「とんでもございません」は間違い? と、見出しにする。そして本来の使い方は間違いとしてきたこの語の使い方を認める、敬語の指針を紹介する。つまり間違いが、間違いでなくなったというのである、はたしてどうか。検索をすると、賛否両論をヒットする。しかし多くが文化庁の指針をもとに認めようという方向である。その指針は平成19年に出されている。http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/sokai/sokai_6/pdf/keigo_tousin.pdf なかで、第3 具体的な場面での敬語の使い方 その中で、3 「ねぎらい」と「褒め」の問題 29の事例として見える。この説明によって、軽く打ち消すときの表現を、相手からの褒めや賞賛に対して使うこと認めようというわけである。
これをもってしていえば、勘違いを起こすのはこの書のことではない。
しかし、同じ文化庁の国語課の書物であるから、その解説にある2番目の説明が引かれていることに注意しなければならない。
それは、とんでもないことでございます という、表現法について、あなたはとんでもないことを言っている、という解釈である。 . . . 本文を読む
充電のポイントとなる日本語である。ポイントが訳せない。場所でいいのだろう。チャージについても、これを充電とするのは、EV OUICK 標示としてのことである。station また、point の違いもありそうである。そしてこの語は、実は、電力業界の、企業の、登録された商標マークともにあった。やはり看板には違いない。この語をとらえるには、EV QUICK とするのが、わかりよい。エレクトリック ヴィークル、電気自動車のためのものである。その普及に従って急速充電のことが知られるようになった。それには多く、デザインが決められている。絵柄によって情報は伝わる。日本語の表現を言えば、充電個所となるだけである。電気自動車の急速充電をするということは、そのマークが伝えている。興味のある話題だったので、そちらのコラムを読むと面白い。
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述べるという語の意味を理解しない、それをすることを書く行為とだけとらえる、その書いている内容を語の羅列としている、そういう書き方と済ませてしまう。これについて、AとBと違いを述べなさいとあれば、ただ、書き並べるだけですませる、ということがあった。日本国語大辞典で、のべる は、のぶ という語から、述、宣、陳、などの、順を追って説くという意味がることがわかる。述べること、書くこと、記すこと、などの行為が何をすることかと、少し考えてみるべきだろう。記述、説明、解説、というふうになると、それは漢字語であるから、意味内容をとらえるかと思えば、そうでもない。原稿と草稿の違いを見ると、それは下書きとしての文章、清書するための文章、仕上げて印刷にするか、それをそのまま公表する文章と、その違いは用法として使い分けられるので、その用途において表現されている。 . . . 本文を読む
原稿と草稿の違いがわからないという。草稿とは原稿のことだということがあるし、辞書にもその意味説明で、原稿を引けば草稿のことと見える。しかし、原稿が草稿であるかとなると、そうは言えない。原稿を清書して書き上げたものとして言うことがあるからである。そうすると草稿は下書きのことになる。原稿と草稿の違いがわからなければ、草稿と言わずに、下書きと初めから言えば済むことであった。ただ、草稿は下書きとも違う、ともいえるようなので、原稿の完成には下書きがあって、草稿を作り、それを手直しして原稿とするというプロセスになるか。原稿を書き上げて公表するための活字また印字を出版物とするとなると、それまでの原稿にも初稿と言い、2回目の原稿、3回目の原稿があるかもしれない。原稿の修正が行われる。それはやはり、下書きでもなかったし、草稿と呼ばなくてもいいだろう。だが、下書きの原稿があったりするし、それが草稿のことになる。 . . . 本文を読む
御説明の、御の使い方を言う。自分の説明を、御説明と言えるか、というコラムである。例に、わたしの御案内は十分でしたか、をあげて、冒頭のような言い方は問題ありません、としているのだが、この物言いはよくわからない。あなたの御案内は十分でした、と、相手が言いそうである。御の接頭辞の用法に謙譲があると言いたそうなコラム解説であるが、これは勘違いである。ウイキペディアにある、御(お、おん、み、ご)は、日本語の敬語を作る接頭辞である、仮名表記されることも多い、ということから、敬語の捉え方をするときに、尊敬、丁寧、謙譲を当てはめてしまうようなことである。これはもうコラムがする敬語の説明としてよくない。御の文字そのものに、コラムで言うように、謙譲の意味があるわけではないので、その用法をもとに解説をするべきである。すなわち、ご案内をします、ご案内を申します、ご案内をいたします、というような言い方が、短くつづめられて、御案内は、ととりだしていることに表現内容を見る。 . . . 本文を読む
