「会話はキャッチボールと同じだ」とよく言うが、それはまさにその通りであるが・・・・。
プロの選手と少年野球の選手とではまともにキャッチボールができないのと同じで、会話もレベルや住む世界が違うと、まともに会話など出来ない。
こんな時に良く言われるのだが、どちらかの人が「あの人にはコミニュケーション力がないので話ができない」などと言い出す人が多いのだが・・・・。
それを言われるのは私である場合が非常に多い。
で、私は特にそのことを否定するつもりはないが・・・・。
しかし・・・・。
このようなことを言い出される場合のほとんどは、私とはレベルも住む世界も全く違う相手になることがほとんどなのです。
最近もまたそれが起きたのです。
ある問題から発生した問題に対する考え方が全く違うのです。
相手は極めて低い次元で考えるが、それでは問題の解決など不可能。
が、相手はそのことに全く気が付かず、自分の主張の実を羅列するだけ。
これはキャッチボールと同じで、レベルが違いすぎるとキャッチボール自体が成立しなくなる。
例えば、大人と子供がキャッチボールをした場合、子供は一生懸命になっても、大人が手加減をしないといけない。
また、こちらがいくら捕球しやすいボールを投げたとしても、相手に捕球する意思がなければこれも成り立たなくなる。
また、とんでもない方向に投げられてもキャッチボールは成り立たない。
で・・・・。
私の場合は、日本人と話をするのはいささか憂鬱になることも多い。
ただ、同じ日本人であっても、ある程度以上のレベルの人だと話しやすいのだが。
また、仕事などの関係で外のん人と話す機会も結構あったが、外国の人と話すのは比較的楽です。
そのためだと思うが、何人かの外国の人から「あなたは日本人らしくないですね」といわれたことも。
日本人とのコミニュケーションはとりにくいのに、外国人とはとりやすい。
これはいったい何が原因なのか。
つづく。
追記です。
キャッチボールは相手がいないと成り立ちません。
が、相手がいても成り立たないことも多いです。
レベルが違いすぎるとお互いが合わせるのに苦労するので、長くは続きません。
また、レベルは同じであっても、片方にその気がなければこれもまたダメです。
で、かつて私がまだ10代だったころのことだが、近所に住む幼馴染とは気が合うため、1時間以上キャッチボールをしたこともよくあります。
会話でも似たようなことがあるが、初めて会った人なのに「5分後には掛け合い漫才」が始まったことも。
夜行列車でたまたま向かいの席に座った人と何時間も話し込んだことも。
が・・・・。
何年付き合っても話ができない人もいます。
年代や趣味が違うとダメな人も多いが・・・・。