私はどちらかいうと怖い表情の仏像が好きである。優しくてすべてを包み込む表情だとすがってしまいそうで避ける‥怠けたりすくんだりゆがんだりしないように「喝」を入れてくれる言うな雰囲気でよい。それはいかなる場合でも‥
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/6a/41071db58f2da94b4eabc5e8ee75310a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/f1/df72beaad5479d6b0f99887f5eed6e98.jpg)
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大阪の天王寺駅のそばにある「阪和商店街」は昭和の風景が残っている。以前にも何度か訪ねてきたが、ますます閑散としていた‥「この通りは今は家の店だけですよ‥私の代で終わりやけどなあ‥誰も継ぐのがおらんからなあ」大阪名物の岩おこしと大好きな奉天を買ってから、店にいたおじいさんに挨拶して、写真を撮らせてもらった。
阿倍野ハルカスと全く正反対のレトロな街並みである。言葉にならないが、これも現実なのだろうなあ‥
今もなお 昭和の灯り 駄菓子店
阿倍野ハルカスと全く正反対のレトロな街並みである。言葉にならないが、これも現実なのだろうなあ‥
今もなお 昭和の灯り 駄菓子店
「ひまわり」の映画は今まで10回以上観ている。「ニューシネマーパラダイス」と同じくらい好きな映画だ。戦争の悲惨さを描いた映画だが、ソフィアローレンの存在感ある姿とひまわり畑の映像が目に焼きついて離れない‥
この写真は佐用町のひまわりで、すこし雨が降っていた。
この写真は佐用町のひまわりで、すこし雨が降っていた。
真庭市にいったとき、会場のエスパスの向かいにあったのがこの「旧遷喬尋常小学校」だった。明治40年にできて、平成2年、84歳にして小学校の役目を終えた・・パンフレットに書かれてあった。校内を案内してもらったが、なかでも印象に残ったのがこの机と椅子だった。
私の子どもの頃もこうだったなあ‥
落書きを 刻んだ子どもの 声がする
私の子どもの頃もこうだったなあ‥
落書きを 刻んだ子どもの 声がする
能勢に行く。明月峠にある名月姫のお墓にお参りした。名月姫伝説は尼崎にもあるようだが、能瀬の伝説と異なるのも興味深い。
長い歴史の間には人の悲しみや怨念が消えないままに、無念さを背負い残されたものも多いだろうなあと思う。
長い歴史の間には人の悲しみや怨念が消えないままに、無念さを背負い残されたものも多いだろうなあと思う。
将棋世界に連載していた「風景」から、京都の時代祭り。この頃はニコンF3を担いであちこち歩き回っていた。写真を撮るのが楽しくてしょうがなかったが、フィルム代や現像代は高かった。デジカメになってからその点では助かるが、写真自体はどうだろう?一枚一枚を大事に撮っていた頃の方がはるかによかった気もする‥
モノの値段が下がっても、働いて稼ぐカネが減っている時代では、むしろせちがらくなっているかもしれないし、人やモノを見る目が厳しくなっているのかもしれない。
モノの値段が下がっても、働いて稼ぐカネが減っている時代では、むしろせちがらくなっているかもしれないし、人やモノを見る目が厳しくなっているのかもしれない。
この写真は伊丹市荒牧の「天神川トンネル」だが、天井川トンネルでもある。
天井川トンネル=川によっては、河床が高くなり過ぎ、あえて河床の下にトンネルを掘り人を通らせている例もある。これらのトンネルを総称して天井川トンネルという。
伊丹の天神川トンネル=旧国鉄中山寺駅から延びる引込線の鉄道を、「鴻池村」(現在の北野地区)にあった
軍事施設に向かって、汽車が通った。当時のトンネルは、今もそのまま残っている
妻が私が通っている病院の周辺を散策しているときに、興味深い歴史の遺物を見つけた‥正確には確認した‥
車でいつも通っている脇道が、軍事施設に向かう線路跡だったのも不思議だなあと思う。膝が治ったら散策しよう。
天井川トンネル=川によっては、河床が高くなり過ぎ、あえて河床の下にトンネルを掘り人を通らせている例もある。これらのトンネルを総称して天井川トンネルという。
伊丹の天神川トンネル=旧国鉄中山寺駅から延びる引込線の鉄道を、「鴻池村」(現在の北野地区)にあった
軍事施設に向かって、汽車が通った。当時のトンネルは、今もそのまま残っている
