森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

第13期村山聖杯「怪童戦」8,17

2014-07-09 07:51:02 | 村山聖
 今年も「怪童戦」の季節がやってきた。この棋戦ができる際に何度か広島に行ったが、そのつど思ったことは「いっぱい参加者がいて、永く続いてほしい‥」ということだった。
 今年で13回を迎える。ありがたいことだ‥今もなお心が折れそうになったとき、自分が師匠なのに、弟子の村山聖の顔が浮かんできて逆に励まされている気がする。
 
 関係者の方々の深く感謝いたします。
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漫画「聖」より

2014-06-09 12:42:21 | 村山聖
 部屋を整理していると「ビッグコミック」2002,7月10日号が5冊も出てきた。「聖」の作者の山本おさむさんが宝塚の我が家に取材に来られたときのものだった‥
 実際にも村山君は今の我が家に数回来て、トビオやクロにも会っている。トビオのやんちゃぶりに「すごいですね」の感想を残して唖然としていた。
 もっと家に呼んでおけばよかったが、体調のこともあったので私の方が遠慮していた。来るときはいつものようにCDや漫画の入った紙袋を下げてゆったり歩きながらである。
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聖の自戦記

2014-06-08 02:43:28 | 村山聖
 そろそろ村山聖九段の資料を整理しようと思い始める‥この切抜きのコピーは村山聖九段の自戦記である。村山君は文章も面白くて(苦心していたが)中でもこの切抜きの最後の言葉は私にとって宝物である。
 但し、世界一の師匠はこの当時のことで、ここから次第に雲の下に降りてきて、次第に師弟が逆転して?友達のような関係になっていく‥
 負けて泣いているのはあまり見たことがないが、うつろな表情になっているのは何度も目にした。奨励会では3連勝が当たり前で、2勝1敗でもやや青ざめていたのに驚いたことがある。横道にそれる時間がない‥そういう凝縮した心なのは何となく気づいていた。師匠は呑気に麻雀に明け暮れていたが、それはそれでいい阿吽の呼吸なのだ(と思うしかない)
 
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はい、ええ、まあ、その、村山聖

2014-03-01 06:52:01 | 村山聖
森さんはつらいときに村山聖の写真を載せるみたいですね?と言われてそうかもしれないなあと思った。
 いつも元気でいるのは大変である。無理だろうなあ‥今の時代は人間を痛めつける要素が多くなった気がする。いわゆる能力差、格差社会自由競争などのせいなのだろう。それでもグチを言ってもしょうがない。自己責任なのである。

 だが、密かにこっそり感じることだが、何かしっくりこないものがある。論理的思考のない私はほとんどのことが曖昧な直感、ヤマ勘で生きているので、説得力がないのは自認している。
 
 村山聖に会いたくなるのは、自分が逃げ出したくなるときだろうか。「はい、ええ、まあ、その」村山流ののらりくらりの返答がいいなあと思うのだった。
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村山聖 憂いの表情

2014-01-10 08:07:27 | 村山聖
 このときの写真は何枚も撮っているのだが、村山聖の表情はみな違う。これは憂いの表情で、休場が長引いて先の見通しが立たないときに見せたような気がする。村山聖に安易な気休めの言葉をいうと睨まれるだけなので、私はいつも淡々と意見を言った。こういうときは腹をくくって言わないと小細工は読まれてしまうからだ。
 めったにないがそういうときの村山聖はとっても素直だった。師匠が時間をかけて考えた意見だから、まあしょがないなあと思ったのだろう。同情することは悪気がなくても相手を少し下に観てしまう恐れがある・‥同情するのはある一面だけでいい、他は対等の目線でいないと人の関係は長続きしないと思う。
 村山聖は師匠の私にも同情してくれる、やさしく甘い面もあった。決して言葉にはしないが伝わってくるものを感じた。今もなお村山聖のことに関して、何かを刻んでおきたいと思うのは、そのお礼も兼ねている気がする。
 目に見えないそういう懐の奥にあるやさしさを身につけていたのが、村山聖の魅力だろうなあと思う。
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村山聖のポジフィルム

2013-10-29 00:12:14 | 村山聖
 これは村山聖を大阪城で撮った時のポジフィルムのプリントである。ポジはリバーサルのフィルムを使うので、フィルムや現像代もかかるので、一枚一枚をていねいに撮る。今のデジカメはその点で安易なくらいパシャパシャ撮ってしまう。
 デジカメは初めは大嫌いだった。デジタルとアナログの違いだろうか、写真の感触と写真の深みが違う気がしていた。
 でも安さに勝てなくて降参する・・
 デジタル化時代になって完璧なまでの美しさを反映する代わりに、肌感覚や精神性が薄らいでいく面もあるように思える。アナログが消えていくのと同時に自分の存在思考?もどこか薄らいでいくのだろうなあ‥
 村山聖はアナログの匂いがする存在なのだろうと思う。
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祝賀会、村山聖の写真

2013-05-15 07:47:21 | 村山聖
 祝賀会で使った村山聖九段の遺影の写真は思い切って、私がトリミングしたものだ。じっと見ていると澄みきった眼差しや気持ちが伝わって悲しくなりそうだが、遠くの夢や希望を抱いている表情でもある。
 
 朝日新聞の記事です。
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更級食堂

2013-04-26 07:28:19 | 村山聖
 昨日はホテル阪神で打ち合わせがあったので、妻と一緒に出掛けた。昼食は久しぶりに更級食堂に入った。野菜炒め定食を食べた。村山聖は焼き魚定食が多くて、そのときの魚の食べ方をみて目が点になった‥魚の標本のようにきれいに食べていたからだ。
 食べ物を大切にというジャンルでなくて、いつくしむような食べ方の気がした。生きることをいつくしむ‥そういう日々だったのかなあと思ったりする。
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天神川の風景

