名古屋から新潟までドライブをした。そのイメージは高速道を乗り継いで太平洋側から日本海側へと列島を縦に走りぬけたことになる。日本列島をその真ん中で下から上へと行ったわけだ。その記録をここに記しておく。経由も高速道の名称で6つも乗り継いだ。これは、地図にしても何にしても、本当に便利な検索ができるので、それを並べるだけだが、名古屋から新潟までに行くのを、東京経由で列車を乗り継ぐ時代だったと、そのことを思えば、新幹線になってもそれは今も変わらない、その距離と時間を考え、飛行機も夜行バスもいずれも使わずに、素朴に自分で走ったことになる。 . . . 本文を読む
カテゴリー、日記。晦日ドライブは、旅行のカテゴリに。30日に新潟にある国際大学で中国語話者のための日本語教育研究会があった。会の主催者が発表を二つ、大学院学生の発表が二つ、4時間にわたって行われた。そのひとつ、博士後期の発表にわたしが質問をしたので記しておこう。タイトルは、中国語話者を対象とした場所を表す格助詞「二」と「デ」の習得研究、副題は、言語運用場面における実態の考察である。よく整理された内容だったので、していないことをコメントのように言ってしまった、その質問は3つある。
. . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 676 は、大量殺人を突き進む を、例題にしている。
用例を検索すると、大量殺人に突き進む、とヒットする。この表現には、宗教教団の忌まわしい事件が思い起こされる。
コラムの解説は、~を突き進む という語例を、砂漠を突き進む 戦場を突き進む という使い方で説明する。
を の用法が、経路であるとする。そして、その場所を、戦場、砂漠、であるとするとよいが、この使い方に対して、大量殺人 には、経路の意味がないので、表現がおかしいというわけだ。
また、突き進む について、押し進む とするなら、大量殺人を推し進める となって、適切だとする。
しかし、あらためて考えてみて、大量殺人を突き進む、という例のないことから、そもそも例題の設定に問題がある。そして、大量殺人を推し進める という意味内容が、はたして成立するかどうか、おかしいと思わざるを得ない。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 677 は、生まれながらにしての悪人 を、例題にしている。
コラムは、正しくは、生まれながらの悪人 とする。
この、ながら を同時的な動作とみている。
すると、にして も、同時性を表すから 同じ意味の繰り返しになり不適切だと解説する。
たしかに、食べながら、見ながら、この動作は何かをすることである。
しかし、うまれながら は動作を意味しているわけではなくて、生まれたままのという意味であるから、生まれながらの悪人 と言うのは、正しい。
一方で、にして の言い方は、資格や地位を表すようである。
したがって、この表現は、生まれながらの悪人 または、生まれながらに悪人、つまり、生まれつきの悪人であることを意味している。 . . . 本文を読む
弥生晦日を迎えようとする。
3月30日の天候を気にして、今日の気温は下がったので、北のほうの天気があまり変わらないようにと願う。
新潟の南魚沼に高速道を走って出かけようと思っている。
国際大学だ。そこで行われる研究会に行って参加して戻る。往復934キロメートル、標準的な時間で12時間弱のところだ。
研究会は中国語話者のための日本語教育研究会という。第25回が午後1時半から始まる。
夕刻の5時前には終了予定なので一目散にすれば日帰りだ。
週末の土曜日、車の渋滞を予測するか、桜の満開を伝える、行楽日和だ。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 678 は、議論は平行線のまま を、例題にしている。コラムの解説は、議論は1つとしてとらえて、それで、平行線は2本だから、性質が異なって相容れないとする。
これは表現について、そう言っているので、わたしたちは、そこを理解して普通に使う。
だから、議論を形容して、たとえて、平行線を使うのは、議論が2つになってしまうことだろう。そのままだということだから、議論を1つにすることに言わないので、誤りだ、というのはあたらない。
議論は平行線をたどった のような言い方ならば、なんとか許容できる、と言うが、果たしてそうか。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 776 は、地上からの捜索を再開 を、例題にしている。
この表現の誤りについて、地上での捜索を再開 とすればよいと、コラムは解説する。なぜなら、地上から という場合には、地上から 空に上がってしまうことになリ、現実には起こりえない からだそうだ。
その説明にあるような意味内容をとらえれば、空からの捜索は、地上に下りてしまうことになり、おかしなことである。さらには、空で捜索するというような言い方は、表現にならない。
あるいは、コラムも言うように、空からの捜索があり、地上からの捜索があるなら、これはこのままでよいし、表現は定着している。
事故の現場が雪山などの遭難であるなら、地上で始まる捜索は困難を極める場合が多いので、この表現が具体性を持つ。上空と地上と、それぞれからのその捜索を意味する。
. . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 775 は、疫病に殺される を、例題にしている。
コラム解説について、しばし考え込んでしまった。それは、日本語では、意志のないものが意志的な行為を行うという言い方ができないのが原則だ、と言う説明だ。その例文、寒さが野菜の価格を上げた、と、これは言わないとしている。たしかに、業者が寒さで野菜価格を上げた、という例文はよく見る。しかしまた、寒さで野菜価格が上がった、となると、野菜価格には意志があるということでよいのだろうか。さきの疫病は意志がないので、疫病が殺す とは、言いにくいのは確かである。これは、生物主語、無生物主語をさしているのだろうか、日本語では、生物主語に対して、有情物という場合があり、無生物に対して無情物とする場合があって、受身形における文法議論となる。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 679 は、疑問を差し込む を、例題にしている。
一見して、あまり、使われていない用例だとわかるので、この表現は目を引く。
そこでこの用例を求めて、どのような文脈で使われているかを見ることになる。
疑問を差し込む というキーワードが検索でヒットして、疑問を差し込む対象が、思い込みについてであるようである。思い込みということばに、差し込むという動詞で、表現を強く表した様子がうかがえる。これは、表現に工夫があったと見える。
広告のキャッチコピーでもそうであるが、古くから、文学的表現によく見られる、新しい表現というものは、書き手によって表現にふさわしく推敲されて作られる。その表現の解釈は読み手にゆだねられ、書き手と読み手の間で成立する新しい言い回しとなる。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 774 は、一つの時代が終わった を、例題にしている。
いわゆる、ひとつの、という名言を吐いていた長嶋さんを思い出す。その名言とは、これはかかわりがないけれど、名選手が活躍した時代、それを一つとして、その時代が終わったときに、一つの時代ということがある。そして、時代の一つになるのであるが、それが何時代であるか、歴史にゆだねられて、名前がつくか、そのまま消え去るか、それはいまはわからない。時代をなお生きるもの、同じく生きているものとして言えば、ひつの時代というとらえ方なのである。ひとまとまりのというほどの意味でいいだろう。一つの時代に生きた感激をそのままに、時代が終わったということもできるだろうが、それは時代という意識をどう持っているか、どうとらえていたのかがが問われる。 . . . 本文を読む