妻が私が通っている病院の周辺を散策しているときに、興味深い歴史の遺物を見つけた‥正確には確認した‥
車でいつも通っている脇道が、軍事施設に向かう線路跡だったのも不思議だなあと思う。膝が治ったら散策しよう。
ずっと以前に将棋世界に連載していた「風景」であちこち旅をした。旅をしたときに「風景」に使う写真を撮った‥それが正しいが?この写真の白猫は今でもよく覚えている。萩の城跡にいた猫だ。少し病気かなと思ったが、私にすり寄ってきて一緒に遊ぶのはいいが、「連れて帰れないよ」となだめすかした‥もっとも猫はダメとわかるとあっさりしている面がある。
当時はひとり旅で、行先も決めていなかった。宿泊の予約もしたことはない。写真を撮るのが面白くてしょうがない時期で、ニコンF3の標準レンズと28ミリのみで三脚も持たなかった。
今もその延長だったら、おそらく国内も含めたアジアの各地をのんびり回っていたような気がする‥昔インドを旅していて、疲れ果てて道端に座り込んだとき、どうしようもないさみしさに襲われた・・話す相手もいない、ふところもさみしい、言葉も通じない、日本に戻る気もしない‥これが孤独感なのかなあ・‥泣きそうになったとき、すぐそばを通った人が話しかけてきた「○×△?」私は英語も話せない‥もう一度聞くと「バクシーシ」と言ってるような気がした。「私もないよ」ゼスチャを交えて話す。すると相手はいやそうな表情ながらも「わかったよ」とニッコリ(仲間意識か?)少し通じたようだ。
自分なりの孤独感の極致に行くと、むしろ、これが当たり前なのだ‥そう思えてきた。道行く人が急に仲間に見えてきた‥
当時はひとり旅で、行先も決めていなかった。宿泊の予約もしたことはない。写真を撮るのが面白くてしょうがない時期で、ニコンF3の標準レンズと28ミリのみで三脚も持たなかった。
今もその延長だったら、おそらく国内も含めたアジアの各地をのんびり回っていたような気がする‥昔インドを旅していて、疲れ果てて道端に座り込んだとき、どうしようもないさみしさに襲われた・・話す相手もいない、ふところもさみしい、言葉も通じない、日本に戻る気もしない‥これが孤独感なのかなあ・‥泣きそうになったとき、すぐそばを通った人が話しかけてきた「○×△?」私は英語も話せない‥もう一度聞くと「バクシーシ」と言ってるような気がした。「私もないよ」ゼスチャを交えて話す。すると相手はいやそうな表情ながらも「わかったよ」とニッコリ(仲間意識か?)少し通じたようだ。
自分なりの孤独感の極致に行くと、むしろ、これが当たり前なのだ‥そう思えてきた。道行く人が急に仲間に見えてきた‥
大阪の阿倍野区にある万代池のそばにいたノラ猫である。あわててすかさず?撮ったのでアップになった。このときのことは印象的だった。
動物は人間を常に計っているように思う‥人間が気付かないだけで、動物は人を見ている・・そう思うことが多い。人間の方が人をしっかり見なくなったのかもしれないと思ってしまう・・
動物は人間を常に計っているように思う‥人間が気付かないだけで、動物は人を見ている・・そう思うことが多い。人間の方が人をしっかり見なくなったのかもしれないと思ってしまう・・
竜安寺の池の散策のときに、この紅白の小さな花が咲いていた‥このときなぜかとっても悲しい気分だった。
そして、夜に、私が世の中でいちばん尊敬するN先生が数日前に亡くなられたことを知った‥N先生がこの竜安寺のきれいな風景を見せてくれたような気がした‥
「森さん、人と人の出会いはね、決して偶然ではないのですよ・・」N先生の言葉を思い出す。
そして、夜に、私が世の中でいちばん尊敬するN先生が数日前に亡くなられたことを知った‥N先生がこの竜安寺のきれいな風景を見せてくれたような気がした‥
「森さん、人と人の出会いはね、決して偶然ではないのですよ・・」N先生の言葉を思い出す。
今日は(10月29日月曜)師匠の息子さんが退院されるので、付添いで京都に行った。病院を出て、竜安寺のすぐそばのマンションまで送って、師匠と奥様にお参りしてから竜安寺に向かう。
竜安寺は石庭が知られているが、昔はひとりで冬の季節で観光客の少ないときに訪ねたものだ‥結婚してからは妻と息子で来て、湯豆腐を食べたのが懐かしい。
のんびり散策していると、池にアオサギがいた。秋も深まり空気も澄んだ風景だった。
竜安寺は石庭が知られているが、昔はひとりで冬の季節で観光客の少ないときに訪ねたものだ‥結婚してからは妻と息子で来て、湯豆腐を食べたのが懐かしい。
のんびり散策していると、池にアオサギがいた。秋も深まり空気も澄んだ風景だった。