2013-04-22 19:32:34 | 村山聖
 最近は風景の写真を撮るのが減ってしまった。忙しかったのと膝の痛みが慢性化してしまったので、憂鬱な気分の時が多いせいのようだ。いろんな作業もはかどらない。
 もともと気持ちだけは元気で?いろんなことを抱え過ぎていた気もするので、そろそろ手を放した方がいいのだろう。そういうメッセージと勝手に思っている‥

  
 「ネフローゼという事を短所と思うよりも長所と思い、人と違った人生、変わったおもしろい人生が歩める位の気持ちが大切だと思います。私自身も修行時代、もし健康だったらと思うことはありましたが、ない物ねだりをしてもしかたがありません。もしも健康のままだったら健全な体を感謝することなく終わっていたでしょう。私にとってこの病気は体の一部になりました。もう何十年も走っていません。もう走ることはないでしょう。しかしいっぱい走る体験よりも、もっともっとたくさんの体験をこの病気はくれたように思います。」

 村山聖九段が寄稿した文章の抜粋です。当時も読みながら切なくなりましたが、今読み返すと、また別の思いがこみ上げてきます‥
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村山聖の表情 1997,9,20

2013-02-08 09:05:01 | 村山聖

目を細めながら?他の弟子の大盤解説を見ている。とってもおだやかな表情だ。村山君が我が家に来ると一緒にいる時間が楽しいので、写真やビデオを撮り忘れることが多かった。本人が写真に撮られるのがあまり好きでないせいもある。私に撮られるのはしょうがないと諦めていた?節もある。
 どういうときでも微妙な表情をみせてくれるので、写真の被写体として魅力もあった。厳しさや切なさや悲しさや空しさや激しさややさしさなどを包み込んで、独特のふんわりしたオーラを出しているように思った。

 
 
 
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昔の村山聖

2012-12-29 22:12:43 | 村山聖
 これは昔の写真で、クリスマスの集まりで我が家に来た村山聖だが、写真を撮ろうとするとイヤイヤをした?でもこれは愛嬌である。子どもの頃は魂を吸い取られるからと、写真はイヤだったそうだ。同じ日に何枚か撮っている。
 この写真は1994年のときで、これから1か月もしないときに阪神大震災があった‥過去を振り返ると、運命の流れは突如としてやってきて、思いがけないことが起きたりする・・
 そのときは知らない間に自分で選択して生きているのだが、「日々一期一会」とも思う。
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2011,8,21村山聖の記事

2012-08-23 07:21:38 | 村山聖
 昨年の8月21日は広島に行った。「怪童戦」が10回を迎えたので記念講演を依頼されていた。そのときに新聞社の方で掲示されていたのがこの記事だった。山崎七段、片上六段、糸谷五段の記事も並んであった。
 ちょうどA級に昇級して東京にいくあたりのようである。細かいので見ずらいが読み返してみると、なかなか面白かった。そうだったのか‥と思う個所もあった。
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2008年8月8日

2012-08-09 23:34:44 | 村山聖
 2008年8月8日、村山聖九段の命日に一門でお墓参りに行った時の写真だ。なかなか揃っていくのは大変だが、このときはバスを借り切って日帰りで催した。このときから四年経つのだが、なかなか思うようには弟子の活躍もままならない‥悔しい思いの方が多いのが現状だが、村山君がいたらどう言うだろうか・・ときどき勝手に会話をするのだが「冴えないですね‥でもまあしょうがないですよ。みんな精一杯やっているし‥」だろうか、それとも「みんな何をやっているのですかね。もっと結果を出さないと‥冴えないです」だろうか?
 
 私は弟子には意外に甘くて(弟子に対してだけでなくて甘いのだが)それを見透かされていたのかもしれない。「弟子全員やめさせてください」と真面目な顔で言われて困ったときがある。今思うとそれも私が困っているのを知ってのフォローだったようだ。あれこれ文句を言いながらも弟弟子を可愛がっていたのだ‥
 
 私が逃げ出せないのは、今も村山聖の姿が浮かんできて、睨まれそうだからでもある?あらゆるところを見られているかと思うと、手抜きはしても逃げ出せないのである‥自分と向き合うしかないのである。
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大淀散策 前田アパート 2012,7,27

2012-07-28 07:43:56 | 村山聖
 村山聖九段の住んでいた「前田アパート」を久しぶりに訪ねた。写真の三谷工業さんの2F真ん中の部屋だ。手前は昔、レンタルビデオ店でよく借りに来たものだ。
 この部屋を訪ねるときは、たいてい村山君が体調を崩したときが多かった。戸をたたいてもなかなか返事がない、でも何となく私の直感でいるかいないかはわかった。合いカギは預かっていたが無理に入ったことはない。しばらくして戸が開いた「大丈夫か?」「はあ」「何か買ってきてほしいものはあるか?」少し間をおいて「お寿司と水、水は南アルプス天然水です}思わず笑いそうになる。
 こうやってこの部屋でひとり病気と将棋に向き合っていたのだ‥でも私には村山聖の砦に思えた。
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村山聖写真集

2012-04-21 22:06:10 | 村山聖
村山聖写真集

 このブログに掲載した村山聖写真集です。どれも懐かしい写真でそのときどきを思い出します。でもただ懐かしむだけでなくて、これからの生きる糧にしたい‥そう思います。「森先生、冴えなかったですね」そう言われないように残りの人生を踏ん張りたい・・・



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