森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

村山聖の笑顔

2016-05-03 06:28:08 | 村山聖
 
村山聖の写真をきちんと撮ったのは京都の詩仙堂と、この大阪城の2回だけである。





初めはいやがって硬い表情だったが、しばらくしてあきらめたのか師匠に同情したのか?いい笑顔も見られるようになった。





 撮っていても飽きなくて魅力的で、もっと撮っておけばよかったなあと思う‥

 村山聖はどちらかいうと直情的だった。迷いはあっても度胸満点に踏み込んでいく‥逃げ道のない強さだったのかもしれない。

 背負いきれないものがあると、ある意味で淡々と生きていけるものなのだろうか‥

 
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聖の青春 ピピメール

2016-02-05 00:46:07 | 村山聖
 「聖の青春」についてピピアめふの会報「ピピメール」に私が書いた記事です。
  ピピメールでもご覧いただけます。

 将棋を知らない人も読むのでできるだけわかりやすく書きました。
 このところ少し落ち着かない日々を過ごしているのは、映画が気になっているのも大きいのかなあと思います‥
 自分のペースを変えないようにと思いながら、仕事もはかどらない日々でしょうか‥
 
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舞台劇「聖の青春」

2015-11-22 23:39:32 | 村山聖
舞台劇「聖の青春」劇団コーロが宝塚で上演されていたとき、ファミリー劇場の会報に書かせてもらったものです。私の素直な真情で今も変わっていません‥


 



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村山聖の色紙三枚

2015-10-19 23:31:13 | 村山聖
 毎日少しずつ整理をしているが、村山聖九段の色紙が三枚出てきた‥大事にし過ぎて埋もれていたのかもしれない‥
 最近は私自身が村山聖の存在に励まされている気がする‥よろけそうになったときに、もうひと踏ん張りしないとまずいなあ‥そう思わせるのもがある。
 ふと見ると私が最近書いている色紙も「大局観」なのだが、少し似てきている?気がした。(わたしのはヘタなので睨まれそうだが?)





 これは多分、村山家にある色紙のコピーだと思う。しっかりした字だなあと感心する。言葉もいい。崩れかけている自分の精神を保つためにも、いいものに出会えた一日だった。
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村山聖の古い記事

2015-09-25 09:29:32 | 村山聖
 村山聖の古い記事があった。四段~五段の時期で、まだまだ少年の面影がある‥
 このあたりから、私も師匠の影を薄くしようと心掛けていた気がする。しかし困ったときの出番はときどきあった。将棋に関しては勝っても負けても村山君に関して困ったことはなかったので、体調を崩したときである
 





 上の部屋の写真もそうだが、これはつい最近亡くなられた炬口勝弘さんの写真と記事である。



 先日訪れた前田アパートも、この写真を見ると、また感慨深い‥
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村山聖を訪ねて 

2015-09-20 07:28:55 | 村山聖
いろんな思いがこみ上げてくるが、村山聖を訪ねる一日だった。






 環状線「福島駅」のガード下



 大淀のシンフォニーホールに向かう公園




 村山聖の住んでいた前田アパートの前の電線の鳩



 三谷工業さんのそばにて




 私の住んでいた大淀ハイツに向かう途中にて、日向ぼっこする子猫たち




 秋深し




 大きな犬が散歩していた




 村山聖と一緒に住んでいた市山ハイツ跡のそばにて
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村山聖九段の命日

2015-08-08 22:02:08 | 村山聖
 今年も村山聖九段の命日がやってきた‥当日のことは今も鮮明に記憶しているが、聖の青春を通じて今もなお多くの人が村山聖の生き様に感銘してくれていることをうれしく思う‥
 亡くなった翌日の葬儀の日も夏の青空だった。そして白い雲が沸き立ち、吸い込まれていくような不思議な時間だった。哀しいというよりも、大きな何かの糸が切れてしまって‥あたまの中も心も空白になって時間が止まったような気がした。
 運命を憎むというよりも、運命を静かに受け入れる心情だろうか‥「聖君、よくがんばったね」お母さんの声が印象に残った。
 「聖はときどき私らにはわからんことを言っていましたねえ‥」お父さんがつぶやいたのを覚えている。
 私も師匠として、人間として、どこまで村山聖の真情をわかっていたのか‥答えようのない問題を考え込んでしまうのだった‥
 今でも、村山聖との出会いは、何かの運命が寄せ付けた大きな縁だったのだなあと思う。
 私は今も昔も変わりないと思っているが、残りの人生をきちんとまっとうしないと、村山聖ににらみつけられる。きっとそうだろうなあ‥



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村山聖の色紙

2015-08-04 07:53:49 | 村山聖
   この色紙は私の結婚式のときに、村山君が書いてくれたものだ‥後で聞いて知ったのだが、じつは(師匠は一生独身と思っていたので?)さみしかったらしい‥それを踏まえてこの色紙を見ると切なくなってくる‥




 これは京都新聞社の棋王戦の前夜際だったような気がする。このなんとなく物憂い村山君の表情は多かった
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村山聖の写真

2015-08-02 00:10:14 | 村山聖
 関西将棋会館の棋士室にて(いつかは不明)
 私が何やら話しかけている?棋譜並べの村山聖九段が微笑んでいる。横で対局しているのは矢倉七段と井上九段である。これも池崎さんが撮ってくれた写真だと思う。
 ひげもじゃなのが懐かしいなあ‥
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古い写真 村山聖

