児童文学作家を目指す日々 ver2

もう子供じゃない20代が作家を目指します。ちょっとしたお話しと日記をマイペースに更新する予定です。

ふたりはふたたび

2016-03-16 | 物語 (電車で読める程度)

「ねぇ、髪切った?」

「あぁ、いや。切ってない。」

「あんたさぁ、ホントに無口だねぇ。もっとシャキッとしなさいよ。」

「あぁそうだな。」

背を丸めてカウンターに座る男に店の女将は呆れた。

「あんた、そんなんじゃいつまで経っても言えやしないよ。」

「わかってる。だから…」

男はうどんを啜るとポケットから小銭を取り出した。

「まったく…毎度あり。あんたしっかりしなさいね。」

「あぁ。」


カラン。

男は店を出て、表通りに出た。

道を挟んだ向こうには広い緑地公園。
どうやらさっきまでの雨は止んだようだった。
ボロいうどん屋の隣りにはコンビニ。
若いサラリーマンが悔しそうに新品のビニール傘を開けていた。

男の息子は大学を出て、すでに家を出ていた。

「親として、当然のことをしたまでだ。」

また、男は今年度で定年となり、務め人としての役目も終えようとしていた。

「老兵は去るのみ ってか。」

春一番の雨は少し体に堪えた。

「ハッ、グション。」

くしゃみをした拍子に、あやうく今日が何日だったか忘れてしまいそうだった。

物忘れはまだないが、仕事をしていたころはあまり今日という日をわざわざ意識したりなんてしなかった。

なんだか落ち着かなくて爪先を睨んだ。

雨上がりのアスファルトがキラキラ光ってまぶしい。

緑地公園の中心、桜並木が続く先に小さな噴水があることを男は知っていた。

そこは家族でお花見に行ったところでもあったし、

息子のキャッチボールに付き合ってやった場所でもあったし、

息子と飲んだ後、語り合った場所でもあった。

そしてなにより、男の夢が散り、恋が芽吹いた場所でもあった。


「桜の花は残酷だ。春を知らせたまま、散ってゆく。」

そんな臭いセリフを言った気がする。今思い出しても恥ずかしい黒歴史だ。まだ男が若い頃だった。


同時に懐かしいやり取りが思い起こされた。

「そうね。だって桜の木の下には死体が埋まっているんでしょ。」

突然の声に、それが文学部ジョークであることを当時の男は気づく暇もなかった。

「えっ?」

「それ、何撮ってるの?」

「……………あぁ、いや。これは、その…」

顔が熱くなっていくのを青年は感じていた。慌てておいてあったカメラと脚立を片付けようとする。

「これ結構本格的なカメラだよね。1人みたいだけど、何か作ってるの?」

ずいぶんと小柄な女の子は、制服を着ていれば女子高生にも、ともすれば女子中学生にも見えるような出で立ちであった。

「………えっと。…その自主制作映画というか、その…。さっきのはセリフで、あの、ちがうんです。」

「ふーん。」

話も聞かずに女の子はカメラをじろじろと眺めると、

「面白そう。よかったら私も手伝っていい?」

そう言って、青年の返事もまたず、もともと居たのであろう噴水の裏側へと鞄を取りに戻っていった。
時計の針が正午に重なったとき、噴水から一斉に水が吹き出て、透明なベールが女の子を包んだ。

それはまるで、4年後の真っ白で繊細なウェディングドレスを思わせるようなものだった。




相変わらず男はボロいうどん屋の前だった。もういっそ、このまま家に帰ってしまおうかと思った。ジャケットに両手を突っ込み、顔をあげると緑地公園の空に虹がかかっていた。あれだけ渋っていた足が自然とそちらへと導かれる。

虹が見え隠れする桜並木は、とても良い構図で、絵になるなと男は内心思った。この画面を3秒ほどのカットインとして入れるだけでどれほど作品が豊かになるだろうか。男は片目をつむり、両手の人差し指と親指で四角形を作る。自分の目で形取ったすべてを指の隙間にはめ込んだ。


男の幼い頃の夢は映画監督だった。しかし人付き合いが苦手で大学のサークルには入れなかった。代わりに貯めたお金で買ったカメラを片手に、こっそりと作品を撮っていたりした。けれどもあの日、幼い夢は5月の桜のように散ってしまった。

もっと大きなものが芽吹いてしまったのだ。

 

 

噴水の音が聞こえた。どうやらモタモタしていたわりに、約束の時間には間に合ったようだ。
四角く切り取られた画面から桜の枝葉が消え、虹の全体が表れた。画面はゆっくりと下降し、噴水の前に立つひとりの女性を映しだす。


「何してるの?」

「あぁ、ちょっと虹を撮ってた。」

「ふふ、嘘。カメラもないのに?」

「…うん。」

「…そっか。」

初老の女性がいつかの時のように男を見上げた。

「それ、私も手伝っていい?」


虹が薄く消えていく。代わりに白髪の混じった低い頭に額を寄せた。


「…いや、いいんだ。」



男は静かに妻に向かって言った。




「もうずっと、この目に焼き映してきたからさ。」




【おわり】