へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「ばらまきに対抗」

2008年09月22日 02時29分47秒 | Weblog
次期自民党総裁候補の麻生太郎が、民主党の党首である小沢一郎が掲げる政策に対抗して言った言葉なのだが、なんとも「無責任」な発言ではなかろうか?・・・・。
「何処が無責任?」と思う方もいるかもしれないのだが、ただでさえ財政難の折、いったい何処からばらまくための財源を捻出すると言うのであろうか?・・・・。
「あちらを削り、こちらを削り、無駄なことを止める」と言うことで対応しようと思っているのだろうが、そんなことをしたらとんでもない「ツケ」に苦しむことを考えたことがあるのだろうか?・・・・。
「そんなことは、問題が起きた時になって考えればよい」とでも思っているのだろうか?・・・・。
なんとも「無責任」な話で、総理大臣になったとたん「解散総選挙」と言う可能性が強いことを考えれば、「単なる名誉欲」ではないだろうか・・・・。
民主党の小沢代表にも同じことが言えるのだが・・・・。
「人の噂も75日」と言うように、時が経てば「第92代内閣総理大臣・麻生太郎」と言う名前だけが残り、業績(良い悪いに関係なく)などはほとんど忘れられてしまうのが世の常であろう。
その良い例として、「総理大臣」と言う甘いえさに釣られて自民党と連立政権を組み、「第81代内閣総理大臣」となり、「社会党を崩壊」させる原因を作った「村山富市」など「忘却のかなた」に忘れ去られている。
最近の話でも、元どころか「前総理安部晋三」のことでさえ忘れられかけているではないか。
「窮鼠猫を噛む」ではないが、余りにも突然の「福田総理の辞任」も、余りにもひどい周囲の「非協力的態度」から起きたもので、そのことが日本と言う国に「重大な問題」を引き起こさなければ良いのだが、「悪い予感」が的中しそうな情勢になり心配である。
財政難と言う時期に「ばらまき政策」を実行すれば、その後に待っているものは「今よりもっとひどい財政難」と言う難問が待ち受けていて、「ばらまいた分を上回る増税」あるいは「福祉をはじめとする行政サービスの切捨て」あるいは「その両方」と言うことになるのは仕方ないことであろう。
単なる人気取りの政策にだまされて「後で泣きを見る」のは我々一般市民で、その時になって嘆いても「後の祭り」「後悔先に立たず」である。
「注意一秒、怪我一生」と言うが、現状では「注意一秒」ではとても無理で、一生注意する必要がありそうなのだが・・・・。
コメント
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