2015-08-01 09:45:47 | 村山聖
この古い写真はモノクロだが、観戦記者の故池崎和記さんが撮ってくれたものだと思う。村山聖九段の横にひげ面の私がいて、勝浦修九段、中田章道七段がいる。この後は多分麻雀をしたのだと思う。
 夏になり、村山聖がらみの資料を見ているとアルバムが出てきた。多分取材で依頼されたものをそのままにしていたようだ‥歳月の早さに驚くが、自分が今まで何をやってきたのだろうと思うと、胸を張って答えられない‥もどかしさをかんじるのがつらいなあと感じる日々でもある。
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村山、山崎扇子

2015-07-31 05:55:01 | 村山聖
 昨日、偶然にこの扇子が出てきた‥村山聖八段、山崎隆之四段の祝賀会で作ったものだが、覚えていなかったので懐かしく感じた。山崎八段が夏のあいさつに来てくれたので、村山君がメッセージを送ってくれたのだろうか‥
  私も日々何らかの葛藤、模索、焦燥、混迷、諦観の中で暮らしているが、あまりにも多いので(明日も明後日も明日か明後日の風が吹くだけだ‥)の心情でもある。見かねた村山君の励ましの扇子に見えた‥
 耐えて待つのは村山聖の根幹の姿勢であるが、私は耐えているつもりが「ジリ貧で待つ」姿勢が根幹にあるのが哀しいかなあ‥
 山崎四段の「流水」は初めてみたようで、いい言葉である。あらためて懐かしい扇子だなあと思った。
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解決ナイナイアンサー村山聖とお母さん

2015-04-22 08:00:37 | 村山聖
 「解決ナイナイーアンサー」は村山聖とお母さんの話がテーマだった。番組を見ながら、久しぶりに村山聖と会えたのがうれしかった。幼いころの村山君の写真を見ていると、可愛くて切なくて胸が詰まる・・
 当時は村山君のご両親も私も、先の見えない戦いのさなかで、次にどう判断して進んでいくのかの葛藤ばかりだった。そしてそれ以上に村山君は自分の運命にどう向き合って行けばいいのか、自分の心との戦いだったと思う。この番組でその当時のお母さんの心情が改めてわかって、そうだったのかと思うシーンもあった。
 村山聖のお母さんへのきつい対応は、根底に身体の強くないお母さんの体調への想いと、自分へのいらだちがあったのだろうと思う。疾風のようにめまぐるしく人生を駆け抜けていた村山聖は、今もいっぱいの課題と余韻を残してくれている‥
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聖の青春、前田アパートの部屋 11,18

2014-11-18 21:51:11 | 村山聖
 今日は「聖の青春」にまつわる取材で福島、大淀界隈を散策し案内した。ちょうど村山聖が住んでいた前田アパートの部屋の窓が全部開いていたので近ずくと階下に三谷工業人の人がいて挨拶する。
「村山さんの部屋に入って行きますか?」「はいお願いします」今は誰も住んでいないのだが、きれいにしてあった。「漫画だらけで足の踏み場もない部屋でしたけどね」

 「朝、村山さんがこの外の壁にたたずんでぼんやりしていたので、将棋会館まで何度か送ったことがあります」「今も遠方から村山さんの住んでいた前田アパートを訪ねてくる人もいますよ」

 実は私も村山君の住んでいた部屋に入ったのは20年ぶりくらいだろうか?当時の印象と部屋の雰囲気が違っているので驚いた。もう入れることもないと思っていたのでうれしかった。

 歳月は色とりどりのいろんな積み重ねだが、この部屋に入って懐かしさよりもしみじみとした余韻を感じた‥部屋の前の公園を子ども連れの親子が横切った。久しぶりに村山聖に出会えた気がした。
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村山聖の色紙

2014-10-29 08:58:51 | 村山聖
 昨日探し物をしているときに「村山聖の色紙、大局観」が出てきた。味わいがあって書家の書いた字のようである‥

 何かのお祝いのときに「色紙を書いてうまかったら扇子に使うから、頼むわなあ」と依頼した。出来上がったのを見て(師匠よりもはるかにうまい‥書いたことがないはずなのになあ)意表を衝かれて感心した記憶がある。

村山聖が亡くなってから、私も「大局観」と書くようになった。それが阿吽の呼吸だが?字のヘタさは呆れられているだろう。この色紙を大事にしまっていないのも師匠の粗相である。
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村山聖の命日

2014-08-08 08:23:04 | 村山聖
 村山聖の命日に近づくと、どこか気持ちに揺れが出てきて、やや不安定になる・・わかっているのだがしょうがない‥
 この写真は大阪城でいっぱい撮った一枚だが、村山君はどのカットを見ても絵になる。
 師匠の撮影に付き合わされて、初めはゲンナリ気味だったが、次第にあきらめて笑顔も出てきた。(師匠のがんこさには敵わないなあ)とあきらめたのだろう。
 前日は「写真はイヤです」「あのな編集部に頼まれて仕方なくやからなあ」私がにらむ。これで決着だ。もっとも本人も昇級してうれしかったのだろう‥貴重で楽しい時間だった。
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