感懐
2017-08-02 | 日記
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20060802 一番、暑いときに
カテゴリ:思い遥かに
日中の暑さに比べて宵の口は涼しい風が吹いてくる。
気温は10℃近い温度差だ、明け方は20℃くらいだ。
夜明けが5時、日の入りが18時過ぎと季節は暦で立秋へと向かう
猛威を振るった雨も時折、雷を伴った雨となる、夕立の風だ。
猛暑、残暑厳しい、これからの8月が予想されている。
ニューヨークなどは熱波と言われて多数の死者も出て気候が不順だ。
>感懐、感旧
2006年08月02日02:25
ああ、いそがしい、いそがしい、心を亡ぼすとは
まことにこのことか、八朔を祝いたいのに
田の実の節句とは、これいかに
梅雨明けに、やれやれ、しかし、秋の風だ
期末試験、論文指導、試験代理、次年度用カリキュラム策定、時間割依頼、成績付け、口述試問と、わっとやってくる
これを業務として8月まで持ち込んでいく学年暦は、9月が夏休みとは言え、目が回る
人を相手にする仕事は半ばときめるものの、その面接には授業の緊張とは違った労力がいる
そんななか、本日の授業見学に取材、メディアジャパンががくっついてくる、との連絡があった
国際交流の共生推進室からブラジルのこどもたちを大学見学させてくださいと申し入れがあってバスに乗って午後にやってくる
どこに、お兄さんお姉さんの授業見学だ、というので、講義教室に来るわけだ、研究室も見たいとか
はて、どうしたものか、卒業生の依頼であったので承諾したが、もともとカメラならぬ、人の目が苦手なので、つい意識すると、子供たちと言え、そのままにはできない
受講生にちょいと相談して、折り紙はどうかと、これはいい、協力を先回にしておいたので、間に座ってもらって、これをやろう
博士の研究生が指導を受けに1日午後、来た、挨拶と言ってもいいか
あまり具体的には、はばかられるが、まあ、よかったと思うので許されよう
国際交流基金のジュニア派遣、日本語教師でウラジオストックにまもなく出発する
極東大学はバブリーなところと、何しろ日本語科の99%の学生は夏休みに日本旅行か海外旅行だそうですとか、いろいろと情報をもたらした
そこへ日本語を2年間のケイヤクで教えに行くのは大変だ
この院生を博士指導することになったのは、偶然だが、必ずしもそうではないところもある
名古屋で見つけた博士後期の大学院と、インターネットの検索で、ここへ来たのだから、それから3年が経って見事、院生の研究を進めて希望を実現した
博士学生ぐらいになると研究と教育の両立は当然のこと、その仕事にも将来性が求められる
日本語教育の専門性の高さは基金の派遣をパスしたことで証明された
思い起こせば、と、3年前を、ではなくて、20年をさかのぼって1983年か、国際交流基金の派遣候補者名簿にリストアップされたことがあり、そのころは、まだ行くべき人も限られていたような状況で、若いがゆえのこと、短期は立ち消えになったかと、するとまた、長期で5年はという別口がボクにもあった
だが、基金の日本語教師の派遣話は自らの中国の大学での交換教員を含めた諸般の事情でそれまでであった
受けていれば、いまもこうしていることには、変わりはないだろうけれど、それほどの能力を自分で認めたかどうか
めぐりめぐって偶然にも教えた学生がそのハナシを20数年を経て実現する
元気そうでなによりだ、8月に出発して激寒冷地からの帰国は2008年の8月20日となりそうだ
優秀な人だけに、場合によれば1年延びるか
きっと立派に任務を成し遂げるに違いない
サバイバル、ロシア語を身につけて帰ってくるだろう
この1年間で言えば、中国での日本専家を派遣をして、事なきサイクルを終えた
2年目になろうとしている
これもまた、かつての中国での日本語専家の経験を伝えて、めぐりめぐっての教え子の実績だ
この6日に帰国する
いま、こうして、学生の中にも将来を有望とする、日本語、日本文化、日本文学の学びの徒がいる
果て不思議なことだ、ここで感心しているわけにいかない
それぞれが道を選んでしっかりと育ち歩んでいるだけだ
教師は手助けをするかしないかの支援者だから、感慨にふけるもいたしかたない
長くやっていれば、多くの優秀な学生たちが輩出する、それはそれで当然のこととは言え、国語教師、日本語教師と国内外に教えた人たちが活躍を求めていく
もちろん、これからも、今も、いる
齢を重ねた思いにはまだ遠いが、それを、ロシア出発前に受けての感慨は、君たちにさちあれとねがうことだ
ミニ同窓会がちかい