へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

幸せに対する考え方

2009年11月02日 04時07分28秒 | Weblog
昼間近くに住む人と話す機会があったのだが、正直な話「愚痴や不平・不満ばかりなので話したくない」のだが、行きががり上話をしないわけにも行かず困ってしまった。
過去に何度も聞かされているのだが、夫婦二人暮しで、二人とも厚生年金と企業年金を貰い、その総額は50万円を遥かに超えるらしいのだが、いつ話を聞いても「愚痴や不平・不満ばかり」で、明るく楽しい話を聞くことは殆どないのである。
月に50万円以上と言う事は、「私の年金の3倍以上」にもなるのだが、私が現状を受け入れて比較的のんびりと暮らしているのに反し、彼は現状に満足できずに愚痴ばかり言っている。
これでは一体どちらが幸せなのか考えてしまうのだが、彼と私とでは基本的な考え方が違う事と、「趣味の違い」にも原因があるのではないだろうか。
私の基本的な考え方としては、「出来る限り上を見ず、相手のかわいそうな部分を見る」と言う事を心がけているのだが、彼の場合は「上ばかり見ている」のである。
上(恵まれた生活)を見なければ惨めな気持ちにならずにすみ、相手のかわいそうな部分を見れば、悪い言い方ではあるが「優越感を感じることが出来る」のであるが、この優越感は、言い方を変えるなら「幸福感(満足感)」と言う言い方も出来るように、心に余裕が出来るのである。
次に「趣味の違い」であるが、私は花や植物を栽培したり小動物を飼う事が趣味であるが、彼の場合は「美味しい物を食べたり旅行に行くこと」が好きなようで、私とはかなり違うのである。
さて、この事がどんな違いを生むかと言うと、花や小動物の場合は「一度買うと長く楽しめる」と言う事で、始めはある程度お金がかかるが「ある時点を過ぎるとそれ程お金はかからなくなる」と言う事になるのだが、美味しい物を食べたり旅行に行くと言う事は「何時までたってもお金がかかる」と言う事で、お金が無くては満足感を得られ無いのである。
更に困った事には、彼が乗っている車は「私の車を2台買っておつりが来る」と言うほどの高級車なのであるが、買い換えるサイクルも私より早く、燃費も当然の事だが、私の車の半分くらいしか走らず、あらゆる面で私よりお金がかかる生活をしているのである。
彼が私と同じような生活が出来れば問題は無いのだろうが、もともと恵まれた生活をしてきた彼にとっては「とても無理な相談」のようで、こんな部分にも大きな違いがあり、「若いときの苦労は買ってでもしろ」と言うのはこの事を言うのではないだろうか・・・・。
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