時は塾のような感覚での勉強の時間だったりと、学校教育における地域格差を無くす為の取り組みでもあるわけですけど、ある意味これを行っている学校の方がむしろ最先端を突っ走ってて、そういうシステムを上手く使いこなせる「人材」がこれからの社会で活躍するんじゃないかなぁと思えたり、やはりこういうものがこれからの教育の現場には必要不可欠なんだろうなと、また一つ、ジェネレーションギャップを目の当たりにしました(笑)



今回は離島を含む全国4つの高校と、六本木のシスコオフィスの計5か所をCISCO Webex Teams でつなぎ、僕がパラ・アスリートとして、また、一人のチェア・ウォーカーとして講演をし、随時質問を受け、それに答えていくという流れでした。

各地のホワイトボードサイズのCisco Webex Board には常時中継先の4か所が映し出されていて、その画面を通してコミュニケーションを取っていくというもので、タイムラグもなく、また音声も4か所同時に聞こえるので、全員が同じ場所にいるというごく自然な感覚で、社内では普通に使っているツールではありますが、社外の、それも各地の高校生と、さらには自分が中心となってのコミュニケーション、これにはものすごく新鮮な感覚、いや、感動を覚えました。

小学校や中学校での講演も度々行ってはきましたが、高校生はまた質問の内容が違っていて、だからこそ、また違った「話し甲斐」があり、僕自身物凄く楽しい時間だったのです。



いけね、前置きが長くなっちゃった(笑)



でも、ここで取り上げたいのはその内容ではありません。

実はこの講義の冒頭で、僕の去年の海外での試合のダイジェスト動画をみんなに見てもらいました。

生徒さん達の大半は運動部員。

中には卓球部の人もいました。

その中の誰のコメントかは分かりませんが(4か所すべての音声が普通に聞こえるので)、「なるほど、そういうプレーなんだ」といった声が聞こえました。

そしてその直後、「だったら、こうやってこうすれば・・・あぁ、でもそれはフェアプレーの精神に反するか」とも言ってました。

僕にはその言葉が凄く心に残ったのです。



「フェアプレーの精神」



車椅子というプレーヤーだからこそ、弱点は明確です。

絶対的に手の届かないエリアの存在。

だから、どんなボールであってもそこを狙えば点を取ることが出来る。

あるいは、得点をする可能性が極めて高くなる。

だからそこを狙えばいい。

でもそれはフェアプレーなのかい?

そのプレーに人は魅了されるのかい?

そのプレーは支持者を獲得できるものなのかい?



「フェアプレーの精神に反するか」という言葉が、彼らの口からこぼれたのを耳に出来たことが僕にとってこの講演の最大の収穫でしたし、そういう感覚を持つ生徒さんとその場を共有できたことが本当に嬉しかったのです。

だから、それからの講演の時間に熱が入り過ぎたのかもいしれない(笑)

もっともっと語りたかったもんなぁ(笑)



スポーツ活動。

それをビジネスとして行う場合、正直、それを僕はショー・ビジネスだと思っています。

エンターテイメントと同じです。

勝利という結果がもちろん最重要課題。

でも、勝てば良いというものではなく、正々堂々とした試合内容、潔い精神、品行方正さ、また試合当日だけでなく日常のトレーニングから衣食住に至るまでの全てが応援の対象であり、どんな瞬間でも人に見られて「おお!さすがだな!」と思ってもらえる存在でなければならないと思います。

それはスポーツ選手に限ったものではなく、全ての職業に当てはまることで、例えば、一流のホテルマンはオフの時間でも、身だしなみも所作も美しくしていなければどこで誰に見られているか分かりませんし、仕事の時だけきちんとすれば・・・なんていう人は気づかないうちに簡単にボロを出す。
そんなホテルマンに顧客はつきません。



スポーツ選手の場合は、顧客ではなくサポーターとなりますが、それを獲得できるかどうかは結果だけでなくその姿勢。生き様。

日本人であるがゆえに、求められるそれは結果をしのぐものではないかとも思います。

1点を取るために、勝つためにどうプレーするのか。

貪欲に、がむしゃらに、1点をもぎ取っていく姿勢というのは大切ですが、「泥臭い」という言葉をはき違えないようにしなければならないとも思います。

つい先日、インターハイでも優勝経験を持ち、全日本選手権でもランキング入りされていた経歴を持つ方に指導いただいていた際、経験から生まれる実に貴重なお話を伺いました。

その時、「あぁそういうことか」と理解できたことの一つが「泥臭い」でした。

その瞬間、日本人で世界選手権を制した方々が頭をよぎりましたが、そういう方々は人を魅了してきた。

そしてそこには「泥臭さ」があった。

昭和のスポーツ選手にはみな「泥臭さ」があった。

そこに人は魅了された。

じゃぁその「昭和の泥臭さ」はどこから生まれるのか?

何をもって定義となすのか?

僕の中で初めて理解できた瞬間でした。



記録競技であれば、大会当日、がむしゃらにひとり向かっていくその姿には泥臭さよりもむしろ神々しさや気高さを感じるものです。

でも、対人競技は相手から奪ってなんぼになりますから、そこにその選手の人柄がより表立ってにじみ出てくるものなのかもしれません。

ルールは守らなければペナルティを課されるけれど、マナーは守らなくても注意で済まされる。



フェアプレーの精神がまさにそれでしょう。



新渡戸稲造が武士道を説きました。

渋沢栄一が論語と算盤を説きました。

日本には「道」という考え方があります。

僕はその国に生まれた日本人です。

今を生きるこの社会で応援してくれる方に対しても、目には見えないけどもしかしたらすぐそばで応援してくれている爺ちゃん婆ちゃんやご先祖様に対しても、恥ずかしくないプレーをすること。

多分、僕の爺ちゃんは「お前、今のはせこいっちゃないとか」とツッコミを入れてくれるはずです(笑)



フェアプレーの精神。

高校生の口からから聞こえたその言葉。

僕の背中を強く推してくれる一言でした。

そして翌日の練習では、20代の練習パートナーともその話になりました。

「技として必要かもしれないけど、そればっかりやるのは・・・」

ですよね。



ショー・ビジネスであるまえに、まずスポーツマンとして、肯定してもらえるプレーと活動を心がけます。

時々深夜にラーメンとか、欲に負けることもあるかもしれない(笑)

でも、それは自分に返ってくること。

努力は必ずしも結果を生むものではないけれど、自分を裏切るものではない。

コーチやトレーナーもどんどん新たな課題を与えてくれる。

あとは自分次第。

今回のデジタル・スクール・ネットワークで、僕は実に良い勉強が出来ましたし、多くを得ることが出来ました。

そして、CISCO ってすごいなぁとあらためて思いました(笑)

今回コミュニケーションを取った彼らが自慢出来るような選手でいようと、自分を律していかなきゃと強く思います。

その為に何をする?

まずは課題の克服だな。

頑張ります!