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私も大学に自分の名を明記し、講義や研究で実用ベースのWeb サイトを最近作った。そこにもブログはある。しかし、一方で匿名でこのサイトも持ち、書き込んでいる。なんでこんな面倒くさいことをするんだ、と自分でも思いつつ。この匿名ブログだって大方のアクセスは正体が分かっている人たちなのに。どちらにもメリットがあるので今のところ続けている。それは以下のような理由だ。
組織の中にいて自由なことを書くと、「出る杭は打たれる」文化の日本。それを見る人はもちろん同僚から全国の関係学界のかなりの人。「もの言えば唇寂し」。しかし、専門分野の主張などは明記して言いたいこともある。しかし、言葉は刃物。私の場合、私が刃物をふるうことになることも多い。
私の世代や、私の大学の教授たちは「ああいえば、こういう」人たちなので、字面にしないことがいいことも多い。全てを書くと、「あんた研究もしないでなにやってんの?」といわれそう。だってほんとうに関係のないことが多い。このブログには。それを大学サイトを使って書くのも公私混同。それと微妙なことは字面にするのが難しい。それではフラストレーションがたまる。
そこで匿名ブログ。匿名である理由は正体を知られたくないから。誰に?「出る杭を打つ人」に。しかし、一方で言いたいことも知ってもらいたい。誰に?理解してもらえる人に。でも少しは「出る杭を打つ」人にだって。この微妙なバランスがオブラートにつつんだものいいとなり、攻撃的主張がやわらぐ。さらに、あまりにも忙しく、学生院生の面倒を見る暇もないので、彼らへの間接的メッセイージの場でもある。怒った時のアフターケアなど、結構利用価値あり。あまりばかなことは表ブログでは書きにくい。だってうるさい同僚教授がまた言いそう「あんた、何を学生とふざけているの?権威に関わる!もっとまじめに教育を考えたら?」なんてね。皮肉まじりにね。おまけにマスコミなどにおもしろおかしく食らいつかれたら楽しみもなくなる。適度に目立ちたいが、適度に隠れてもいたい。大学とは組織と個人が微妙なところである。学問の自由、教育の自由が憲法で保証されているったてね。
オブラートにつつんだ不満でも、見る人がいるということによってフラストレーションが和らぐ。いきなり「2ちゃんねる」なんてフラストレーション解消方法が病的で、あんなところで解消すると自分の人間が壊れる恐れによって逆にフラストレーションがたまる。一度、行ってみたことがあるが気分が悪くなった。多分、あそこの人って目つきがおかしいと思う。目の底に別の目がありそう。
だから、私はこの著作の中の5分類ブロガーでいえば、第1と第2を渡り歩いている。できれば記名ブログ1つにしたいなと思っている。でも正体を知られないでものをいうスリルもなかなか面白い。この齟齬はしばらく楽しめそう。そんな自分を分析するに役立つ1冊でした。このブログをはじめて10ヶ月である。アクセスも定着したようであり、そろそろ刺激に欠けて来た。飽きっぽい自分としては次はどうしようか、とまた考え始めている。お!セミナーの時間だ。
コメントありがとうございます。参考になりました。専門に関わることをもっと議論するといいのかもしれませんね。