昨年の10月に、聖の青春の宝塚公演のプレイベントで、村山君のお父さんを囲んでの集いがあった。そのときに持って来られた、村山聖の子どもの頃の日記帳の数冊のうちの一ページである。
6、7時間、将棋の勉強をした、そんな記述がいっぱいあった。今、プロを目指す私の弟子でも、それ以上のことをこなしている弟子がいるだろうか、不安になる。子どもといえども将棋への一念、いや執念を感じる日記だった。
古くさいが、努力できることが才能なのかもしれない。
6、7時間、将棋の勉強をした、そんな記述がいっぱいあった。今、プロを目指す私の弟子でも、それ以上のことをこなしている弟子がいるだろうか、不安になる。子どもといえども将棋への一念、いや執念を感じる日記だった。
古くさいが、努力できることが才能なのかもしれない。