もっと好きになる日本語というコーナーである。その②に、次のタイトルがある。日本でも最も多く使われている漢字は? とあるのだが、社会で使われる感じの多いものと言うのはどういうことか。それには統計による上位の字をあげている。人、一、日、大、年、出、本、中、子、見 この10文字を例に、調査資料の延べ、約50,000,000字に、文字は8,576種類だそうだ。延べはすべてを数えている数字で、種類は同一文字と判定する漢字をどう扱ったか、ということである。説明によると、たとえば、人は61万回使われていて、1.24%を占める。そこでその回数の高いものをよく使われていると算定している。頻度、そして頻度率のことを指している。はたして、それがよく使われているには違いない調査結果であるが、もっとも多く使われていることになるかどうか資料によることろで考えなければならない。平成22年に行った調査というのは、この文章の説明の限りでは、すべてではないので、正しくない。勘違いを起こしてしまうから、よるべき資料に戻ってみることが必要である。 . . . 本文を読む
もっと好きになる日本語というコーナーである。その①に、次のタイトルがある。「にほん」と「にっぽん」、どちらが正しいのか 読みを問うていることと、その読み方の正しさを、国号の議論を結び付けて、勘違いをしている。国会議員、政府のうちでの議論がそうなのは、その見方また考え方がないからである。どういうことか。国号は漢字表記で、日本 であることと、それを読むことで、正しい発音を一つにしようとすることが、国名の正しさだとしようとすること、この二つを決めないでいる。国語教育ではどちらでも読み方を認めているということを加えて、日本語の言語としての常識である。表記における文字、漢字を正しく決めているのだから、少なくも、漢字表を作り、読み、書きを決めているところからすれば、その慣用または理解がある限り、にほん にっぽん なのである。 . . . 本文を読む
勘違いしやすいというのと、間違えやすいというのと、どこが違うか。間違いではなくて、間違えやすい、ということだが、違うと違えると、このことばでいうとなると、これとあれとを違えて、これとあれとが違って、なのか、これとあれが違えて、いや、これとあれを違える、これとあれが違う、のか。間違えやすいという言葉を集めたサイトがある。がんばれ凡人のページにある、たくさんの情報があっておもしろい。中学生の学習応援ページ、受験むけ、そして高校生とあって、一般人向けにもなったようだ。「中学受験生のための資料や問題集が中心だった」とあるから、サイトのスタートから作り上げてきたものだと思う。そのなかから、間違えやすい日本語を引用して感謝を申し上げる。 . . . 本文を読む
サイトの情報は、こういう記事が満載、と思っているとよいのだが、勘違いしやすいとはどういうことなのか。複合語にすると、日本語はとたんに、わかりにくくなるので、使いかたが、これでよいのかどうかを、さらに勘違いさせてくれる。使いよいのかどうか。記事検索をしておなじく、出てくるのをまとめるのを覗くと、こんなことが勘違いしやすいのだという。このまとめページは、どのサイトもたどって検証するとおおもしろいが、編集に任せて、必要なところを見てしまうようだ。
>「おにぎり」と「おむすび」は別物、叶姉妹は血は繋がっていない、ウルトラ兄弟は血がつながっていない、芸人の有吉弘行の名前は「ひろゆき」ではなく、「ひろいき」、コンセントを差し込むのではなく、コンセントにプラグを差し込むが正しい言い方、ルパン三世のテーマ曲は「ルパンルパーン」と、言ってるわけではない、イナバウアーは仰け反るのがイナバウアーじゃない、悟空が本編で「オッスオラ悟空!」と言ったことはない、星一徹がちゃぶ台をひっくり返したのは一度だけ、松阪牛は「まつざかぎゅう」ではなく「まつさかうし」が正解、どんぐりころころどんぐりこ♪、祇園精舎が京都にあると思ってる、ダントツトップ、プリングルス ×プリングルズ○、ジャンプ漫画には吹き出しに句読点がない、麦わらの一味の中で、ルフィの心情描写があるのは一度だけ . . . 本文を読む
文化庁国語課の勘違いしやすい日本語、というタイトルで、この名前の付け方が、勘違いしているのかなと思ってしまった。国語調査で20年お区切りだからだそうで、著者はと言えば、文化庁国語課なのである。国語課の部署名に、日本語教育があって、それを文化庁の調査で、日本語をとらえて国語調査であるし、国語課による日本語教育の実態調査である。それは国語審議会というのがあって、日本語審議会ではなかったし、国語問題であって、日本語問題ではなかった。こうして勘違いのママに使い続けているような気分になる。言葉の正しい意味を知しることができる一冊とあるので、ひも解いてみる。いまの、ひも解く、となってしまう、繙く、について、衣服の下紐を解くわけではないと言いながら、書物の帙(ちつ)のひもを解く意となれば、やはり紐を解くということなのである。 . . . 本文を読む