ふさがって通じないことである。時代梗塞と言いたいところ、梗塞症状を見るべく、脳こうそくを検索する。脳卒中、虚血性壊死、脳血栓と、おそがい。来る日も、来る日も、人々が悪口を言い続け、暴き立てる、罵詈雑言に、SNS、ネットサイトが埋め尽くされていく。一過性虚血は進行して、90日内のことと、凝固死するのはいつか。 . . . 本文を読む
名古屋弁
2017-06-30 | 日記
>ゼミの学習とゼミタンパ
2006年06月30日23:51
6月も尽きる日、おそくまでもえて、お誕生日おめでとぉう!
その企画は1ヶ月の隠密作戦に用意周到であったと思う
横断幕に飾りつけはわが研究室を彩って朝から決行された
授業は5時間目があるのでタンパはその後に行われた
人々の絆は家族にある、家族を出ると社会にある、社会を出ると、そこには地域を越えた何かが生まれるだろうか
家族 . . . 本文を読む
ちょうど1年前に、日本語文法文章論を書いている。次に再録する
>2016-06-29 08:29:22 | 日本語文章
国語文法は読み書きの伝統を受け継いで書き言葉の作法、文法を追求してきた。
第2次大戦の戦後70年、読み書きは言語生活に捉えられ、国語教育は聞く話す読む書くの技能を柱として民主主義を標榜して進められて来た。
それは、表現と理解の領域をもって言語教育になってきている。
書き言葉 . . . 本文を読む
アジトは隠語である。位相語とも見える。隠れ家、秘密場所という意味内容で、政治組織の陰謀によるニュアンスがある。警察用語で、犯人のアジトと言えば、隠れて潜伏する場所にもなる。その語が使われたのには労働運動の会合のためにもっぱら使われたことがあり、地下組織の場所であるか、宣伝司令部もそこにイメージされる。アンビリーバボーの番組で、警察長トップの狙撃事件をドキュメンタリー風に再構成していた。時効となり、複雑な事件背景を描いていたが、そのなかで、一人の犯人とされる男のアジトとなったアパート、そこにあった所持品などから、番組の演出とはいえ、日本の犯罪に出てくる隠れ家の模様たっぷりだった。番組自体は未解決事件のありようを示していたが、いまの世相を髣髴とさせる。かつての共謀による社会騒乱行われた時代である。 . . . 本文を読む
Q:一から十まで発音するとき、四と七だけ違う読み方をするのはなぜか。――いち にー さん し ご ろく しち はち きゅう じゅう この数え方で、し を、よん と読むことと、しち を、なな と読むことを、Qにしていることか。数の読み方は、また、ひい ふう みい よお いつ むう なな やあ ここの とお とするものが、古来行われてきているから、これを対照して、音読み、訓読みとすることが言われる。数詞として、ひとつ ふたつ みっつ よっつ いつつ むっつ ななつ やっつ ここのつ とおつ となるが、とお には、じっこ となる。このようにみると、し しち の二つについて、読みが違うということが、それだけではないということがわかる。しかし、音読みと訓読みとする数の数え方が、いち、に、さん、よん、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう となるのも、数詞としては見られるから、4 7 の読み方が訓読みになる理由を質問している。 . . . 本文を読む
Q:「恋<愛」なのに「恋人>愛人」と意味合いが変わるのはなぜか。―― 不等号の意味するところ、愛が大きく、恋人が大きく意味領域を執るというわけであろうか、あるいは、上位概念、下位概念にその価値基準を持つとするものか、愛によって地球は救われるが、恋によてはそうならない、恋人ではトラブルが起きないが、愛人だとトラブルにつながり、日本語の愛人にはイメージが付きまとう。中国語で、我的愛人、わたしの愛人とは夫婦仲のこと、愛人となれば愛妻というようなことであるから、これは日本語のとらえ方と異なる。不等号の向きが変わるのは、愛人となったことだから、社会的に、ほかの語でいえば、妾、2号さん、側室といった意味の代わりようなのだろうか。そうすると、この語の用法が気になる。そこでいまいちど、辞書によると、そのままである。 . . . 本文を読む
>大したことなかった
2006年06月28日23:57
それでも気温が下がらないのと同じで熱っぽい
汗をかきかき、まだ、おわらない、仕事中
マイミクのみんなも忙しい時期だよね
風邪症状にすべく薬を飲んではやく寝よう
コメント
2006年06月29日 00:05
汗かいたら、ポカリ飲んじゃって。水分取って。
人にうつせば治っちゃうかもネ^
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コメント
2006年06月29日 . . . 本文を読む
10年前の日記は、どうもバイオリズムにあって、体調が風邪であるらしい。この日の記録が見えない。日記投稿スタイルのブログに毎日にも更新するので、それを見ていて、ここで再録しているように、2006年の気候は、2017年の気候に似ているが、それに合わせたように、生活のリズムが動いている。そこにはまた、バイオリズムが引き起こす日常活動の現象が重なりあうと、いきなりのようなことが起こる。26日と27日と、できごとがあった。そのうちの、一つは通知、もう一つは合宿と呼んでおく。顛末は、いずれまた整理することがあるだろう。 . . . 本文を読む
文章の単位を設定して、文の上位単位であるとする。文をとらえ、その文が複数で構成するものとしての文章である。文を単位とするのは、主語述語の文を基本にしている。ところが、文章には、述語だけで成立する文にあたるもの、述語部分が名詞による体言止めであったり、また述語に感嘆感動により表そうとするなど、いわゆる言い切りをみることで、文とその下位単位である句が、文相当になって文章に含まれるとすると、文章には、文になる要素成分があることになる。さらに、日本語の接辞による語相当の文節にも、その接辞の働きによって文意相当するものが、文章を単位とした中で、表現内容をもったものとして、ことばとしている場合がある。すると、文章単位における文節が文の単位として機能すると同時に、一方で、文章の単位ともなりうる。 . . . 本文を読む