日本語教育史をとらえると、日本語学習、日本語教師、そして日本語教科書などの教材として、教育学の教育方法にあわせて考えることになる。日本語教育が学校で行われるなら、その例には、宣教師たちの布教のための語学習得、コレジオの歴史をはじめ、大学での日本研究、日本学など、民間に目を向けてもその教育機関としてのものがある。あるいは、戦略とする言語習得となると、これは見えるもの、見えないものとなって、そのとらえ方は古来、困難がある。ロシアにわたった漂流民は方言を伝えてぺテルスブルグまで日本語を運び、さらにそれは、ヨーロッパに広がる日本学となる。戦時、米軍の語学将校としてみれば、近くは第2次大戦中にあって、日本語の速習が開発されて教授にも特徴を持つことになったものがある。現代の日本語教育は、近代に行ってきた国語教育の日本語ではない、外国語教育の日本語となって、第2言語の理論を取り入れるが、日本語とその文化で際立っての現象が出てきている。コミック、アニメなど話し言葉をさらにくだいているコスプレの日本語であるが、日本語のスピーチコンテストにアフレコ日本語なるものが現れている。
本語研究とかかわる
2014-08-27 | 日本語教育史
日本語教育と日本語研究は大きく影響する。日本語教育は外国語としての日本語という見方を与える。するとその日本語は国語を内省でとらえていた場合と異なって、個別言語としての日本語をほかの言語と合わせてみることになる。日本語研究は対照研究としても行われるので、その研究手法には日本語教育での語学研究などと影響する。
日本語教育史を知ることはその日本語研究の具体的な成果を知ることにつながる。視点をもって見るなら、日本語の歴史は、20世紀半ばまで行われた漢文訓読語法と20世紀後半からの英語教育に、日本語教育の歴史は、日本語を教えはじめた、留学生教育にはじまって、第2次大戦とアジア地域に、日本語史と日本語教育史は、朝貢の隋、唐へ使節派遣から留学生10万人受け入れ政策までという区分ができる。
日本語の歴史は1945年を画期に話し言葉を主として変化を始める。
日本語教育の歴史は1980年代に大きく転換期を得る。
日本語と日本語教育の歴史についての認識はわたしたちの日本語をとらえる上で重要である。
1 日本語の歴史 漢文と英語教育
2 日本語教育の歴史 戦後とアジア地域
3 日本語史と日本語教育史 遣唐使派遣から留学生30万人の政策まで
4 歴史から得るもの 日本語教育の普遍性
日本語教育の歴史 日本語の歴史 日本語史と日本語教育史 漂流民の日本語
遣唐使派遣から留学生30万人受け入れ政策まで 日本語教育の歴史とアジア地域
歴史から得るもの 戦前の国語教育と政策 留学生教育 日本語教育の変遷
地域の日本語教育史 日本語教育の将来